39 オタクの夢を叶えよう
「助けてくれー」
ラガルティハの部屋から回収してきた、殆ど手の付けられていない朝食の載ったお盆をルイちゃんに手渡してから、徒労感で机に突っ伏した。
悩みの種はアレだ。ラガルティハについてである。
彼を助けてから一週間が経ったが、コミュニケーションを拒否されていて、何か声をかけようものなら「放っておいてくれ」の一言でにべもなく拒絶されてしまい、にっちもさっちもいかない状態だ。
こーんの面倒臭い拗らせ男がよぉ! と心の中で何度叫んだことか。
いや、彼の境遇なんかを考えれば、鬱になっても仕方が無い状況だということは理解出来る。
理解出来るが、流石に一週間もこんな状況だといい加減面倒臭くなってしまう。
私は気が長い方では無いのだ。ネゴシエーターに向いていない自信しかない。
「全っっっっっ然心開いてくれない……虐待を受けてた保護当日の犬みたいに心開かない……心の扉オリハルコンかよ……」
「やっぱり今日も何も話してくれなかったんだ……」
「もう話さなくてもいいから、せめて飯を食え、飯を!」
食事すらあまり取ってくれないので、いくら竜人種が生命力が強い上に、ほぼ動いていないからエネルギー消費が少なく済んでいるとはいえ、そろそろ流石に体調面が心配だ。
水と薬は一応飲んでくれているのがせめてもの救いだ。
……いや、なんで食事は最低限で薬はちゃんと飲んでいるんだ、あいつは。
ルイちゃんか? ルイちゃんが見ているからなのか? ルイちゃんにはミリ単位だが心の扉を開いていると言うことか?
「あと、いい加減お風呂にぶちこみたい。正直……臭い……布団の上から動いてほしい……」
「いくら傷は塞がったとはいえ、流石に不衛生だし、せめて体を拭くくらいはさせて欲しいよね」
勿体ないが多少手を付けた痕跡のある料理を廃棄し、私達の朝食分のも含めて皿洗いをしつつ、ルイちゃんは困ったように言う。全く以て同意しかない。
こういう相手は放置、もしくは相手から歩み寄るまで距離を取る方針である私には、今のラガルティハをどうにかする方法が一切思いつかない。
「斬って分からせっか?」
皿洗いの手伝いをしていたモズがそう提案する。
驚いたルイちゃんが「ちゅあっ!?」と小さい悲鳴を上げて、洗っていた皿を取り落としそうになった。
最近はルイちゃんの言うことも素直に聞いて大人しくしていたと思っていたのに、唐突に人斬りスタンスをモロに出してきたのだから、そりゃ驚くだろう。
一番やってはいけない提案に、私は即座に返答する。
「絶対に止めなさい。暴力に訴えるのは、それしか方法が無くて、且つ有効な手段である時だけにしなさい」
「おん」
「トワさん! そもそもそんなことを選択肢に入れちゃ駄目!」
「ウィッス」
暴力を肯定するような発言をしてしまい、ルイちゃんからお叱りの声を受ける。
でも実際、人間も生物である以上、暴力とは切って離せない存在であると私は思っている。
理性がある以上、極力使わないようにはするが、現代社会ならいざ知らず、剣やスペルといった暴力が身近なこの世界では、常に選択肢に入れておいた方がいい手段ではあるだろう。
とはいえ、今回はむしろ悪手となることは間違いない。北風を吹かせたってラガルティハの心はより意固地になるだけだ。
モズはまず人の心というか、情緒が育っていない上、暴力で従わせるという手段を第一に思いつく辺り、現段階でラガルティハと接触させるのはNGだ。
私はと言うと、創作物としてのラガルティハの解釈と、それによる脳内シュミレーションである程度の思考や行動を想像することは出来るが、だからといってそれを逆手にとって懐柔出来るような器用な性格はしていない。
やろうと思えば出来るかもしれないが、それはそれでラガル夢の夢主みたいになってしまうのでアレルギー反応が出てしまう。自分=夢主な自己投影型夢小説が読めないオタクなんだよ私は!
