第33話 恋人の順序とは

 あれから放課後になる前にわたし達は帰宅した。わたしは五十嵐先輩の家に荷物を取りに向かう。と言っても服だけだけど。

 1日に何度も尋ねた家なのに、少しだけ懐かしさを感じてしまうのは何故だろう?

 五十嵐先輩が鍵を開けて「どーぞ」と、わたしを家の中に入れてくれる。

「おじゃましまぁす」

 また泥棒みたいに小さい声を出してしまう。

 中に入ってからわたしの心臓は、バクバクとうるさい。

「部屋行っててくれ、なんか飲み物持ってくからよ」

 前回と同じように、わたし1人を部屋に行かせるのは、学んでいないようだ。

 まぁもう秘密もなにも、知ってしまっているのだから、問題はないのだろう。


 トトトっと階段を上がっては五十嵐先輩の部屋にサラッと入る。

 目に飛び込んだのは散らかった部屋に、ベッドの上にくしゃくしゃになったわたしの服。

 シワはもちろん、洗剤の匂いなんてほぼない。

 まぁ貸してあげると言ったのはわたしだけど、こうもくしゃくしゃにされるほど使ったのか?

 別に気にしてはいない、なんなら嬉しいまで思うわたしは変だろうか?


「おっまたー」

 わたしは服を手にしたり顔で五十嵐先輩を出迎える。

「なんですかぁ?コレ?」

「ん?ちゃんと使ったぞ?千秋が貸してあげるって言っただろ?」

 あれ?反応が思ってたのと違う。もっとこう、慌てふためく姿を想像していたのに、なんだこの余裕は?

「あ、そうですけど……まぁ」

「なんだよ?私があたふたすると思ってたのか?」

「んー、はい」

 五十嵐先輩はオレンジジュースが入ったコップをテーブルに置いて、上目遣いでジッと見てきては、満面の笑みで

「だってもう恋人だろ?恥ずかしい事なんてないじゃん!」

 まるで、なんて言うのか、そう、多分コレが的確な表現かもしれない。

 わたしはその純粋な笑顔で成仏した。

 いや、してないけど、それくらいの破壊力があったって事。

 そんなすぐに堂々と出来るなんて、ちょっとずるい。

 すごくすごぉく嬉しいけど、毎回そんなだとわたしは耐えられる自信がない。


「恋人って何するんでしょうね」

「んんー、まぁデートとかで遊んだり?」

「あんまり今と変わらないんですね」

「そんな事ないだろー?前と今どっちが楽しい?」

「今、に決まってます」


 わたしは自然に抱き着くと、五十嵐先輩もそれに応えるように腕を回してくれる。

「ふふぅん、だろぉ?」

 顔は見えないけど、どんな顔をしているのか想像できてしまう。

「あ、そう言えば、臭いです!」

「あぁー、でもそんな臭くないだろ!」

 正直本当に少し匂います。

「ほら綺麗にしちゃいましょうよー待ってますから」

「へーい」

 不貞腐れながらもお風呂場へ向かおうとするが、ドアの前でピタリと止まる。

「千秋、も入る?」

 これは前回のおさらいか何かだろうか?

 ならわたしも五十嵐先輩を見習って余裕を見せてあげましょう。

「仕方のない子ですねぇ?いいですよ」

「へへっやったー!」

 あれ?今度こそはと思っていたのに、普通に喜んでる。恥ずかしくないの?裸だよ!?わたしの考えすぎなのかな?

 恋人になるとここまで許されてしまうなら、どこまでならいいのか、どこがダメなのか分からなくなる。


 気が付くと見覚えのある脱衣所にいた。

 鼻歌混じりで服を脱ぎ始める五十嵐先輩。テンポよく白い肌と薄いピンクの下着が露わになっていく。

 細いくびれに、引き締まったお尻。綺麗な肩甲骨にしっぽがかかる。

「千秋、外してくんね?」

 五十嵐先輩は背中をアピールしてくる。

 外す?わたしが?いいの?許されるラインって事?いや本人が言ってるんだからいいに決まってる。

 わたしはゆっくりと手を伸ばす。どう外すんだっけ?あれ?毎日自分でやってるのに急に分からなくなった。

 伸ばした手はホックではなく、肩に触れて五十嵐先輩の体を自分の方に寄せる。

 わたしに少しもたれ掛かる五十嵐先輩の頭を

 すぅぅぅ!!

 これで少し冷静になれるだろう。

「くさぁい!」

 顔だけをこちらに向けて五十嵐先輩は言う。

「……でも好き、なんだろ?」

 少し頬を赤らめてニヒッと笑った。


 あぁ、この人はほんとにわたしの事が好きなんだなぁ。

 恋人になった途端にこんなにも大胆と言うか、素直になってくれるんだもん。

「もちろん好きですよ?匂いも笑顔も髪も指も耳も唇も、好きな所がありすぎて困っちゃうくらいに」

 でもわたしはまだ素直になれない。わたしも五十嵐先輩みたいになってしまったら、きっと歯止めがかからなくなって、狂ってしまうと思う。

 それにまだこの距離感をすぐに終わらせるのは少し寂しい。

「千秋?」

「五十嵐先輩って、結構エロいですよね?」

「はぁ!?お前よりマシだって!」

「じゃあ1人で入れますよね?わたしは部屋で待ってますから、ちゃちゃっと済ませてください」

 肩をぐいっと押して五十嵐先輩との間隔を空ける。

 あんなにも自分から求めていたのに、最高のチャンスを簡単に手放してしまう。

 いや、簡単ではない。これでも考えて耐えて決断した事だ。

「……なぁ、千秋?私達って付き合ってるのか?」

「えっと、自分から言うのは何か恥ずかしいけど、そうだと思ってますよ?」

「じゃあちゃんと言ってくれ!」

 五十嵐先輩は背中を向けたままで、よく分からない事を言う。顔は見えないからどんな感情で言ってるのか分からないけど、ただの髪の毛なのにしっぽがどこか寂しそうに見えた。

