第32話 その拳は今日の為に

 わたしは重い腰を上げて、行かなければならない場所を頭の中で想像する。

 今はお昼休みがもうそろそろ終わる時間帯。職員室ではきっと先生達が電話などの対応に悩まされているんじゃないだろうか。生徒達は授業前で教室にいるはずだけど、自習の可能性があるだろうな。なるべく教室の前を通らないようにしよう。

 覚悟はしているけれど、少し怖い。

 わたしは五十嵐先輩に「それじゃあ、行ってきますね」とだけ言い残して屋上を後にする。

 重い右足を一歩前に出すと、右手を掴まれ、わたしの覚悟の一歩が遮られた。

「なんで1人で行くんだよ?一緒にだろ?」

 五十嵐先輩は笑いながら、わたしの隣に来てくれる。

「……そんな臭いして、人前に出て平気なんですかぁ?」

 わたしは嬉しい感情を抑えながら、五十嵐先輩を茶化してしまう。

「んっ~嫌だけど!千秋を独りにはさせたくないから」

 ほんと、いざという時は頼りがいのある先輩だ。


 わたしは最後に振り向いて誰もいない、何もない場所を見る。

 2人して寝転んだのはあの辺だろうか?まるで何年も前かのような思い出を思い返す。

 少し名残惜しくなる気持ちを抑えて、わたし達2人は一緒に屋上を後にした。



 校内の静けさが時間帯を物語っている。

 そろりそろりと周囲を警戒してしまう。別に怖くない、バレたら面倒だし、それに揶揄われたらそれはそれでムカつくから。


「何してんだよ?行くぞ」

 五十嵐先輩はわたしの手を引いて、最短ルートで職員室に堂々と向かって行く。

 ちょちょちょ?あれ?平気なの?

「何ビビってんだよ?もう私達は全校が知るカップルだぜ?気にした所で疲れるだけだっての」

 カッコイイ。わたしの恋人はカッコイイんだぞ、お前ら見たか?


 いくつか教室の前を通ると、わたし達に気付いたのか騒ぎ声が聞こえた。

 今日のはバカにされてるとかじゃなくて、「おめでとー!」とか「やるねー!」とか、そんな称賛の声が聞こえた。

 わたし達はその声に押されたのか、足は前へ前へと少し早くなる。





 職員室の前に来ると、がやがやと声が交じり合っていて所々しか聞き取れなかった。

 すみません、それに関しては、苛めは、ご迷惑を、申し訳ありません。

 そんな単語が耳に入ると、事の重大さがじわじわとわたしの心臓を締め付ける。


「浅野やっと来たか。五十嵐も一緒か、ちょうどいい」

 先生が立ち尽くしているわたしに気付いて声をかける。

「あ、あの、すみません、こんな事をしてしまって……」

「先生、千秋は悪くねえよ!やりすぎたかもしれないけど、それは」

「話は別の所でする、ついてこい」


 わたし達は先生の後ろをついて行く。3人は何も喋らず、ただ歩く。

 さっきまで聞こえなかった足音がよく聞こえる。

 校長室と書かれたプレートの前に立つと、先生が数回ノックをしてからドアを開いた。


「失礼します。浅野千秋、五十嵐楓子を連れてきました」

 先生の半分、いや3分の1程度の声量で、わたし達は続いて「失礼します」と頭を下げた。

 部屋の奥には覚えてないけど、その椅子に座っているのだからきっと校長先生。その隣に立っているのは確か教頭先生。高価そうなソファ、賞状やトロフィー、なんて物は後から目に入った。

