40 壁に耳あり障子に目あり
目を閉じると、ラガルティハの居る部屋の光景が浮かび上がる。目を閉じたというのに、瞼の裏にこうして目を開いている時のような景色を見ているというのは違和感があったが、これから起こるだろう展開にワクワクが止まらなかった。
そして、その時は思ったより早く来た。
刻印を繋げて一分も待たぬ内に、数回ノック音が聞こえた。ベッドの上でお布団蓑虫になっていたラガルティハは、びくりと体を震わせて、頭の半分だけ毛布から出してドアの方を向いた。
「ルイです、お薬を持ってきましたよ。入っても良いですか?」
ラガルティハはキョドキョドと視線を彷徨わせていたが、ややあって、聞き間違えか空耳かと思う程小さな声で「良い」と答えた。
ルイちゃんはあまり音が鳴らないようにドアを開けて入ってくる。刻印はドアに近い場所に貼り付けていたので、音が控えめだったのと、視界の端にドアが見えた程度だったが、きっとルイちゃんは優しい表情をしていたのだろうと確信する。だって、キョドりまくって恐怖の色を浮かべていたラガルティハの、目元の緊張が少しだけほぐれたのだから。
多分。きっと。恐らくは。少なくとも私にはそう見えた。
推しカプフィルターがかかっていそうだとは思う。
サイドテーブルに薬とマグカップが乗ったお盆を置いて、視線を合わせるように屈んでルイちゃんは話しかける。
「具合はどうですか?」
「……」
「お薬、飲めそうですか?」
ラガルティハは返事こそはしなかったが、恐る恐ると言った様子で体を起こす。起き上がるのを待って、ルイちゃんは薬とマグカップを差し出した。
薬は丸薬タイプのもので、粉薬よりはまだ飲みやすい。最初の方に粉薬のまま飲ませようとした所、盛大に咽せてしまったので、こちらに変更になった。
しかし、それでも最初に粉薬で大失敗したトラウマのせいか、毒を呷る前かのような絶望的な表情で何度もルイちゃんの顔と薬を交互に見るだけで、一向に飲もうとしない。ルイちゃんから「ちゃんと飲まないとダメですよ」と諭されて、ようやく意を決したように口に放り込んで、すぐに白湯で流し込んだ。
「はい、お疲れ様でした。お薬飲むの、お上手になってきましたね」
ただ薬を飲むだけだというのに、ラガルティハはこの数秒で一回りくらいやつれたように見えた。
……本当に毒だと思ってないよな? と一瞬不安になる。あの薬、ただのサプリメントと抗生物質的なやつだし、最初にそう説明したんだけどなぁ……。
「……そうだ、今日のお昼は食べられそうですか? 竜人さんとはいえ、そろそろご飯を食べないと、体力的に限界が……」
「……いらない」
ルイちゃんが会話を試みるが、ラガルティハは目を伏せてもそもそと毛布で蓑を作り、再び蓑虫状態に戻ってしまう。
返事がもらえるだけすごい。私の時なんて一切の返事も無く高速で蓑虫になるのに。
「でも、お腹空きませんか?」
「……別に……」
しかし次の瞬間、ぐぅーっ、と音が聞こえた。明らかに腹の虫の声であった。
蓑虫が蓑をきつく引っ張ってぱっつんぱっつんになった辺り、多分中で、顔を羞恥で真っ赤にしていることだろう。隙間から少しはみ出ている尻尾を激しくびたんびたんさせているし、多分間違いない。
彼の気持ちも分からんでも無い。腹が鳴るのはただの生理現象であって、食欲とはまた別物なのだから。
とはいえ私は思わず「お約束かよ」と少し笑ってしまった。
現場に居るルイちゃんは笑うこと無く、穏やかな口調のまま「お腹が空いたらいつでも言って下さいね」と返し、ラガルティハが尻尾をびったんびったんするのをやめるまで待っていた。保母さんか?
