透明なわたしが彩づくまで

雅鳳飛恋

第1話

 ――わたしは透明人間だ。

 世界はいろどりに満ちているのに、わたしには色がない。

 クラスメイトは輝いているのに、わたしは無彩色。


 どこにでもいる〝普通〟の女子高生。目立たないけれど、孤立しているわけでもない。本当になんの変哲もない無個性のかたまり


 それがわたし――普川ふかわ穂波ほなみだ。


 そんなわたしは幼い頃からお母さんに、目立つな、変わったことをするな、普通にして、と口酸っぱく言われ続けてきた。

 世間体を気にしてのことなのか、トラブルに巻き込まれたくないからなのか、面倒を排除したいのか、わたしが周りから浮いて孤立することを心配してなのかはわからないけれど、とにかく個性を殺す教育方針だったと思う。


 お母さんの言葉が呪いのようにわたしの心を締め付けて、自然と〝普通〟に過ごすように心掛けるようになった。

 周囲から浮かないように〝普通〟に友達を作って、〝普通〟に遊んで、〝普通〟に学校に行って、〝普通〟に勉強して、そんな誰もが当たり前のようにすることを〝普通〟におこなってきた。派手なことや変わったことはせずに、悪目立ちしないように努めている。


 それらが自分を縛り付ける呪いだとわかっているのに、呪縛に抗うことができないわたしは、元から社会に埋没する透明人間になる素質があったのかもしれない。まったく嬉しくない才能だ。


「普通って、なんだろう……」


 昼休みの教室で自分の席に座って窓の外をぼんやりと眺めていると、初夏の訪れを知らせるように揺らめく瑞々しい若葉を芽吹かせた木々に自然と視線が吸い寄せられて、なにを思ったのか無意識にそう呟いていた。もしかしたら感傷的になっていたのかもしれない。


 物思いに耽って独り言を呟くという〝普通〟ではない変わったことをしてしまった事実に、クラスで浮いていないか、と不安になってしまい、チラリと視線を彷徨わせて周囲の様子を窺う。


 小さな呟きだったお陰か、幸いにもクラスメイトたちの話し声に紛れてくれて誰かに気づかれた様子はなく、いつも通り埋没まいぼつすることができていた。


 しかし――


「――私は普通なんてこの世に存在しないと思うよ」


 たまたまわたしの隣を通りすぎたクラスメイトが、振り向きざまにそう声をかけてきた。


「――え」


 誰にも気づかれていないと安心していたわたしは、不意を突かれて若干上擦った声を漏らしてしまう。


 内心では焦りながらもなんとか平静を装って見上げると、そこにはクラスの人気者――新改しんかい希望のぞみさんの姿があった。


 彼女は明るくて誰にでも分け隔てなく接する美人さんだ。

 それこそ、わたしのような透明人間にもほかのクラスメイトに対する態度と変わらない距離感で接してくれる。


 かわいい系よりも綺麗系に分類されるような、目鼻立ちのはっきりとした彫像のように整った美しい顔立ちをしている。

 スラっとしていながらも程よい肉づきの胸と、モデルのように長い手足を備えており、女性なら誰もが憧れてしまうようなスタイルの持ち主だ。


 着崩したブラウスの胸元からチラッとあらわになっている胸や、短いスカートとアンクレットソックスの間に広がる傷一つない綺麗な脚に、女のわたしでも自然と目が行ってしまう。


 金色に脱色している髪は鎖骨を少し越えるくらいの長さの脱力ウェーブにしており、可憐でありながらも色気がある。

 髪の隙間からチラリと見えるピアスや、手首で存在感を放っているブレスレットが派手な印象を与えている。


 一見するとギャルのような出で立ちだけれど、そこまでけばけばしいわけではない。派手さと上品さを上手く融合していて、女性らしい魅力に溢れている。


 目立たないように〝普通〟を心掛けているわたしとは大違いだ。

 自分の意思でやっていることとはいえ、わたしなんて女の魅力を微塵も感じられない地味子だから……。


 正直言うと、周りの目を気にすることなく自分を魅力的に着飾るところや、個性を貫いている新改さんにわたしは憧れている。

 自分にはない物をたくさん持っている彼女の姿がとても輝いて見えて、ただただ眩しく映る。


 でも、わたしにはお母さんに掛けられた呪いを解く勇気がない。


普川ふかわさん……?」


 ――あ、いけない。

 情けない声を漏らしたきり反応がなかったからか、新改さんはしゃがみ込んで怪訝そうにわたしの顔を覗き込んできた。


 つい新改さんに見入ってしまって無視する格好になってしまった。せっかく話し掛けてくれたのに、ごめんなさい……。


「ごめんなさい。ちょっと考えごとをしてて……」


 慌てて頭を下げると、新改さんは軽い調子で「そっか」と頷いた。

 気分を害した様子がない新改さんの表情を確認して安堵したわたしは、胸中でホッと一息吐く。


 クラスの中心に位置する人気者の気分を害してしまったら変に目立ってしまうし、最悪ほかのクラスメイトを敵に回してしまうかもしれない。

 そんな目立ち方をしてしまったら、どこにでもいる〝普通〟のクラスメイトでいられなくなってしまう。


 普通と言えば、さっき新改さんが気になることを口にしていた。

 普通がこの世に存在しないって、どういう意味だろう……?


