悪い狼が転生したら女になって、鬼イケメンから離れられない
駿河犬 忍
第1話 狼だった女と謎の男
柔らかい白い肌に純粋無垢な瞳を見て、美味しそうだと思った。この少女を食べることが出来たら、どれだけ幸福感を得られるのか、想像に難くない。
森で出会った少女は、赤いずきんをしていた。木の影から花を摘むその子を見つける。どうやら、ばあさんの家へ行く途中らしい。あまり美味しくないが、ばあさんを先に食べて成り代わろう。そうすれば、容易に少女を食べられる。
早く実行したい。焦る気持ちでばあさんの家へ走った。俺は狼だ。足が四本あるから走るのは速い。
思った通りにことを運んでいく。これなら、この少女を食べるのは容易だろう。
しかし、欲が出た。恐怖心と言うスパイスを足せば、さらに美味しくいただける。だから脅かしてやりたくなった。
純粋な瞳で見つめ、どうして、どうして、と純粋な質問を投げかける少女。その表情が徐々に恐怖の色が見え始めるのが、堪らない。それでブレーキも効かなくなった。あの時、さっさと少女を食べてさえいれば、あの忌々しい猟師に出会すこともなかっただろう。あの時、うたた寝などしなければ、腹を挟みで切られることもなかっただろう。
結末。後悔は先に立たない。そうだ、俺は死んだのだ。
死んだはずだった。
気が付くと、どこかの村のゴミ捨て場にいた。ガラクタの山が塔をなす、臭くて狭いゴミ捨て場だ。遠くに煙突の煙が見える。しかも何本も伸びた煙突から、臭い煙が絶え間なく出続けている。俺は鼻がいいから、こんな場所からはなく離れて、自然あふれる森へ帰りたい。
立ち上がると、足の裏にガラクタの破片が刺さった。痛い。最悪な気分だ。
刺さった破片を取ろうと、足の裏を見ようとして驚いた。大変驚いたので、大声が出てしまった。
「うぎゃあああ!毛がない!嘘だ!嘘だ!どこにも!はっ」
肌色の露出した体に驚き、全身をくまなく探した結果、頭の上に毛があるのがわかった。しかも、狼にしては長い。
嫌な予感がして、おしりを見た。尻尾がなくなっている。お尻も丸くて変だった。
パニックだ。俺が俺でなくなってしまった。ここは地獄なのか。いや、肉食の獣が肉を食べることは罪にならないはずだ。だとしたら、天国か。だからこれは、かりそめの姿なだけで、だから声も高くて――。
「おい。こっちの方から声がしたぞ」
人間の声だ。見つかったらまずい。あいつらは、狼を見ると殺してくる。身に染みついた生存本能で、俺はその場を急いで逃げ出した。
ゴミ捨て場を出て、町の狭い路地に入る。ブリキやレンガで出来た建物。人間の姿や服装は、俺の知っているのと同じだった。だとしたら、どうなる。俺の知っている世界と同じなのか。
どれくらい走ったかわからない。あの場所からは離れたはずだ。それでも進み続けていたら、途端に異変が起きた。
息が出来ない。喉が締め付けられている。手で首を探った。この苦しいのを早くどこかへやってくれ。指の先に固い何かを感じたが、それを確認する前に息苦しいのがなくなった。
「へっ。驚かせやがって」
とりあえず苦しまずに済んだことで、俺はかなり安心し切っていた。薄暗い路地にしゃがみ込んで、一息ついていたら――。
後ろから何かをされて、意識を失ってしまった。
甘くいい匂いだ。美味しそうな匂い。そうだ、最近ご飯にありつけていなかった。最後に食べたのは、美味しくないばあさんだけ。丸呑みしたから、不味いのは一瞬だった。それも、腹を裂かれて取られてしまったから、お腹の中は空っぽだ。詰められた石は重たいだけで、腹のたしにはならない。
目の前にあるその匂いに、俺は手を伸ばした。何かはわからないが口に入れる。美味しい。もっと食べたい。
「起きてください」
「もっと、もっとくれ」
「……仕方ないですね」
「ギャフン」
額にデコピンをされた痛みで、俺は目を覚ました。夢だったのか。もっと食べておけばよかった。
でもいい匂いはまだしている。あの白いテーブルの上にある皿の上だ。口の中に溢れる涎も、大きく鳴る腹も、食欲に従順だ。それは俺自身も例外じゃない。
起き上がるのと同時に飛び上がり、俺は皿の上の何かを貪るように食べ尽くした。サクサクしていて美味しい。肉ではなくても、案外悪くない。
「お腹が空いていたんですね」
夢の中の声ではなかったのか。低い男の声に驚いて、俺は後ろを振り返った。
この感情はなんだ。男を見た途端に、俺の体が変になった。心臓が激しく動いて、息が少しだけ苦しい。さっきほどではないが、おかしいのは確かだ。
深い青色の髪も、左右対称の顔も、高そうな服も、スラッとした長い脚も、どこに目をやってもだめだった。
「大丈夫ですか?顔色が悪いですよ。水を持ってきましょう」
「やめろ!喋るな!お前は誰だ!森へ帰らせろ!」
「……」
「答えろよ!」
「喋るなと言われました」
「ガルル……喋れよ」
「僕はこの屋敷の主人、らしいです。一週間ほど前に来たばかりだから、詳しくはわからないのです」
「なら、元々はどこにいたんだよ」
「山の中です。事情があって、その山から出て行こうと決めた日に崖から落ちてしまって……」
「死んだのか?」
「おそらく」
