第2話 男の事情

「神って、人間が拝んでいる偶像のことだろう?」

「僕もその認識だったよ。仏も神も、弱く愚かな人間が作り出した空想だと。でも、本当にいる。神様と言う存在は」

「会ったことがあるのか?」

「ある。それも何度も。その神の目的は、僕たちのように、別の世界で死んだものを集めて、争わせようとしている。最後の一組になるまで勝ち抜き、残ったものにはなんでも好きな願いを叶えようと、そう企んでいるらしい。だが、神は神。悪魔ではない。この争いの参加は、拒否することも可能だ」

「願いごとって、元の世界に戻してもらうこともできるってことか?」

「できる」

「へぇ」

 これはいいことを聞いた。この男の言っていることが本当ならば、元の世界に戻してもらえる。ついでに時間も少し前に戻してもらって、猟師に殺されない結末を作ることもできるだろう。

「俺はそれに参加するぜ!」

「いやだ。参加したくない」

「なんだと!お前に指図される権利はないはずだ」

「いや、これは二人一組で参加するのが条件だ。それに――」

「参加すれば元の世界に戻れるだろう?参加しない理由はない!」

「戻りたくない。このまま普通に暮らしたい。それに、申し訳ないけど、君に決定権はない」

 話の通じない男だ。一発殴ってやりたくなる。こんな男と組まされたのが運の尽きだ。

不機嫌に男を睨んでいたら、気弱そうな表情で事情の説明を始めた。

「この二人一組は、片方は悪人でもう片方は善人が組まされている。そして、悪人だった者は、もう片方に使役される。君はどうやら悪人だったようだから、恐らく僕は善人と判断されたようで、つまり――」

「使役ってどう言うことだ?認めないぞ。カマをかけようとしているのか?」

「違う。本当のことだ。つまり、僕にしかない能力があるのだ。君の居場所がわかる。そして、君が悪事を働いていたこともわかる。この宝石を通して、すべて見えている。君が昨夜、女性を食べ殺したのもわかっている。君には、僕のことが見えていたか?」

「……見えない」

 昨夜のことは、誰にも見られてはいなかった。気配もなかったし、匂いもしなかった。それは誰よりも、俺自身がわかっていることだ。それを、この男は知っていた。信じる他ないようだ。

「なら、なぜ止めない。止めないと言うことは、偽善者なのだろう?お前は」

「人間を食べたくなる気持ちは、僕にもわからなくはないよ。食べたことはないけど、同族で食べている者もいたから」

「はっ。意味がわからないな。お前が善人な理由がわからない!」

「僕も自分が善人だとは思っていないよ。善いも悪いも、神の判断だ。主観でしかない」

 この男の苦しそうな表情に、少しだけ寂しさが見えた。前世については触れるな、と言いたげな表情だ。

 面倒くさいのはごめんだ。俺はソファに寝転がった。もうこの男と話をするのもうんざりだ。どうせ俺の願いは叶わない。このだだっ広い屋敷で、つまらない人生を歩んでいくのだ。飼い犬にされて。

 ダラダラと過ごしていたら、昼になる。

男はパンとスープ、ステーキ肉を盆に乗せテーブルに置いた。俺は出された飯を黙って食べる。よく見るとエプロンをつけている男の姿を見て、不思議に思った。これだけ大きな屋敷なのに、召使が一人もいない。

 ついうっかり質問をしてしまいそうになったが、今は俺の機嫌が悪い最中だ。今日は絶対口を開かないと決めた。そんなこんなで、広い屋敷の中を走り回っては飯を食べ、寝ては食べを繰り返し、気がついたら数週間の時が進んだ。俺が暇を持て余して屋敷の中を走り回っている間も、この男は懸命に屋敷の手入れや、庭の手入れ、買い出し、料理、洗濯――。一人で全てをやっている。

 見ているだけで疲れる。何が楽しくて、こいつは生きているのだろうか。

 風呂場にある鏡で、一人で睨めっこしてみる。灰色の髪に黄色い目。女らしい顔に女らしい体。鏡を見ていると反吐が出そうになってきた。早く狼に戻してほしい。

 夜になり、夕飯を終えて床に寝転がった。男は何やら分厚い本を読んでいる。その横顔を暇だから眺めていた。見れば見るほど、端正に整った顔だ。前世で何をしたらこの屋敷に住み、顔の良い男に生まれ変われるのか。俺の中で偽善者の疑惑はまだ拭えていない。万物の神とやらの目は、節穴なのかもしれない。

 下の階で物音がした。気がついたのは俺だけのようだ。この男が何か隠しているのかと勘繰り、俺はこっそりと下の階へ向かった。あの男のいる部屋以外は全て真っ暗だ。でも俺は狼だから、目と鼻が効く。匂いを辿って、ついにその正体を暴いてやった。

 つもりでいたのだが、どうやらただの強盗だったようだ。

 非力なこの体では何も出来ない。一瞬で俺は捕まり、喉元にナイフを突き立てられた。

「金目のものはどこにある?正直に言わないと、殺してやるぞ」

 強盗は三人組で、黒い布で顔を隠していた。

 金目のものなど知らない。興味がないし、この屋敷は俺のものではない。とんだとばっちりだ。

 不貞腐れた顔で黙っていたら、冷たいナイフの先が強く押し当てられる。いっそこのまま殺してくれた方が、楽になれるかもしれないな。このまま生きていても、お先は真っ暗だ。