「何を?」

「全部」

 こちらに振り向くとやっぱり、不安そうな顔をしてる。急にどうしたのか?さっきまで笑っていたのに、今は眉を八の字にして濡れた子犬みたいな目でわたしに訴えかけてくる。

「わたしは五十嵐先輩が好きです」

「知ってる」

「わたしは五十嵐先輩と一緒にいたいです」

「知ってる」

「わたしは、んんー?」

「早く」


「わたしと、付き合ってください」

「……いいよ」

 その言葉を聞いた途端に暗い顔は一気に明るくなった。

 順番は違えど、こういうのはしっかりしたいタイプなのかもしれない。

「五十嵐先輩って面倒くさい女ですね」

「なんだよ!しっかり聞かないと不安になるし、大事な事だろー!?」

「乙女ですねぇ?先輩なのに受け身ばっかりなんてなぁ、わたしもリードされたいのになぁ」

「だから今、してるじゃん。一緒に入ろうって……それなのに、千秋がさ?」


 下を俯いてもじもじしてる。

 ほんとに可愛い。五十嵐先輩は多分、余裕そうに見せているだけで、勇気を出していたのかも。

 せっかく勇気を出した女の子からのお誘いを断るのは、きっと恋人として最低なのだろう。

 でもわたしは踏み出せない。

 もったいないし、それにどこかわたしは、怖がっているのかもしれない。


「まだ裸の付き合いは早いですよぉ?五十嵐先輩はえろえろですねー」

「だからそうじゃねえって!!」

「ほら早く入ってください……。じゃないと食べちゃいますよ?わたしだって下着姿をずっと見せられて我慢出来る程、草食じゃありませんから」

 そう言って、わたしは脱衣所のドアを閉めながら言い残して去った。




 なんなのなんなの、なんなの!!

 なんであんな積極的なの!?ああああ!!勿体ない事した!

 絶対勿体ないよ!でも心の準備って物があるし、順番とか、雰囲気とかあるじゃん!?

 はぁ……まだ脳裏に焼き付いてる。

 細い癖に胸が大きくて、弾力がありそうな太腿に、至る所の曲線美が目立つ体付き。

 わたしとは正反対。もっと怖くなってきた。五十嵐先輩の前で裸になるの恥ずかしいなぁ。


 わたしは色々な後悔と不安を背負いながら、重い足取りで部屋に戻った。










 ―――――――――――――――――――――――――――


「ほら早く入ってください……。じゃないと食べちゃいますよ?わたしだって下着姿をずっと見せられて我慢出来る程、草食じゃありませんから」


 千秋はそう言って脱衣所から姿を消した。

 私は1人残される。

「…………」

 嘘だろ?ここまでしたのに引き下がるのかよ?

 こんなに、こんなに頑張ったのにぃ!?

 自分の言動を思い返すと、一気に羞恥心が押し寄せて来た。顔は熱くなり、体にも熱を感じた。


「これじゃあ私がバカみてぇじゃんっアホ千秋っムッツリ千秋っ意気地なしっ」


 ぶつぶつと文句を垂れつつも、1人でシャワーを浴びる。

 これでもかってくらいに体を洗ってモヤモヤした気持ちをぶつける。


「私ってそんな魅力ねえかな?」


 自分の胸を鷲掴んで揉んでみる。んー柔らかいと思うし、そんな変なとこないよな?

 大きいの好きなのは男だけで、千秋はそこまで興味ないのかな?


「……アホらし!当分触らせてやんねーからな!」

 1週間くらい、3日……今日は触らせない!







「千秋ぃ上がったぞー」

 シャワーを済ませ、タオルで髪を拭きながら部屋のドアを開けると、私のベッドに潜り込んで顔だけを出す千秋と目が合った。

「……お前ムッツリすぎない?」

「んぐっ……温めておきました」


 布団を持ち上げて、入ってこいと言わんばかりに場所を空けてくれる。

 私はまんざらでもなく、でもしょうがないなといった態度で千秋の隣に寝転んだ。


「千秋?敬語止めないのか?」

「止めません」

「なんで?」

「だってこの方がちょっと良くないですか?ギャップというか、特別な関係なのに敬語って、もっと特別感を感じません?」

 千秋の笑う目が少しだけ、いやらしく見える。

「なんかやらしーな、ムッツリ千秋らしい考えだけど」


 ふふふーと笑う千秋の鼻息が私の首を擽る。

 私の髪を触ってまた「ちゃんと乾かさないとダメですよ」と言いながらも、指を入れてくる。

 指で空いては、また指を入れ、私の髪を空く。根本から毛先まで手櫛してくれる。

「濡れてる髪って気持ちいい」


 何度も何度も私の髪に指を絡ませて、次第にゆっくりになっては、やがて手が止まった。

 横を向くと可愛い寝顔がすぐそこにあった。


 今日は疲れたもんな?ありがとう千秋。

 ゆっくり寝てくれ。


 千秋の手に私の手を乗せて優しく握ると、私の瞼も徐々に降りてきてしまう。



 おやすみ、千秋

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る