あまり悩んでいない顔のそいつは、首を傾げている。俺は視線を落とした。何かおかしい。やはりここは、天国か地獄なのか。
視線の先にひらひらの布が見えた。女物の服だ。プツンと何かが切れる感覚だ。我慢の限界が来ると、この感覚になる。俺は立ち上がって、その服を脱ぎ捨てた。そして暴れ回った。
屋敷の部屋の中を暴れ喚き……。
「お、落ち着いてください」
「俺は狼だ!こんな女みたいな服はいらない!しかも死んだのに生きている!最悪!最悪だ!意味がわからねぇ!ガァァァ!!」
「すみません」
謝るそいつの声を最後に、俺はまたも気を失ってしまった。
目を覚まし、大人しく観念する。とは言っても、このままこのよく知らない相手に世話になるのは、あまり気が進まなかった。
「貴女も一度死んでしまったのですね。よかったら教えてもらえませんか。力になれるかもしれません」
「……」
この声も顔も気に入らなかった。勝手に心臓が速くなる。耐えられなかった。何もかも全てが。
だから、俺は窓から屋敷を飛び出して逃げてしまった。引き留める声は振り返らなかった。
そうだ、俺は狼だ。人間を食べないと、このおかしな世界に取り込まれてしまいそうだ。もうすぐ日も暮れる。夜になって、町の市場が静かになるのを待った。無防備に一人で歩いている女を見つけた。都合がいい。この女を食べてしまおう。
路地裏を曲がった瞬間、俺は襲いかかった。鋭い牙も爪もない。ただ殴り、噛み付くことしかできなかった。それでも女ひとり、どうということはない。暗く冷たい路地裏で、俺はその女を食べ尽くしてやった。
腹が膨れると眠くなる。今日は一度眠ろう。噴水のある広場に出た。返り血を噴水で洗い、ベンチに横になる。目をつぶればすぐに夢の中へと落ちていった。
夢を見た。頭に響く声はぼんやりとしていたが、長い間話をされていた。その話の内容は起きた頃にはすっかり忘れてしまったが、起きた時に期待と興奮で自然と笑顔になってしまったのだけはわかった。
「おはようございます」
「うん?ウワァァ!!」
ベンチのすぐ近くに、昨日の男が立っていた。驚きのあまり俺は噴水にドボンと落ちてしまう。
「あの、これは心からのお願いなのですが、僕と一緒に暮らしてくれませんか?」
背筋を伸ばし深々とお辞儀をする姿を見て、心底複雑な感情になってしまった。
人に頭を下げさせる優越感。突然現れた気味の悪さ。相変わらずうるさい心臓。敬語で話される気持ち悪さ。それが同時に襲ってくる。
「その変な喋り方を止めろ」
「と言うと、タメ口の方がいいってことですか?」
「そうそう!それだ。普通に話せ」
「わかった。敬語はやめる。だから、僕の話を聞いてほしい。話さなければいけないことがあるんだ。一度僕の屋敷へ行こう」
「ガルルル!お前と一緒に暮らすとはまだ決まっていないぞ!」
「はい。それでも、話を聞いてもらえればきっと……」
「きっと?」
「今は早くお屋敷へ。濡れていては体に障る」
真剣な態度に押され、仕方なく屋敷へ戻ることにした。
昨日のことを気にしているのか、女物の服ではなく男物の服を一式用意してくれた。それでも、いつも毛皮に包まれていたのもあって、ぴっちりした服は居心地が悪い。
広い部屋の高そうなソファに向かい合って座る。煌びやかなこの空間は、目が痛い。
「僕と貴女は、死んだ後にこの世界へ生まれ変わっている。しかも生まれるところからではなく、もともといた人間に成り変わったようだ」
「んー?でも、俺がここに来た時は、裸でゴミ捨て場のゴミの上だったぜ」
「僕もこの屋敷の庭で倒れていた。この体の前の持ち主は、おそらく死んだのだろう。貴女の素性はわからないが、死体遺棄されていたのだろうか……。あくまで憶測でしかないが」
「ひどい話だな。あははは!滑稽だ!」
「それで、この首についている宝石だが――」
「はぁ?なんだそれ?」
俺が首を傾げると、男は襟元のスカーフを取り、襟のボタンを外して首元をあらわにした。首の真ん中、喉仏の辺りに真っ青な宝石が食い込んでいた。
「これは貴女にもある。しかも、僕と同じ宝石だ」
男はそう言い、手鏡を差し出してきた。俺は受け取り、自分の首を確認する。真っ青な宝石が首に食い込んでいた。息が苦しくなった時に、指に触れた硬いものの正体はこれだったのだ。
「なんだよこれ……取れない……!」
爪で掻いても、宝石を摘んでみても、全く撮れる気配がない。皮膚と一体化していて、食い込んでいると言うより、そこだけ皮膚が変化しているようだった。
「同じ宝石を持つもの同士は、一定の距離を離れるとお互いに死んでしまう。そう言う仕組みらしい」
「ヒィッ……!なら、これからお前と一緒にいないと死ぬってことか?」
「そうだ。だからどうかお願いだ。一緒にここで暮らしてくれないか。ご飯も寝床も用意する」
「おい!どうしてそんな事態になっているんだ!どう考えてもおかしいだろう!ここはやっぱり地獄なのか?そうだろ?」
「この世界は――」
男は少し暗い表情になりながら、襟のボタンを閉めた。嫌な予感がする。俺は男の次の言葉が恐ろしくなり、生唾を飲み込んだ。
「不変的万物の神が暇つぶしに作った、最悪の世界だ」
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