第3話
「――え」
「だって普通の人は、〝普通〟なんて気にして過ごしてないでしょ?」
驚いて漏れてしまったわたしの声が聞こえていたのかいないのかわからないけれど、新改さんは気にした素振りを見せずに言葉を続ける。
「少なくとも私は気にしてないよ? 昔はともかく」
「……普通は気にしないの?」
「そりゃ、周りから浮かないようにとか、変な目で見られてないかなとかは、多少気にするかもしれないけど、普川さんみたいに〝普通〟でいるために〝普通〟でいようと固執する人はそうそういないんじゃないかな?」
新改さんの指摘にわたしの中でなにかがガタッと崩れる音がした。
長年地道に積み上げてきた物が崩れ落ちるような感覚だ。
「……変かな?」
「変って言うか、逆に目立つと思うよ」
「……」
確かになにかに憑りつかれたように〝普通〟に固執している人は目立つかもしれない……。普通の人はそんなに〝普通〟を気にしないのなら尚更……。
「でも、わたしは無個性だからそんなに目立ってないはず……」
「普川さんは没個性ではあると思うけど、無個性ではないんじゃないかな」
現実逃避気味のわたしの願いは即座に否定されてしまう。
「だって、そんなに〝普通〟に拘ってる特徴があるんだし、それはもう立派な個性でしょ?」
反論できない指摘に言葉が出てこない……。
「でも没個性ってことは埋もれることができてるってことだから、上手くやれてる証拠でもあるんじゃないかな」
「だといいんだけど……」
「実際、普川さんの違和感に気づいたのは私しかいないみたいだしね」
新改さんの言う通り、わたしが〝普通〟に拘っていることに気づいた人は今までで彼女しかいない。だからちゃんと埋没することはできているはず。
埋もれられているのは努力が実っている証拠だから嬉しいけれど、透明人間である事実を改めて突きつけられているような気がして悲しくもなってしまう。
「それになんとなくなんだけど、普川さんは現状に満足してないんじゃないかな、って思ったんだよね」
「……満足してないっていうか、お母さんの言葉に縛られてると自覚してるのに、それに抗うことができない自分に嫌気が差してるって言ったほうが正しいかな」
納得した上で社会に埋没する自分を演じているならなにも不満はない。
でもわたしの場合は、自我が芽生える前からお母さんに歪んだ常識を刷り込まれているので、疑うことなく自然と受け入れていた。
しかし、小学校、中学校、高校と進んで行くうちに社会の常識を身につけていったのと、自分の意思を持つようになったのが影響して、周囲との違いに違和感を覚えるようになった。
そして昔は当たり前のように受け入れていたお母さんの言葉を、今は自分を縛る鎖だということをはっきりと自覚している。
〝普通〟に固執するあまり、〝普通〟ではなくなっていると新改さんに指摘されたのも相まって、より一層、自分の
だというのに、わたしは抗うことも自分を変えることもできない。
一歩を踏み出す勇気も、変わろうという発想もない。
自分ではなに一つ変えることができない。
そんな自分に心底嫌気が差す。
だからお母さんの言葉が呪縛になっていると自覚してからは、どんどん自分のことが嫌いになっていく。
いっそのこと誰かがわたしの手を無理やりにでも引っ張って、もっと広い世界に連れて行ってはくれないだろうか――と他人任せな考えが脳裏を
「自分を変えるのってそう簡単なことじゃないからねぇ……」
訳知り顔でしみじみと頷く新改さん。
「私は変えるって言うよりは、いじめられる前の性格や立ち回りに戻っただけだからなぁ~。もちろん、昔よりも立ち回りは上手くなったけどね」
「その状況を打破しようとする姿勢に尊敬しか湧かないよ」
「はは、ありがとう」
わたしの素直な感想に、新改さんは照れ臭そうに頬を掻きながら笑みを零す。
そのはにかんだ表情が可憐で、女のわたしですら魅了されてしまう。
なんだか彼女が男女関係なく人気な理由の一端を垣間見た気がする。
同性のわたしですらドキッとしてしまうのだから、今の彼女の表情を男性が目の当たりにしたら間違いなく見惚れてしまうだろう。
「元の自分に戻るだけの私より、新しい自分に変わらなきゃいけない普川さんのほうがハードル高いだろうし、なかなか難しい問題だよね」
「今とは違う自分の姿なんて想像もつかないよ」
そもそも変わろうという発想すらなかったくらいだからね……。
違う自分の姿なんて想像できるわけないよ……。
「ん~、内面は簡単に変えられるものじゃないから、まずは外見から変えてみるのはどう?」
「……外見から?」
小首を傾げながら提案する新改さんに釣られるようにわたしも首を傾げる。
「外見を変えると気分も変わるからね」
「……なるほど?」
外見を変えたことがないから実際のところはわからない。
でも、一理あると思う。
制服を着たら身が引き締まって勉強に集中できる気がするし、部屋着だと気が緩んでだらけてしまうからね。
「まあ、普川さんにその気がないならまったく意味のない話だけど」
「それは……そうだね……」
正直、今のわたしとは違う自分に興味はある。
想像はつかないけれど、新改さんやほかのクラスメイトみたいに輝いてみたいと思う。無彩色のわたしに鮮やかな色が付いたらいったいどうなるのか知りたい。
だからわたしは、肩を竦める新改さんに苦笑しながら頷くという曖昧な態度を示した。
「悩んでるなら一度試してみるのもいいかもね。何事も実際にやってみないとわからないし」
確かにその通りだけれど、わたしには一歩踏む出す勇気がない。
そもそも言い訳ばかり口にして前を向こうとしないわたしなんかに、そんな勇気があるわけがない。あるならとっくに試している。
「決められないなら騙されたと思って、私に任せてみない?」
決断できずにうじうじと悩んでいるわたしをみかねたのかわからないけれど、新改さんがそう提案してきた。
安心するような彼女の声色に背中を押されたわたしは、 反射的に「うん」と頷いていた。
差し伸べられた手を取って上手く行ったらそれでよし。失敗したら人のせいにできる、と卑怯な考えを頭の片隅に思い浮かべながら――。
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