第2話

   ◇ ◇ ◇


「――さ、行こう」


 放課後になり、帰り支度をしていたわたしのもとに新改さんがやって来ると、唐突にそう口にした。


「……どこに?」


 放課後付き合って、と言われていたけれど、なにをするのかも、どこに行くのかも聞かされていない。

 唐突に「さ、行こう」と言われても、わたしとしては疑問しか浮かばない状況だった。


 別に新改さんのことを警戒しているわけじゃないけれど、なにもわからない状況ではどうしたって足が重くなってしまう。


「それは歩きながら話すよ」


 クラスメイトの視線がある中で人気者の彼女にそう言われてしまっては、悪目立ちしないように大人しくついて行くしかない。


 わたしのような、なんの特徴もない平凡で〝普通〟なクラスメイトのことを人気者の新改さんが誘っても、誰とも分け隔てなく接する彼女ならなにもおかしなことはないと周囲の人たちは勝手に納得してくれる。


 まあ、そもそもわたしはクラス内で嫌われているわけでも、敬遠されているわけでもないので、新改さんと仲良くしていても変に思われることはないはずだ。

 嫌われたり白い目で見られたりするのは目立ってしまうことと同義だと思うから、その辺は〝普通〟のクラスメイトでいられるように心掛けている。


「わかった。とりあえず、新改さんについて行くね」


 会話しながら帰り支度を済ませたわたしは、一先ず新改さんの言葉に納得して頷くと、重くなっている足に軽く鞭を打って一歩踏み出した。


 そうしてわたしは大人しく新改さんについて行った。

 彼女には「歩きながら話すよ」と言われていたけれど、結局なにも説明がないまま校門まで辿り着いてしまう。


 説明が欲しいと口にすることができないわたしは、半歩下がった位置から新改さんを眺めることしかできない。微かに見える横顔に目を向けても、彼女がなにを考えているのかわからなかった。


「――私、普川さんの気持ちがわかるんだ」


 説明を欲するわたしの気持ちが通じたのかはわからないけれど、校門を抜けて人気ひとけが少なくなったタイミングで、新改さんが正面を向いたままおもむろにそう口にした。


「わたしの気持ちが……?」

「うん。〝普通〟に拘る普川さんの気持ちがね」


 脈絡のない言葉に戸惑うわたしが無意識に口にした問いに、新改さんが間を置かずに頷く。

 頷いた新改さんの背中にどことなく哀愁が漂っているように見えるのは気のせいだろうか?


「新改さんが……?」


 いろどりに満ちている新改さんにわたしの気持ちがわかるって……?

 わたしとは正反対にいるような人なのに……?


「はは、まあ、そういう反応されるのは仕方ないかもね……」


 思わず疑うような視線を向けてしまったわたしの顔を横目でチラッと確認した新改さんは、苦笑しながら頬を掻く。


「私、今はみんなと仲良くさせてもらってるけど、昔はいじめられてたんだよね」

「え……」


 新改さんみたいにクラスの人気者になれるような人がいじめられていたって、そんなことあるの……?


 意外感に包まれたわたしは、チラッと新改さんの顔に目を向ける。

 過去に想いを馳せるように遠い目をする新改さんの顔に影が差したような気がしたけれど、彼女はわたしの前を歩いているから横顔を覗くことしかできなかったので、はっきりと確認することはできなかった。


「自分で言うのはなんだけど、私、小学生の頃、男子に人気があったんだよね。でも、それが気に食わなかった女子グループに目を付けられちゃってさ」


 やっぱり当時から男子に人気だったんだ……。

 そこは今と変わらないんだね……。

 まあ、新改さんは美人さんだし、小学生の頃は凄くかわいかったんだろうな……。


「男子にはバレないようにいじめられて、それが卒業するまで続いたんだ」

たちが悪い人たちだったんだね……」


 男子に人気な新改をいじめるなら理に適ってはいる。

 もし男子にバレたらきっと新改さんの味方をするだろうから、いじめている人たちが不利になってしまう。男子を敵に回さないように上手く立ち回っていたに違いない。


「ほんとにね……。その狡賢さを勉強に使えばいいのにって思ってたよ」


 溜息交じりにそう口にした新改さんは肩を竦める。


「卒業した後、いじめっ子グループのリーダー的存在だった人は私立に行ったから離れることができたけど、ほかのメンバーはそのまま同じ中学に進学したからいじめも継続したんだよね」


