第32話 アクシデントは突然に

 熱気のこもった空気が温くなりつつある十月。

 俺は携帯の前に溜息を吐いていた。

「……何を言われるやら」

 画面に表示されている名前は『父』。

 人生で片手で足りる回数しかかけたことの無い電話相手に辟易した溜息が漏れ出る。

 あの日、悪魔を相手に立ち回ったものの、奴の『与えてないのに幸せにしてもらってる』と言う台詞は嫌に効いた。

 湊月を幸せにしたい気持ちは誰よりもあるが、その為の手段が俺には圧倒的に足りていない。

 湊月を養う能力も、湊月の願いを叶える甲斐性も、湊月と幸せになる思案すらも。

 その為に俺は手段を選んでる場合じゃない。

 利用できるものは利用する。

 縋れるものには縋る。

 くだらない見栄に振り回されて湊月を不幸にするぐらいなら、見栄なんぞ犬にでも食わせてどんなことでもしよう。

 俺は携帯を手に取って呼び出しボタンを躊躇なく押した。

 無機質なコール音が何度も耳に響く。

 出ない。

『現在お客様は、電話にお出になられる状況におりません』

 しばらくすると留守電のメッセージが流れる。

 そりゃそうか。相手は腐っても国家を代表する人物だ。それはさぞ多忙を極めることだろう。

 俺は留守電にメッセージを残す。

「この前の話、詳しく聞かせてくれ」

 本題だけを告げて俺は通話を切り、携帯を机に放り投げる。

 謝罪も弁解もとりあえずは要らないだろう。

 あちらがしてきたことに比べれば俺の非礼など些細なことだろうし、むしろあちらから要件を伝えに来たことに返事をしただけ有難いと思えという話だ。

「……こんな調子で話せるのか」

 思わず一人ごちる。

 生まれて数えるぐらいしか見たことの無い親の顔。

 その間の空白と孤独の時間を考えると、湧き出る怒りが脳を刺激して、まともに話せるビジョンが浮かばない。

 だがそれは、あくまで俺だけの理由であり、一緒に生きたい彼女には関係の無い話だ。

 湊月を思えばこの程度のこと乗り越えられなくてどうする。

 そんな悶々した思いを頭の中で反芻させてると、何の気なしに点けていたテレビが少し騒がしくなる。

 速報だ。あの画面上部に白抜きの文字で出てくるあれだ。

 大体はそんなに関係ないことなのだが、あの音を聞くと妙に気になってしまうのは性というものだろう。

 俺はその文字を眺める。

「……は?」

 その文字に俺は面を喰らう。

『鷲崎剱総理大臣。演説中に壇上に上がった男に切りつけられ重傷』

 正に今、電話をかけようとしていた相手の名前がそこには映し出されていた。



「興くん!」

 大学から帰ってきた湊月が部屋に入ると同時に、焦った声で俺を呼ぶ。

「湊月?授業は?」

「それどころじゃないでしょ!?お義父さんは!?」

 どうやら湊月もあのニュースを見て飛んできてくれたらしい。いじらしい彼女だ。

「分からない。こっちから連絡を取る手段も今のところ無いしな」

 要人の緊急搬送先なんて報道できないだろうし、独自で調べる手段も今のところ私用の携帯しかない。

「連絡は!?」

「来てないし、こっちからもしたけど反応が無い」

 別件での電話だったが、奇しくもこちらから状況を窺うことになった。

 それでも反応が無いのだから、本当に重傷なのだろう。

「心配じゃ、無いの?」

「心配?アレを?俺が?」

 感情の灯らない言葉が口から出る。

 どうやら俺は本当に奴のことが心底に嫌悪しているらしい。

 ふと湊月の顔が視界に映る。

 悲しそうな、不安そうな、複雑な表情で俺を見ている。

「……こっちも八方塞がりなんだ。状況を知るにも向こうからの連絡待ち以外出来ないんだよ」

 バツが悪くなって視線を逸らす。