落ち着いてから少しして、蓑の中からラガルティハは言う。
「食べなくったって、いい……」
「でもご飯を食べないと、お腹が空いて死んじゃいますよ」
「そしたらそれで、別に……。生きていたって、意味がないし……。こんな色で、その上羽までなくなって……」
アッ、これシリアス突入です? 突然だなオイ。情緒どうなってんだ。
「羽無しのトカゲな僕なんか、生きている価値が無いんだ……!」
ずびっ、と今度は鼻を啜る音。
どうやら、思っていた以上に精神的ダメージが大きいようだ。これ、ラガルティハは立ち直れるんだろうか。私は無理な気がする。
多分、ラガルティハは能動的な自殺はしない。というか、出来ない。そこまでの蛮勇かヤケになれる気質を持っていたなら、とっくの昔にこの家を出て野垂れ死ぬなり、家にあるものを使って自殺を試みていたはずだ。部屋には鍵なんてかけていないし、使えそうな紐やら、私の部屋や台所に行けば刃物が簡単に手に入れられる環境だ。ちゃっちゃと行動に移していたっておかしくない。
だがそうしなかった。その考えが思いつかなかったということもあるかもしれないが、ラガルティハはとにかく臆病な男だ。死ぬのが怖かったんだろう。
しかしいつまでもそうとは限らない。人間というものは、追い詰められると、どんな突飛な行動に出るかわからないものだから。
不意に、ルイちゃんはベッドに静かに腰掛けた。ラガルティハを驚かせないように、ゆっくりと、静かに。
そして優しく、毛布の上からラガルティハの背中を撫でる。ラガルティハはそれを、拒絶しなかった。
優しく毛布越しに撫でるルイちゃんの手つきはまるで、泣きじゃくる子供を宥める母親のようで……年下の少女ママと成人済みショタのラガルイで百万回見た光景ですけど!? 現実かこれ!? エッ嘘!? 現実!? 夢とか妄想じゃなくて!?
ホァッ!? という自分の奇声が邪魔すぎて仕方ない。必死に声を抑えるが、自分の声がこの妄想みたいな現実を堪能するにはノイズになりすぎる。今だけ声帯切り取りたい!!
「実は明後日、私の誕生日なんです。だからあなたからもプレゼントをくれませんか?」
「なんにも持ってない僕が、あんたにやれるものなんて……」
「次のあなたの誕生日を、祝わせてください。その権利を、プレゼントとしてもらっても良いですか?」
ッスゥーーーーー。
そう来ましたか。ちょっと待ってね、今処理してるから。たまんねえなぁオイ。
オタク大学カップリング学部BLGL男女混合学科の期末テストで出てました。トワさん習いましたこれ。
夏目漱石が「愛している」を「月が綺麗ですね」と訳したように、ルイちゃんは「あなたに生きていて欲しい」という言葉を、「誕生日を祝いたい」と言い換えたのだ。配点20点。満点回答。
更に言えば、誕生日を祝う以外のものを求めていないので「あなたが生きているだけでいい」、深読みした場合は誕生日を祝ってもいいかと問いかけているので「私の傍に居て欲しい」という意味が含まれるため加点含め100点回答。
その文脈に隠された意味が伝わっていなくて表面通りの意味にしか捉えられずラガルティハが怪訝そうな表情をしている所まで含めて200点回答です本当にありがとうございます!
これが
おほぉ~~~~~ッホッホッホ! たまんねえなぁオイ! 思わずよく分からん高笑いが出ちゃいますわぁ~~~~~~!
「そうだ、誕生日っていつなんですか?」
「……冬」
「じゃあ私と同じ時期に生まれたんですね。ああでも、冬って言っても長いし、そうとは限らないですよね」
「……もっと後」
「冬の終わりくらい?」
「……終わりの、13日だって、昔母さんが言ってた……」
「じゃあ二ヶ月後ですね。好きな食べ物とかありますか? 私、お料理は結構得意なんです」
「……パンケーキ。薄っぺらいのが、何枚も積み重なってて、赤くて小さい果物が乗ってたやつ……」
「パンケーキがお好きなんですね」
「好きとかじゃないけど……母さんが昔、誕生日だからって、持ってきてくれた……。結局、あいつらが来たせいで、食べられなかったけど」
「……再現できるかどうかは分からないですけど、腕によりをかけて作りますね。それまでにちゃんと食べられるよう、少しずつ胃を慣らしていきましょ?」
嘘、ちゃんと会話が成立してる……!?
やっぱすげぇよルイちゃん。あのラガルティハにここまで会話をさせるなんて。
この拗らせ男とここまで会話出来ているのは、きっとむやみに突っ込みすぎず、且つ寄り添える距離感があるからだろう。
私だったら「あいつらが来たせいで食えなかったって、何があったん?」とか間違いなく聞いて、地雷爆発させてそのまま会話が終了していただろう。
「……というか、僕を祝ったって意味ないだろ……何が狙いだよ……!」
おっとここでラガルティハの警戒心が再発しました! 愛撫誘発性攻撃行動かよ。
まあ創作物特有のご都合チョロさは無いだろうからね、仕方ないね。
しかし、そういうお迎え当日のロボロフスキーハムスターみたいな懐き度-100みたいな態度は正直、解釈一致です。
ラガルティハはそうでなくっちゃなぁ!
