第4話
◇ ◇ ◇
「――さ、上がって」
新改さんに連れて来られたのはマンションの一室だった。
鍵を解錠して扉を開く様子を見るに、どうやらここが彼女の自宅らしい。
「……お邪魔します」
初めてお邪魔する家に恐縮しながら足を踏み入れたわたしは、きょろきょろと周囲の様子を窺ってしまう。
整理整頓されているのか土間には新改さんが脱いだ靴しかないので、生活感が希薄だ。偏見かもしれないけれど、派手な印象がある新改さんの自宅としては
「綾ちゃ――叔母はまだ帰ってくる時間じゃないから、気を遣わずに過ごしてね」
緊張していたわたしは、新改さんの言葉で少し心に余裕が生まれて肩の力が抜けた。
もしかしたら彼女はわたしの緊張を読み取って気遣ってくれたのかもしれない。
「叔母さんと暮らしてるんだ」
「うん、そうだよ。叔母と二人暮らし。さっき言ったように私いじめられてたから、高校進学を機に地元を離れることにしたんだ」
新改さんにとってはいいきっかけだったのかもしれないけれど、そんな理由で地元を離れなくちゃいけないなんて寂しいよね……。新改さんも、家族も。
でも、環境を変えたことで新改さんが高校生活を楽しめているのなら、きっと家族も安心しているんじゃないかな。
「綾ちゃんが「うちにおいで」って言ってくれたんだよね。だからそれに甘えることにしたんだ」
叔母さんの名前が「綾ちゃん」なのかな?
さっきわたしに伝わるように言い直していたから多分そうだと思う。
「叔母さんが一緒なら安心だね」
「そうだね。でも、私より親のほうが安心してると思うけどね」
苦笑交じりにそう言う新改さんだけれど、きっと彼女自身が一番ホッとしているんじゃないかな。
高校から親元を離れる決断を下すのはなかなか勇気がいることだと思うから、近くに信頼できる大人がいるのは心強いはず。
もし叔母さんが受け入れてくれなかったら新改さんは今も地元にいたかもしれないしね。
「私はこっちに来たことで心機一転することができたけど、普川さんはそうもいかないだろうから、なにか別のきっかけがないと自分を変えるのはなかなか難しいよね」
「そう……だね……」
「だから、私がそのきっかけの一助になれたら嬉しいかなって」
歯切れ悪く頷くわたしに向かって新改さんははにかみながらそう口にすると、照れを隠すように足早に歩き出した。
新改さんの言葉に呆気に取られてしまったわたしは、なにもリアクションを取ることができなかった。ただただ呆然と離れていく彼女の背中を眺めることしかできずにいた。
「こっち」
「――あ、うん」
扉を開けたままの状態で呼び掛けてくれた新改さんのお陰で、置いてけぼりを食らってしまったわたしは我に返ることができた。
慌てて追いかけると――
「ここでちょっと待ってて」
新改さんは扉の先に鞄を置きながらそう言葉を残すと、廊下の先に姿を消した。
取り残されたわたしは彼女の背中を見送った後に、扉の先へ視線を向ける。
すると、そこには必要最低限の物しか置かれていない簡素な部屋があった。
状況から察するに、ここが新改さんの部屋だと思う。
でも、わたしが彼女に
なんかこう、もっと女子高生らしいというか、派手な印象があったんだよね……。
でもまあ、新改さんは叔母さんの家に居候させてもらっている身なわけだし、生活に必要な物以外は実家に置きっぱなしなんだと思う。
全部持ってくるとなると引っ越しが大変だし、高校を卒業したら実家に戻る可能性だってあるしね。
そうして勝手に納得したわたしは、部屋に入ってカーペットの上に腰を下ろす。
ミディアムブラウンのカーペットが落ち着いた色合いだからか、心なしかわたしの緊張が
多少緊張は
そんなわたしの心情を察したわけではないと思うけれど、ちょうどいいタイミングで開けっぱなしの扉の先から足音が聞こえてきた。
「――お待たせ。オレンジジュースでいい?」
その言葉と共にやってきた新改さんは両手でトレイを持っていた。