 公立の中学校は学区で進学先が決まるから、同じ小学校の多くの人とそのまま一緒に進学することになる。だから必然的に加害者と被害者も一緒になってしまう。


「まあ、リーダー的存在の人がいなくなったからいじめ自体は軟化して、嫌がらせを受けたり、憂さ晴らしに利用されたりするくらいになったから小学の頃よりはマシだったけどね」


 新改さんは笑い話のように軽い調子で言うけれど、それは笑って済ませられる話じゃないと思う……。

 でも彼女の中ではもう過去の話として割り切ることができているのかもしれない。だから今は笑い話にできるんだと思う。――まあ、わたしに気を遣って明るく振舞っているだけかもしれないけれど……。


「だから昔はなるべく目立たないように自分を殺して生きてたんだ。いじめっ子たちの気に障らないようにね」

「そうなんだ……。だからわたしの気持ちがわかるって言ったんだね……」


 新改さんは相変わらず軽い調子で「そそ」と頷くけれど、わたしとは全然違うと思う。

 だって、新改さんはわたしよりもずっと苦しい境遇にいたはずだから――。


 確かにわたしも自分を殺して生きている。

 でも、それはいじめがきっかけではない。

 ただ単に、親の言いつけを頑なに守っているだけだ。


 親の顔色を窺っているところは、新改さんがいじめっ子の気に障らないように過ごしていたのと似ているかもしれない。

 とはいえ、近しい物があるだけで本質は全然違う。


 身を守るために自分を殺すしかなかった新改さんと、なにか特別なきっかけがあったわけでもないのに親に萎縮しているわたしを一緒にしてはいけない。

 一緒にしたら一人で戦ってきた新改さんに失礼だ。


「でも、わたしと新改さんでは境遇が違うから気が引けるかな……。わたしは辛い目に遭ったわけじゃないのに、自分で勝手に周囲の顔色を窺ってるだけだから……」


 口ではそう言いつつも、理解者ができたような気がして心なしか嬉しく思っている自分もいる。


「なんで普川さんがそんなに〝普通〟に拘ってるのか私にはわからないけど、なんとなく昔の自分に重なる部分があって放っておけなかったんだよね」


 苦笑交じりにそう口にした新改さんは、「余計なお世話だったら出しゃばってごめんね」と言葉を続けた。


「それは全然大丈夫」

「そっか。なら良かった」


 わたしの言葉に安堵したのか、新改さんは小さく笑みを零す。


 もしかしたら新改さんが誰とでも分け隔てなく接するのは、孤独の痛みを知っているからかもしれない。だから今も距離感を間違えずに済んで安心しているのだと思う。


「別に大層な理由があるわけじゃないからね。わたしはお母さんの言いつけを守ってるだけだし」

「……言いつけって?」

「目立つな、変わったことをするな、普通にして、とかかな」

「あぁ~、なるほど」


 納得したように頷く新改さん。


「幼い頃から親に言われ続けたら意識に刷り込まれちゃうよね。一種の洗脳みたいなものだし」

「う、うん」


 前半部分は同意するけれど、後半の部分はちょっと過激な言い方だから反応に困ってしまい、ぎこちない頷きになってしまった。


「理由はわかったけど――」


 そう呟いた新改さんは足を止めて振り返ると――


「〝普通〟〝普通〟って、そんなに〝普通〟に拘ってる時点で、〝普通〟じゃないよね」


 わたしの顔を見つめながら妙に耳に残る落ち着いた声音でそう口にした。

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