第3話 推しにご飯に誘われた

「ここのお店美味しいんだよね~」

「確かに美味しそう……」


 三人に連れられてやってきたのは、駅前に存在するうどん屋だった。

 私は普段、ライブ後は真っ直ぐ家に帰っていたのでこんなところにうどん屋があること自体知らなかった。


「藍果は肉うどんにするー」

「じゃあ私はかきたまあんかけにしようかな。麻都華と須野ちゃんは決まった?」

「私はかけうどんにしようかな」

「ちょっと待って! 牡蠣にするか肉にするかで迷ってる」

「軽めか重めだったらどっちの気分なの?」

「お腹空いてるしがっつりいきたいかも!」

「それなら肉にすれば?」

「よっしゃ、牡蠣にする!」

「おおー、噛み合ってないなー」

「麻都華ちんって意外と人の話聞かないよねー」

「うるさい。牡蠣がいいなって思ったんだもん」

「あはは……」


 うどん屋で推しに囲まれるオタク。

 どうしよう、まるで借りてきた猫だ。

 推しと一緒にいられるのは嬉しいけど、それはライブ中だからであって、こうしてプライベートで一緒にご飯を食べるなんて状況は想像すらしてなかった。

 嬉しいは嬉しい。推しとご飯なんて、オタクなら誰しも憧れるシチュエーションだろう。

 でもそれは妄想上だから憧れるわけであって、実現したらしたでみんな私みたいになるに決まってる。

 私もオタクだ。こういうシチュエーションを妄想したことはある。

 妄想の中での私は、メンバーの皆と和気藹々としていたのだ。


「すいませーん。注文いいですかー?」

「はーい」


 やっぱりプライベートでも明美が率先して動くんだな。

 明美はグループの中ではリーダー的な立ち位置にいることが多い。

 年長者というのと、藍果と彩音が生粋の末っ子気質というのもあるだろう。

 年齢で言えば真澄も同じくらいだが、率先して前に立つタイプではないし。

 麻都華はリーダータイプだが、明美という圧倒的リーダーがいるので一歩引いているという感じ。

 だから今回は、明美が妹二人を引き連れるお姉ちゃんに見える。


「藍果の分玉ねぎ抜きで!」

「こーら、ちゃんと野菜も食べなさいって言ってるでしょ」

「やーだーむーりーむーりー!」


 玉ねぎ抜きを注文しようとしていた藍果を明美が叱る。


「藍果って本当に玉ねぎ抜くんだ……」


 藍果の偏食は有名で、ライブなどでは、楽屋に置かれる弁当の野菜だけを取り除いて他のを食べることをメンバーに咎められる場面が何度かあった。

 私はその現場を生で見られたことに感動しつつも、藍果の健康状態が少し心配にもなった。


「ごめんなさい、普通のでいいです」

「かしこまりましたー」

「うわあああ!」

「大げさだなあ、いけるって」

「ほんとに無理なのにぃ……」


 藍果がこの世の終わりだと言わんばかりに頭を抱えた。


「もし無理だったら私が食べてあげるから……」

「えっ、ほんと!?」


 少し可哀想になったので助け船を出すと、藍果がキラキラとした目をこちらに向けてきた。


「須野ちゃん、甘やかしたらだめだよー。こいつの偏食はやばいんだから」

「そ、そうなの?」

「そうだよー。大体、世の中の大抵の食べ物には野菜が入ってるじゃん? だから食べられるようになった方が絶対いいんだって」


 確かに麻都華の言う通りだ。

 ご飯を食べに行くたびに野菜抜きを注文するのも手間だし、野菜が欠かせない料理もあるだろう。

 八宝菜とか、お好み焼きとか。

 その手の料理を食べられないとなったら、やはり損していると思えてならない。


「余計なお世話だっつーの! 藍果は肉だけ食べて生きていくもん!」

「肉ばっか食ってたら体臭臭くなるらしいよ~」

「え、まじか!」

「麻都華の言う通りだよ。肉って高カロリーで脂肪も多いから汗腺かんせんとか皮脂腺ひしせんが活発になって汗と皮脂が沢山分泌されて体臭が強くなるんだよ」