トレイに視線を向けると、二人分のグラスとクッキーが入った器が載っていた。
「うん。ありがとう」
わたしが頷くと、新改さんは「良かった」と口にする。
そしてわたしの対面に移動した新改さんは膝立ちになって、ローテーブルの上にトレイを置く。続けてトレイからグラスを取り出してわたしと新改さんの前にそれぞれ一つずつ置いた後に、クッキーが入った器を中央に置いた。最後に空になったトレイを床――新改さんの隣――に置く。
「はい、どうぞ」
膝立ちの状態からカーペットに腰を下ろした新改さんに促されたわたしは、「いただきます」と呟くと、グラスを手に取って口元に運んだ。
そして一口啜ると、甘味と酸味が口内に広がった。
さっぱりした味わいに一日の疲れが飛んでいくような気がする。――いや、そんなことで疲れが消えるわけがないので完全に勘違いだ。新改さんの自宅で彼女と間近で対面しているという状況に居た堪れなくて、現実逃避したくなっただけです……。
「私、思うんだよね。普川さんって素材はいいから身形に気を遣ったら化けるんじゃないかって」
「見た感じ今も
周囲から浮かないように身嗜みには気を遣っている。
あまり派手にしすぎると目立ってしまうし、身嗜みに無頓着でも悪目立ちしてしまう。だからメイクや服装は最低限勉強して、女子高生として浮かないように心掛けている。――まあ、メイクはBBクリームを塗って眉毛を整えるくらいしかしていないけれど……。
それはともかく、新改さんに身嗜みがしっかりしていると思われているのは、わたしにとって安心できる材料だった。努力が報われる気分だ。
でも――
「あまり派手なメイクは必要以上に目立ちそうだから嫌かな……。それに服もお母さんに見つかっちゃうから厳しいと思う。いろんな服を着てみたいとは思うけど……」
わたしが二の足を踏む原因がこれだ。
「あ~、確かにあんまり派手にしすぎると先生に目を付けられてしまう可能性があるし、服はお母さんと暮らしてると隠しようがないもんね……」
納得した新改さんは脱力して左手で頬杖をつくと、右手をクッキーに伸ばす。
「……なら私服は無理でも、制服だけ工夫するのはどう?」
クッキーを二口で食べた新改さんが
「制服だけ……?」
「うん。どうせ一番着る機会が多いのは制服だし、持っていて当然だからお母さんに見られても問題ないしね」
わたしが首を傾げると、すかさず頷いた新改さんは淀みなく説明してくれる。
「メイクは今のままでもいいと思うけど、着こなし方を変えた制服に合わせて少し弄ったほうがいいかもね。もちろん、派手になりすぎない範囲で」
派手になりすぎないなら今とは違うメイクをしてみてもいいかもしれない。
もしかしたらメイクに感化されて自分の価値観に変化が生まれるかもしれないからね。
「やっぱり女の子なんだから、自分が一番魅力的に映る格好をしないともったいないでしょ?」
そう言ってウインクする新改さんが一番魅力的だと思います。
わたしにはとても輝いて見えます。眩しくて目を瞑ってしまいそうになるくらいです。
「でも、わたし自信ないよ? なにが良くてなにが合わないのか、そういうの良くわからないから……」
社会に埋没するのは得意だけれど、自分を良く見せたり着飾ったりするのは苦手だ。そもそも知識がないし、自分の魅力もわからない。
お母さんのほうがわたしより早い時間に家を出るから、支度する姿を見られる心配はない。
帰宅するのもわたしのほうが早いので、お母さんが帰ってくる前に部屋着に着替える余裕はある。
だから、やろうと思えばやれる――私の気持ち次第で。
「う~ん。なら一度、私の見立てでやってみてもいい?」
そう提案されたわたしは、仮に上手くいかなくても自分のせいじゃないと言い訳できる、と相も変わらず他人任せの精神で頷いた。
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