「さっきのどういう意味……?」


 気になったわたしは、遠慮がちに尋ねてみた。


「さっきのって……普通なんてこの世に存在しない、って言ったこと?」

「うん」


 ついうっかり言葉足らずの問いをしてしまったけれど、新改さんにはちゃんと意味が伝わってくれた。


「普通の形って人の数だけあると思うんだ。だから自分が普通だと思っていることが、ほかの人にとっては変わったことかもしれない。その逆もしかりだね」

「人の数だけ……」


 わたしが今まで考えもしなかった視点だ。

 確かに〝普通〟という形のない概念に対する解釈は人によって異なるのかもしれない。


 それこそわたしが〝普通〟だと思ってやっていることが、ほかの人にとっては奇異に映っている可能性だってある。

 もしそうだとしたら、今までわたしが周囲から浮かないように取り組んでいたことはなんだったのか、という話になってくる。


「普川さんはなんで普通について考えていたの?」


 悪いほうに考えが向かおうとしていたところで、新改さんがそう尋ねてきた。

 そのお陰でわたしの思考が現実に引き戻されて、沈みかけていた気分が霧散した。


「……わたしは〝普通〟にしなきゃいけないから、かな」


 なんて答えたものか、と考え込みそうになってしまったけれど、諦めて素直に伝えることにした。そうしないといつまでも思考の海に深く潜り続けてしまう気がしたから……。


「……なんで普通にしなきゃいけないの?」


 不思議そうに目をしばたいた新改さんが首を傾げる。


「〝普通〟にしないと周囲から浮いちゃうし、悪目立ちしちゃうから」

「確かに周囲から浮くのも変に目立っちゃうのも嫌かもしれないけど、それは気をつけることであって、〝普通にしなきゃいけないこと〟ではなくない?」


 先程までの不思議そうな表情とは打って変わって真剣な顔つきなった新改さんは、一呼吸置いた後に再び口を開く。


「普川さんが言う〝普通にしなきゃいけないこと〟には義務感が籠ってる気がするんだよね」

「義務感……」

「どことなく強迫観念に囚われているような感じって言えばいいのかな……」


 確かに強迫観念に駆られて義務を果たしているような節はある。

 だって望んで〝普通〟でいようとしているわけじゃないから。


 でも幼い頃からお母さんに言われ続けてきたせいか、自分でも外すことのできない枷のような物がわたしの心にきつく嵌められている。

 新改さんのような人に憧れることはあっても、自分も同じようになろうと思える勇気はない。


 そんな情けない自分に嫌気が差す時があるけれど、むしろ、お似合いだな、と自嘲気味に安心してしまう時もある。


「まだ普川さんと交流が浅い私でも感じるほどだよ」


 新改さんとは二年生になってから同じクラスになった。

 まだ進級してから二カ月しか経っていないから、当然それ相応の付き合いしかない。元々、新改さんと特別親しいわけじゃないから尚更だ。


 そんな彼女でもわかるくらい、わたしの〝普通〟は歪だったらしい……。


「まあ、……」


 意味深にボソッと呟いた新改さんの表情は、どことなく悲しそうであり、達観しているようでもあった。


「新改さんだから……?」

「……ごめん。気にしないで」

「う、うん」


 新改さんが口にした言葉と表情が気になったけれど、深く踏み込むのはそのほか大勢のクラスメイトとして〝普通〟ではないと思い、大人しく引き下がった。


 しかし、お互いに口を閉ざしてしまったせいで沈黙が場を支配してしまい、なんとも言えない微妙な雰囲気が漂ってしまう。


 でも、なんだか居た堪れない気分になりかけたタイミングで、ありがたいことに昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ってくれた。


「――普川さん、今日の放課後、時間ある?」


 チャイムを耳にした新改さんは立ち上がると、そう尋ねてきた。


「あるけど……」


 予想外の問いに、わたしは生返事をしてしまう。


「そっか、良かった。ならちょっと放課後付き合ってくれない?」

「う、うん。わかった」


 大して親しくもないわたしになんの用だろう? と不思議に思いながらも、クラスメイトとして〝普通〟に頷いた。

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