 開口一番は教頭先生。

「放送室をジャックした者はどちらだね?」

「こちらの生徒です」

 先生に背中を少し押されると、頭が真っ白になってしまう。

「すみ、ませんでした」

 自分でも分かるくらい、凄く小さく、消えそうな声だった。ちゃんと謝らないといけない、ハッキリと。言い直そうとするが、それは叶わなかった。

「お前とんでもない事をしてくれたな!ご近所の方々からの問い合わせが殺到中だぞ!知っているのか!?」

 予想はしていた、覚悟もしていた。でもそれはだった。

 体が震えて、頭がクラクラする。謝らないといけないのに、目の前がゆらゆらと揺れる。

「聞いているのか!?あんな放送どう説明すればいいと思ってる!?虐めだの同性が好きだの!ふざけるな!虐めの方は無いと言えばいいが、くだらない恋愛ごっこで学校を巻き込むんじゃない!」


 これは怒りとか憎いとかムカつくとかの感情じゃない。素直に悲しい、そう感じてしまった。

 下を俯いては目に力を入れて、我慢して、耐えようとしても、流れる涙はわたしの意思に逆らってポタポタと床に落ちる。

「泣きたいのはこっちだ!泣けば許される事じゃないぞ!?一言の謝罪もないのか!?」

 わたしは嗚咽を押し込んでもう一度謝ろうと、しっかり前を向いて震える口を開けようとすると、体が引き寄せられる。


「教頭、浅野が謝罪する事は何一つありません」

 先生がわたしの肩に手を回して、引き寄せていた。

「何を言ってるんだ?」

「校長、虐めの証拠はあります。とある生徒達が目撃した所、写真だけでもと思って撮影されたそうです」

 先生はそう言って校長先生の机にプリントアウトした物を並べ始める。

「浅野、お前も確認しろ。これはお前で間違いないな?」

「……はい、わたしです」

「……」

 校長先生はただ黙って見ている。


「校長、こんな物は偽物の可能性もありますから……とりあえずは保留にして、この生徒の処罰を考えましょう?」

 教頭先生は先ほどまでの勢いはなく、どこか焦っているような様子だった。

「お言葉ですが教頭、去年はこう仰っていたのはお覚えですか?私が調べている時、ご自身がこの件は任せろと、校長と話しを進めているから目立った行動は控えろと。あの時の私は教頭の言葉を信じ、落ち着かない気持ちを抑えて言う通りにしました。未だに後悔してますよ、ただ自分の保身だけの為に裏で動いて、何事もなかった顔をした貴方を、一発ぶん殴ってやろうとさえ思いました」


 先生は五十嵐先輩にも肩に手を回して引き寄せる。

「五十嵐、本当にすまない。あの時の私は弱かった、あの時自分の意思で行動していたら、さくらはまだこの学校にいて、お前も留年なんてしなくて良かったかもしれない」


 先生の手に力が入るのが伝わる。どれほど悔しいのかは、わたしには想像できない。でも本気なのは伝わる。きっと五十嵐先輩にも伝わってるはず。


「去年の話を持ち出すな!今は飛んだ奴の事なんて関係ないだろ!!」


 その言葉にはわたしは怒り以外の感情はなかった。

 きっと一番は頭にきているのは五十嵐先輩。と思ったら既に教頭先生は吹っ飛んでいた。

「教育者を舐めるなっ!!このドブハゲがぁ!!!!」

 先生の拳が教頭先生の顔にめり込んでいたのは一瞬の出来事だった。

 一番辛かったのは先生なのかもしれない。

 わたしと五十嵐先輩は唖然としていて、怒りよりも驚きが勝ってしまった。


「ここ、こっ校長!!見ましたか!?暴力です!!一介の担任風情がっ!この教頭を殴りましたよ!?」

「……」

「……校長?」

「あぁ、すみません。目を瞑っていたので見ていませんでした」

「はっ?目を、えぇ?」


 校長先生は穏やかに笑っていた。ここにいる誰よりも落ち着いた様子で、椅子から腰を上げて、わたし達に深く頭を下げた。

「ごめんなさい、私も同罪だわ。先生と同じ、教頭の言葉を信用してしまい、本来するべき行動を疎かにしてしまいました。浅野さん、五十嵐さん、ここにはもういないけれど、すぐにでもさくらさんのご自宅まで向かい、誠心誠意謝罪をさせて頂きます。お二方には本当に申し訳ありません」