「私は相手を絆すとか懐柔するのにゃ向いてないからなぁ……ルイちゃんなら心開けると思うから、頑張って!」
「えぇー!? そんな、買いかぶりすぎだってば」
「いやいや絶対大丈夫だって。間違いない」
拗らせ男はコミュ力の高い春の木漏れ日系光属性な女の子によるカウンセリングで殴るべき、と古事記にも書かれている。聖書的にも正しい。
その点、ルイちゃんはその条件を満たしている。条件に合致しすぎて、面倒臭い男に好かれ過ぎてしまいかねない諸刃の剣な所ががあるくらいに適正がある。適材適所だ。
私の煩悩も含まれているがそこは気にしないようにする。
ラガル、ルイちゃんに惚れて恋に落ちてくれねえかなぁ。
皿洗いが終わったルイちゃんは、白湯をマグカップに淹れて、用意していた小さいお盆に乗せる。今ラガルティハに飲ませているのは食間に飲むタイプの薬なのだが、そろそろ時間かと今気付いた。
「ラガルティハさんにお薬渡してきますね」
「はーい、いってらー」
テーブルと体の間に無理矢理体をねじ込んで膝に乗ってきたモズをあしらいつつ、薬を取りに行ったルイちゃんを見送る。
ルイちゃんの姿が見えなくなってから、私も立ち上がる。
「よし、ちょっと私は自分の部屋に行くわ」
「おん」
「ああ、モズはちょっと下で待ってて。一人にさせて」
「なして?」
「覗き見するから」
モズは二、三回程瞬きをして、頭の上に疑問符を浮かべているような顔で首を傾げた。
「……なして?」
「趣味というか欲望というか何というか……いいかいモズ、真似しちゃ駄目だからね? これ悪い大人の例だからね?」
「おん」
「というわけで子供に真似して欲しくないことをやりに行く訳だから、見られたくないんよ。大人しく待っててくれる?」
「おん」
「よーし良い子だ」
モズの頭をくしゃくしゃと撫で回して、私は心を弾ませて自室へと向かった。
実は目を盗んでこっそりと、ラガルの部屋に二つほど、刻印を貼り付けておいたのだ。
その刻印の名は「コウモリの耳」、そして「千里眼」。
「コウモリの耳」の刻印は、簡単に言えば、盗聴が出来るようになる刻印だ。
この刻印はマイクの役割を持つ刻印と、スピーカーの役割を持つ刻印、これら二つで一つとなっている。
マイクの役割の方を、盗聴器入りぬいぐるみをプレゼントするストーカー気質ファンの如く対象の持ち物や部屋に刻み、もう片方を音声を拾う受信機になる触媒、あるいは自身の肌に刻むことで効果を発揮する。
ちなみに肌に刻んだ場合は自分にしか聞こえない。実験済みである。
「千里眼」も同じく二つで一つの刻印だが、その名とは少し違い、能力的にはビデオカメラとモニターと言った方が正しい。こちらもモニターに該当する刻印を自身の目に刻めば、自分にしか見えないようになる。
勉強した時に「千里眼」と認識したのだが、多分、言語翻訳チートによるものだと思う。
日本語化された海外製ゲームの、間違ってはいないけどちょっとニュアンスが違くなってしまった翻訳みたいなものだろう。
神に誓って言うが、覗き見行為はこれが人生初だ。そこまで狂える程現実の人間を好きになったことが無いし、多分、これからも無い。
いけないことだと理解していながら道を踏み外すのは、偏に推し、及び推しカプが現実に存在しているからである。
オタクならば必ず、誰もが考えたことがあるだろう。
――推しの部屋の観葉植物になりたい、と。
この覗き見というのは、つまりそういうことだ。
自分という存在を認識されない状態で、推しがどういう生活や行動をしているのか、余すこと無くすぐ傍で舐め回すようにいつまでも観察していたい。
そういう気持ちから、オタクは「推しの部屋の観葉植物になりたい」と呟くのだ。
そしてこれは単推しのオタクだけではなく、カプ推しオタクでも同じ事が言える。
否、むしろカプ推しオタクこそ、より強く「推しカプの周囲に存在する窒素になりたい」と思っている。
推しカプの二人が二人っきりで、どんな雰囲気で、どんな空気感と距離感で、どんな会話をし、どんな触れ合いを見せるのか。
イチャつく時は攻めからさりげなく誘うのか、受けから甘えにいくのか。二人っきりだからこそ精神的優位性が逆転する可能性だってある。そして二人っきりだからといって必ずしもリラックスするわけでもない。もしかしたら逆に意識しすぎて緊張しまくりぎこちなくなるかもしれない。そしてそれが攻め・受けどちらかだけなのか、はたまた両方が意識しすぎて地獄みたいな進展しないもどかしい雰囲気になる展開だってある。片方が緊張パターンだったら、もう片方は気付くのか気付かないのか、あえて気付かないふりをするのか。気付くのならばおちょくるのか、優しくリードするのか、それとも普段通りマイペースにいくのか。
私は知りたい。解釈や妄想だけでは足りない。実際に見たい。
私は推しカプの周囲に存在する窒素になりたい。
そして、定点カメラにはなってしまうが、私は推しカプの二人が、二人っきりで交流する姿を観測する手段を持っている。
こんなん窒素になるしかないやろ!!
現実では犯罪である行為という緊張と罪悪感、それを何十倍も上回るカプ推しオタクの夢を叶える興奮で、心臓がバックンバックン早鐘を打つ。
ふひひ、と無意識に気持ち悪い笑いが漏れた。普段ならそんな気持ち悪い自分に萎えて少し冷静になるのだが、完全オタクモード特有の、ヤクでもやってんのかと思う程の多幸感とハイテンションのせいか、一切気にならなかった。
自室のベッドに座り、少しでも歓喜の悲鳴を抑えるために枕を口元に押し当てて、準備完了だ。
私は「コウモリの耳」と「千里眼」の刻印を、自分に貼り付けた。
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