「私、心配かどうかしか聞いてないよ…?」

「っ……」

 湊月に見透かされたような気になって、歯を強く噛み締めてしまう。

 悔しさとか怒りとかでは無く、不仲だと言い聞かせながら、その実はあの男の現状を探ろうとしている自分が不可解で仕方がなかった。

 ふと、俺の手に湊月の小さな美しい手が乗せられる。

「お義父さん、心配だよね」

「……」

 湊月の柔らかい笑みに俺は何も答えることが出来なかった。



 とはいえ先方から連絡が無ければ何も出来ないのは事実。

 俺達はひとまず日々の生活を行うために、大学へ向かう。

 勿論、隣には手を握ってぴったりと体を寄せる湊月が、嬉しそうに小さく揺れながら共に歩を進めている。

 湊月は学内でも有名な美人であることは周知の事実ではあるが、そんな彼女に俺のような凡夫な彼氏が出来たことはまだあまり知られていない。

 わざわざ言いふらすことをしないのもあるが、顔面偏差値の差や、そもそもカーストの差があまりにあることから、俺が湊月の彼氏であることを信じられない、と言いたげな眼差しをいたるところで差し向けられる。

 つまり釣り合わなすぎて信憑性が無いということだ。

 だが、そんな中にもしっかりと現実を見据えられる人間はいる。

「か、菅野?」

 ちょうど正門をくぐったあたり、石畳で舗装された道を俺達の向かいからやってきた一人の男が湊月に声をかけてきた。

 その男は俺とほぼ変わらない180cmぐらいの身長のため、細く鋭い目線が同じ高さでぶつかり、明るい金色のショートヘアがワックスで綺麗に逆立っていて、左右の耳にそれぞれ銀の小さな円環が下がって光を反射している。少しダボついたトレーナーと太めのジーンズから見受けられる風貌は、小洒落た男子大学生そのもの、詰まるところパリピと言う奴だ。

 寺沢という名前だったか。湊月に少し前に聞いたような気がするのだが、顔を覚えていないせいかしっかりとは覚えられないな。

 余談だが同じゼミ生であり、海でも先日の学校でも絡んできた奴でもある。

「寺沢君。おはよう」

 満面の笑みのまま湊月は寺沢に挨拶する。

 眩しすぎる笑顔に当てられたか、寺沢は一瞬頬を染めて息を詰まらせたが、すぐに頭を振ると俺に向けて指を差し向ける。

「なんでそんな奴と一緒に、しかも手を繋いで登校してるんだ!?」

 人のことを指差すのはダメなんだぞ寺沢。なんて見当違いなことを考えながら、ちらと湊月に視線を落とす。

 湊月は不思議そうな顔をしながら、寺沢の顔に視線を返していた。

「なんで、って私の彼氏だからだよ?」

 それ以外に何が?とでも、言いたそうな顔と僅かに傾けた小首の角度は非常に愛らしいが、それを言うのはどうなんだろうか。

「み、湊月」

「もういいでしょ。一週間ぐらい学校でべったりしてるんだから、皆大体察してるよ。寺沢君もそうでしょ?」

 湊月の挑発的な声と視線を食らった寺沢は、再び息を飲んでから口を重苦しく開いた。

「み、見たことが全部じゃないだろ。菅野は優しいからその陰キャにもスキンシップとして接してるだけかもしれないし」

「私ってそんな軽々しく人に触ったりした?少なくとも寺沢くんにはそんなことした憶えは無いかな」

「俺は別にそんな事されなくてもちゃんとコミュニケーション取れるからな。その陰キャと同じにされても困る」

「そっかぁ。それじゃ別に私が優しさで興くんにしがみついてても問題ないよね?邪魔しないで欲しいな」

「っ…、陰キャ!」

 湊月に言い負かされそうになって焦ったのか、寺沢がピアスを揺らしながら俺に視線を刺す。

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