第32.5話 番外編 キツネの恩返し
ウチはキツネこと近藤茜は本日、ある事件に巻き込まれてしまった。
人によっては事件というには少々大袈裟な表現かもしれない。
でもこれはウチにとって大変な事件なのである。
「これはこれは、とんでもない事になりましたね」
ウチは現在テーブルの上に乗っているが、決してふざけてたり、高い所が好きという訳ではない。落ち着いて対処しなければ、今夜は安眠が出来ないほどの恐怖がウチを襲う事になるでしょう。
「キツ――」
「なあぁぁ!!?」
「ネ?何してるの?」
涼香か、びっくりさせないでほしい。危うくテーブルから落っこちる所だったよ。
「涼香!よく来てくれたよ!」
「まぁ呼ばれたから、ご飯食べるの?」
時刻は12時。お昼時ではあるが、今はそれどころではない。ご飯を食べさせる為に呼ぶほどウチは優しくないのだよ涼香?
「いやその為に呼んだわけじゃ――」
「じゃあまたその時に呼んで」
「うそうそっうそだから!帰らないで!」
なんて薄情なんだ、ご飯がなかったら帰ろうとするだなんて、ウチは涼香専属のコックじゃないぞ!?
なんで事の重大さに気付かないのだ。そもそも友達が困ってるんだ、普通理由くらい聞いていくもんじゃないかい?
「それで何の用?」
「落ち着いて聞くんだ涼香!!いい?決して慌ててはいけないよ!?奴を刺激してしまうからね!?絶対だよ!?分かったら返事して!!」
「キツネが落ち着いて」
ウチとしたことが、涼香に教えられるとは。確かに今慌てていたのはウチだったかもしれない。
よく強靭な精神でいてくれたよ、ありがとう涼香。
「いたんだよ……ムカデが」
「そうなの」
「……」
もぉー!なんでそんな冷静なのさ!
「ム!カ!デ!が!いたの!!」
ムカデだよ!?噛んでくるし、毒持ってるし、足いっぱいだし、くねくねしてるんだよ!
なんで分かんないの!怖いんだよ!
「ふふ、珍しいキツネ見れた」
今はそんな笑顔いらないの!バカ!
「あ、キツネ、テーブルの足から這い上がって来てる」
「――っ!やだぁ!!」
うさぎが跳ねるように、ウチはテーブルから涼香に飛びついた。
涼香を押し倒すとゴンッと鈍い音がした。
「痛いぃ怖いぃっ!」
「私はもっと痛い」
本当に虫が苦手で、ウチは半べそ掻きながらも涼香に抱き着いてしまう。
「く、苦しい、キツネ冗談だから、ムカデいない」
「ほんと!?いないの!?嘘だったら怒るから!」
「ごめんごめん。大丈夫だから、ほら泣かないで」
なんで嘘つくのさ。本人の気持ちも知らないで、ひどいよ涼香。
ゆっくり後ろを振り向いて、キョロキョロと辺りを見渡すと、確かにムカデの姿はいない。
でもいないのもダメだ。ちゃんと家から追い出さなきゃ不安でしょうがない。
「すずかぁ?退治してよぉ」
「はぁ、その為に呼んだの?」
「だって、だってさぁ?」
「まぁいつもおいしいご飯食べさせて貰ってるし、いいよ」
涼香は立ち上がって、ウチが武器として使っていた箒を拾い上げムカデを探してくれた。
ウチも見ているだけじゃダメだ。フォローしないと涼香1人じゃ危ない。
えーと、えーと、そうだ洗剤!押し込んだらピューって出る!飛び道具!
涼香の背中は任せて!死角はウチが見るから!
ウチは両手でいつでも撃てるように構える。
涼香は家具の隙間などを見て行く。いつ飛び出してくるか分からないので、常に緊張感を持って洗剤を構える。
10分ほどだろうか?
涼香が口を開いた。
「あ、いた」
「わっ、わっ!」
うねうねと床を這うムカデ。涼香は箒でバシッと叩いた。
「よくやった涼香!後はウチに任せて!」
箒が離れると動きが遅くなったムカデに、ウチは洗剤を思いっきり押し込んだ。
「どう?やった!?」
まだ動いてはいるけど、さっきよりだいぶ動きが鈍い。
「かけすぎだよ。もったいない」
そう言われると、床はもちろん涼香の足にもかかっていた。
「キツネビニール袋持ってきて、ティッシュに包んで捨てよう」
涼香はテーブルに置いてあるティッシュを取ろうと一歩前に踏み出すと
「ふぎっ!」
盛大に尻餅をついてしまう。
「大丈夫!?涼香!?」
「いってて。ぬるぬるする」
「それはね、洗剤が手にくっついて水に濡れやすくする為なんだ」
「いいから早く取ってきて」
「……」
ウチはビニール袋とティッシュを持ってくると、涼香が後処理をしてくれた。
それをゴミ箱に捨てると、世界が救われたように晴れやかな気分になった。
「いやぁ涼香お見事だったよ!まさかここまでの成果を上げてくれるなんて、脱帽だねっ!」
パチパチと拍手をして尻餅をついたままの涼香に手を伸ばす。
「お風呂入りたい」
「さすがに沸かしてないからね、シャワーで我慢しておくれ」
「しょうがない、おんぶして」
「なんで?」
「私が歩いたら洗剤の足跡が出来る」
それもそうか。でもおんぶしたらウチも洗剤がべったりと付かない?
んー……しょうがいない。英雄の我儘の1つや2つ聞いてあげなければ。
「ではお嬢様、ご案内致します、よっと」
涼香をおぶってそのままお風呂場へ行く。
その英雄は、小さくて軽く、どこも細い。大事に、しっかりと、転ばぬように丁重に運んだ。
「じゃあ服とか準備しとくから先に洗っててよ」
「うん」
ぽいぽいっと服を下着を脱ぎ捨て、あっという間に裸になる涼香。
「もうー子供じゃないんだから、ちゃんと洗濯機に入れなさい」
「キツネも入ろう、ぬるぬるだよ」
涼香は体を隠すことはしない。小さい頃からの付き合いだし、お互いそういった感情はない。もちろんウチも恥ずかしくはない。
「えぇ?シャワーだよ?」
「いいから入ろう」
我儘の1つや2つ、聞いてあげるのが今日の英雄に失礼ってもんだ。
「しょうがないねぇ」
服を脱いでお互い裸になり、そのまま一緒にお風呂場へ行く。
涼香は真っ先に座って首を上げて言う。
「洗って」
「はいはい、おかませくださいお嬢様ー」
ボディソープを手に取り、タオルに馴染ませ、泡立てていく。
小さな背中を優しく擦る。次に腕を持ち上げてまた優しく擦る。
細い体は簡単に折れてしまうんじゃないかと思うくらい、優しく丁寧に扱ってしまう。
「キツネ、目が開いてる」
「……え?」
「料理してる時以外も開くんだね」
「そ、そうだっけか?いつも通りじゃないかなぁ?」
「キツネ……意外と、えっち?」
鏡越しに小首を傾げながら微笑む涼香に、ウチは急には恥ずかしくなってしまった。
「そんな事ない!ほらもう後は自分で出来るでしょ!」
「出来るけど、自分でやっていいの?」
今度は悪戯する子供のような顔でウチを見てくる。
「いいよ!自分でやりなさい!」
まったくいつからこんな、ませた子になったんだい!
「はぁい」
ウチの英雄は頼もしくはあるけれど、度々困らせてくるから大変だ。
その小さな英雄に
「今日はありがとう」
「どういたしまして」
その小さな背中を後ろから優しく包み込む。
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