「早く言え。本当に殺すぞ」

「殺せるもんなら殺してみろ!」

 威勢よく大声を上げてやった。強盗共は少し怯んでいる。間抜けな奴等め。大したことなさそうだぞ。

「言わないんだな」

「知らないのに教えようがないぜ!」

「見え透いた嘘をつくな!その上等な服、この屋敷の人間だろうが!ええい、もう殺してやる!」

 やけになった強盗がナイフを振りかぶった。さっきまで死んだ方が良いと思っていたが、目の前に死が迫ると何故か生きたいと思ってしまう。ああ、死ぬ前にあの男の前世くらいは知っておきたかった。名前くらいは知っておきたかった。

 ギュッと目を瞑って、息を止めた。とても怖かったからだ。

 落雷の音が聞こえる。瞼を閉じていても、眩しくなったのがわかった。

「僕の友達に何をする」

 あの男の声だ。力強くも優しい温もりに、俺の体が包まれ、目を開けると――。あの男が片手で俺をしっかりと抱きしめながら、雷を操り強盗を退治していた。突然のことで俺は固まって動けなかった。

 男は指を器用に動かし、青い雷を操っていた。それを食らった強盗共は気を失いその場に倒れ、静かになった。

 心底心配そうな表情で俺を抱きしめた後に、男はこう言った。

「怪我はないか?」

「ああ。あ、えっと……。召使は雇わないのか?」

 キョトンとした顔で俺を見つめる。何日振りかわからない会話に、お互い戸惑っていた。

 変な空気だ。むず痒いような、暖かいような、気不味いような。それがおかしくて、二人で笑ってしまった。

「一人になりたくて、召使には全員暇を与えていた。確かに、君の言うことはもっともだ。そろそろ仕事をお願いしてもいいだろう」

「そう言うことか。屋敷の見張り番くらいは休ませなくてもよかったな。もしかして、お前はバカだろう?」

「あはは。言い返せないな。しばらく一緒にいたのに、お互いの名前も聞かなかったのだからね」

「俺に名前はない。俺は偉大な狼だ。それ以外には何もないぞ」

「そうか。僕も青鬼以外の名前がないや。どうだろう。お互いに名前をつけないか?その方がわかりやすい」

「ああ。その前に、このドブネズミを片付けてからな」

 二人で手分けして、強盗共を屋敷の敷地外へ放り投げる。

少しくたびれた。いつもの部屋に戻って、ソファに沈んだ。男が入れてくれた暖かい紅茶を飲む。

「お前は俺に、どんな名前をつけるんだ?」

「ずっと考えてみているが、この世界に馴染む名前がいいと思っている。僕のいた世界とは、だいぶ違うようだから、少し時間が欲しいよ」

「ふーん。お前の名前をつけるにしても、お前が自分の話をしないから難しいな。話せ。聞いてやる」

 向かい合ってソファに座る。男は少し悩んだ後に、自分について話し始めた。

「僕がいた世界の人間は、着物を着ていた。農業も米を作ったり、野菜を作ったり。この世界では小麦が主流のようだから、国や文化が違っていたのかもしれない。文字も違う」

「外国人だったのか。俺から見たら、この世界はそんなに違わないぜ。黒い煙の出る煙突はなかったが、来ている物も食べ物も同じだ。建物もな。お前は、どう言う暮らしをしていたんだ?仲間はいたのか?」

「山の中にある家に住んでいた。鬼と言われる種族に生まれ、人と関わらないように暮らしていたよ。とても大切な親友の赤鬼がいた。心の底から大切だった。ある日、仲の良い赤鬼が人間と仲良くなりたいと言うので、必ずその願いを叶えていと思って……。僕の作戦はとても上手く行った。赤鬼は人間と仲良くなれたのだから。でも……」

「でも?」

「僕は赤鬼と一緒にいられなくなった。僕の自業自得だけどね」

 わかりやすい作り笑いだ。口の端が震えている。相当辛かったのだろう。それがわかったから、深くは聞かないことにした。

「よし決めた。お前の名前はブルーだ!」

 俺はソファーの上に立ち、その男を指差しながら言った。

「青色ってこと?青鬼だから?」

「そうだ!あとバカなくせにすぐ落ち込むから。覚えやすくていいだろう?」

「ブルーか……ありがとう。いい名前だ」

「さっさと俺の名前もつけろ」

「そう言われても……ウルフ?」

「安直すぎる」

「じゃあ、ロウ……」

「どう言う意味だ?」

「僕のいた世界では、狼の文字を別の読み方ができるのだが、それがロウだ」

「へえ。悪くないな。俺はロウだ」

「僕はブルー」

 お互いに握手を交わし、よろしくと言い合った。

 なんとかしてコイツの弱みに漬け込んで、神に願いを叶えさせてやろう。俺は内心でそう決意した。

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