「かん……せん? ひし……せん?」

「せんせー、藍果さんがついてこれてませーん」

「まあとにかく肉だけじゃだめってこと」

「……藍果臭くないかな」

「え?」

「ちょっと臭くないか確かめて!」


 危機感を覚えたのか、藍果が向かいに座っている明美にぐいと近づいた。


「ちょっと……ここ店内! 恥ずかしいからやめてよね」

「お願いお願い!」

「嫌だってば。絶対しないから。須野ちゃんにでも頼んだら?」

「須野~!」

「えっ、私!?」


 明美の強引な振りにより、今度は隣の私が標的となった。


「須野、藍果臭くないよね!?」

「く、臭くないと思うけど……」

「確かめて!」

「ええ!?」


 確かめるって……それはつまり、藍果の匂いを嗅ぐということ……?

 そ、そんなの、アイドルの一オタクがしていいことじゃないでしょ!


「そ、それはちょっと……」

「あーあ、須野ちゃんも嫌だって。やっぱり臭うんじゃない~?」

「麻都華ちんひどい!」

「い、いやそういうわけじゃ……」

「じゃあ確かめて!」


 藍果がぐいっと腕を上げて私に近寄った。

 ま、まさか……腋ですか!?


「須野ちゃん、もう観念した方がいいよ」

「そ、そんなあ……」


 麻都華は私を助けてはくれないようで、スマホを弄り出してしまった。

 このままだと本当に藍果の腋の匂いを嗅ぐはめになってしまう。

 それだけは避けなければならないので、私は助けを求めて明美に視線を移した。

 私の視線に気づいた明美は面白そうにニコニコしながら。


「まあ、推しの体臭嗅げることなんて早々ないからいい機会なんじゃない?」


 なんて無責任なことを言うのだった。


「須野! ほら! 絶対臭くないから!」


 藍果は藍果で意地になっているようで、何がなんでも私に匂いを嗅がせようとしているようだった。

 こうなったら、もう腹を括るしかない。


「はあ……なんでこんなことに……」


 私は他のオタクに見られたら殺されるだろうなと思いながらも、藍果の腋に鼻を近づけた。


「すんすん、すんすん」

「そ、そんなしっかり嗅ぐ……?」

「ん? すんすん……」


 よくわからなかったので、もう一度嗅いでみる。


「な、なに……? もしかして臭い……?」

「いや、なんだろ……臭くはない。なんかフルーツ系の香水つけてる?」

「つけてる!」

「藍果ってそんなに香水つけないタイプなんだね」

「え、それってやっぱり臭いってことじゃ……」


 私の発言に、藍果が不安そうな顔をする。

 言い方が悪かったかな?

 別に臭わないってことを言いたかったんだけど……。


「それはつまりナチュラルな藍果の匂いがしたと」(麻都華)

「まあ、藍果は香水軽くつけるだけだもんね」(明美)


 二人が各々の感想を口にする。

 藍果になんて伝えようか考えていると、藍果がばっと腕を押さえて私から離れた。


「やっぱり臭いんだぁああ……」

「なんで!? 臭くないってば!」

「まあ、女がみんないい匂いするわけじゃないし」

「うわぁああああ! そのフォローが逆に傷つくぅうう」


 藍果を傷つけてしまったかとはらはらしたが、明美とのやり取りがなんだか楽しそうだったので大丈夫……かな?


 こうして、突如として始まった体臭談義は幕を下ろした。

 実は藍果が香水をあんまりつけないタイプだったってことを知れてちょっと嬉しかったなんて言えないな。

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推しの推しは私な件 羽槻聲 @nonono_n

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