 校長先生がわたし達に頭を下げる。それは凄く異様な光景で、どうすればいいのか分からないわたしは、横に目をやるとどうやらわたしだけではなかったようだ。


「こ、校長!?頭を上げてください!こちらもに非がありますから!ほらお前らも謝れ!」

 先生がこれほど慌てているって事は余程の事なんだろう。

「ほほほ、貴方方は謝る事はありません。先生もさっきそう仰っていたではありませんか。教頭先生の方は私が、この件は大変だけれでも貴方に一任してもよろしいかしら?」


「はい。任せてください」


「校長!コイツが私を殴った事はどうなるんです!?」

「それならコレで妥協してもらいしましょう。足りないようでしたら……」

 先生は机に「退職願」を出した、拳を握りながら。


「嘘だろ!?先生!?」

「黙ってろ五十嵐、ここからは大人の話だ」


 確かにわたし達が首を突っ込んでいい話じゃないのは分かるけど、こんなのはさすがに嫌だ。

「受理はこの件が済み次第でお願いします」

「……分かりました。これは預かっておきます」


「それでは私達はこれで失礼させていただきます。行くぞ」


「浅野さん、貴女の放送とても素敵だったわよ?若いっていいわね」


 去り際に校長先生が頬に手を当てて、ほっこりした顔を見せる。

「ありがとうございます!」

 わたしは多分、人生で初めてここまで頭を下げたかもしれない。



 校長室を後にしたわたし達は、また先生の後ろをついていく。

 母親に付いて行くヒヨコのように、行先も知らないまま、ただただついて行く。

 廊下を通って、階段を昇り、昇って、その先は屋上。


「はぁぁー……疲れただろうお前らも?私も疲れた」

「いいのかよ教師がサボって?」

「どうせ残り短い教師人生だ。大目に見てくれてもいいだろう?」

 そんな先生の顔はどこか満足そうだった。

「あんさ、先生?色々酷い事言ってごめんなさい。知らなかったとはいえ、すげえ最低な事言ったよ……」

「気にするな、何も出来なかったのは事実だ。それよりお前らもよく耐え抜いたな偉いぞ」

「ほんと先生のお陰です。ありがとうございます!まぁ吹っ切れただけってのもありますけど」

「あはは!ほんとになっ!」

「五十嵐先輩は少しは反省してくださーい?」

 先生の前でイチャイチャしてると、先生は真面目な顔でわたし達の名前を呼ぶ。


「五十嵐、浅野、お前たちは明日から2日間の停学にする」

 突然の停学宣言。


「……ちょっと待ってください!わたしは分かりますけど五十嵐先輩は納得できません!」


「前にも言ったはずだ、私は平等に生徒達を見ると。まずは浅野にちょっかい出した奴は全員2週間の停学にする。重い罰だとは思うが、それほどの罪だとを身に刻んでもらう。それに周りにも理解してもらう為でもある。約束は出来ないが、精一杯掛け合うつもりだ。そして放送室で好き放題騒いだ浅野は当然、納得してくれるな?五十嵐については、そうだな。……浅野の暇つぶし相手にでもしてやれ」


 わたしは分かる。でも暇つぶしの相手役で停学なんて、平等ではないような。

「それでも納得できません!」

「千秋!いいんだよ!」

「良くないです!2日間とはいえ、ダメですよ!」

 五十嵐先輩はわたしの腕を引っ張って耳打ちしてくる。


「バカ、明日から土日だよ」

「………」


「う”ぅん!分かったな!?今日はもう帰れ!」


 わたし達は声を揃えて「はぁい!」と気の抜けた返事をした。



「先生、絶対教師辞めさせないからな?」

「あんなにカッコつけたんだ。嬉しいがカッコいいままの先生でいさせてくれ」

「そんなの知らないねー!私達が卒業するまでカッコいい先生を頼んだぜ!」


 そしてわたし達は放課後が来る前に足早に学校を後にする。







「ふふっ、拳を取っといて良かった…………痛ぅっ~」


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