ラガルティハ、人に甘えたいけど自己肯定感の低さとか羞恥心とか劣等感とかで結局甘えられない男であれ。
お前はルイちゃんにそういう凝り固まった面倒な感情ぜーんぶ溶かされちまうくらい甘やかしてもらうんだよォ!
「狙いかぁ……うーん、強いて言うなら……あなたに生きててもらうのが狙い、かな」
「僕が生きててあんたに何の得があるんだよ……!」
「得って言われても、損得勘定で助けたわけじゃないの。……ん、ちょっと違うかも。あなたを助けられなくて亡くなってしまう事より、生きててもらった方が後悔しない、っていう得があったから、かな?」
ホォーン? こーれーはーあざといですなぁ……。
さっきまでは、人によっては壁を感じる敬語だったのに、より親近感を感じる素の口調にして心の距離感を縮めにかかったよ。
心理学的には同調行動、ハーディング現象というものがある。ルイちゃんは無意識なのか意識的なのかは分からないが、よりラガルティハを安心させるために、敬語を使っていない彼に合わせて砕けた口調にしたのだろう。
どっちにしてもあざとくない? ヤバない? 私の推しヤバない?
そういう所が面倒臭い拗らせ男を沼らせるんやぞ。いいぞもっとやれ!
「私ももちろんだけど、トワさんも、モズ君……は、ちょっと分からないけれど。でも皆、あなたを助けようって思ったから、助けた。ただそれだけのことで、そこまで深く考えていなかったの」
「……馬鹿じゃないのか」
「そうかも。常連さんにも『お人好しが過ぎる』ってよく言われるし、トワさんからもいつも、『お店を経営するなら善意だけじゃなくてちゃんと利益を考えて』って言われちゃうし」
馬鹿っていう表現はちょっとアレだけど、うん、自覚症状があってよろしい。
推しだから甘やかしたいところだけど、店の利益に関してはちゃんと考えてね。もう一人暮らしじゃないんだからね!
でもお人好しなのは直さなくていいよ。盲目的なのはいけないけど、そういう善の心ってのは大事だからね。
「そんな鳥頭な私だもの。あなたを利用するとか考える頭は無いと思わない?」
敢えて相手の罵倒を使って優しい論破をしていくスタイルゥ~!
鳥人種とかけて「馬鹿」ではなく「鳥頭」という台詞回しにする点も芸術点が高い!
カップリング抜いても良ーい台詞だぞこれ。
ルイちゃんはトントン、と多分肩当たりを軽く叩く。ラガルティハはモゾモゾと毛布蓑を動かすと、涙と鼻水でぐしょぐしょになった顔を外に出して――。
「ねえ、駄目かな?」
は?
待って。
ねえ待って。
それはずるいって!!
さっきまで口調こそ砕けてたけど対応はちゃんとママしてたのに、急に少女らしさを前面に押し出してくるのは違法でしょ! そんなん二面性のギャップにやられて脳が破壊されてまうやろがい!!
極めつけに顔を覗き込んでのこの台詞! 勘違いしてまうやろ!!
私この子が怖い! 可愛さで殺される! 一歩間違えれば急性ちゅん毒による
ラガルティハは数秒程鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、そしてみるみるうちに顔を林檎のように赤く染め、恐怖とはまた違った感情――彼の様子から察するに、ほぼ100%甘酸っぺぇソレ――であからさまな挙動不審さを見せて。
「……か、勝手に、しろ……!」
事実上の許可を出したのだった。ラガルイありがとうございます! ありがとうございます!
私だって耐えられなかったんだ、当然の結果だろう。むしろ真正面からあの可愛いを食らったんだ、私より性癖ダメージが大きいはずだ。
こりゃあ今後の性的対象は小柄な年下で茶髪で童顔の母性を持ちつつ少女性を失わない鳥人種の女の子に限られてしまったに違いない。
……えっ、これ本当に公式? 今私幻覚見てたりしない? それとも私の勘違いだったりしない?
ちょっと本気でラガルティハと仲良くなる方法考えなきゃ。ルイちゃんのことどう思っているのか聞き出さねば!
「そうだ、お祝いするためにも、あなたの名前を知りたいな。ねえ、あなたのことは、なんて呼べばいいかな?」
「……ら、ラガルティハ、で、いい」
「ラガルティハさんね。ラガルさん、って呼んでもいいかな」
「……」
「これからよろしくね、ラガルさん」
あ、こりゃトドメ刺したな。
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