第3話 ある夜の一幕(3)

「君を案内する場所は、ここからさほど時間がかからずに到着する。ああ、ちなみに言っておくが、君を牢屋だとかに入れるつもりはない。……少しは安心してくれたか?」

「お気遣い感謝します。まあ、手錠だとかはされていないので、警戒は解いて貰えたのかなと」

「君がこちらの対応に素直に従ってくれたからな。それには感謝している」


 先ほど自己紹介をしたスーツ姿の男、レイジとそんな会話をしている凛は、車に乗りレイジの言うナイトウォッチ宵闇支部なる場所へと向かっていた。運転をしているのは武装していた集団の一人でレイジは隣の助手席に乗っており、凛は後部座席に座っていた。この車もただの乗用車ではなく、自衛隊で言うところの軽装甲機動車に近い。細部で違う箇所があるのだろうが、一般人が乗る機会はまず無い車には違いない。


 この車に乗る前に、「指揮を別の実働部隊の人間に移す。それまではここで待機だ」と

レイジが他の人間に言っていたが、「了解しました」と答えた人間の歯切れが少し悪かった。レイジが彼らに信頼されているか、他の実働部隊とやらの人間にクセがあるかのどちらかだろう。そのレイジは落ち着いた声で凛との会話を続ける。


「……正直なことを言えば、もし君の名前が葛花でなければ、あの場で君を拘束していたかも知れない。そもそも、本来ならばこの時間帯に一般人が出歩くこと自体が、この宵闇市では禁止されている」

「それは──知っていました。ですが、知った上です」


 凛の言葉を聞き、レイジは顔だけを後ろに座る凛に向け、「そうか」と頷いてから顔を前に戻す。


「君は元から俺たちに接触するつもりだったのか。……それも含めて、向こうで話してもらおう。包み隠さずにな」

「そのつもりです」


 凛はこくりと頷く。臆することのない凛の様子に「肝の据わった子供だ」と運転手の男が呟くが、凛はそれに対しては反応を返さなかった。


 この軽装甲機動車に乗ってから過ぎた時間は、凛の感覚では二十分ぐらいだった。その間、車両に搭載されている無線からは何度か通話がかかってきて、レイジがそれに対応していた。凛はと言えば、小さな──恐らく防弾ガラスの窓越しに、流れる深夜の風景を眺める。凛が住んでいる地元と比べれば、非常に都会的に凛の目に映っていた。


 物資を輸送しているトラックとすれ違った際、そのトラックの警護をしているのか同じ軽装甲機動車も凛の目に入った。現金輸送車などならともかく、ただのトラックに──と普通ならば思うだろうが、これがこの街の夜では当たり前の光景だった。そもそも、普通の乗用車とすれ違わないどころか、街の通りには人の姿すらない。現代の夜とはとても思えないぐらいに、静まり返っている。


(姉貴から聞いてはいたけど……実際に見るのは初めてだ。これが宵闇市の夜か)


 と凛は思う。そう、ここは凛が生まれ育った街ではなく、そこから遠く離れた海沿いに面した都市──宵闇市である。


 宵闇市の人口は約七十五万人。昔から漁業が盛んであり、凛はまだ確認してはいないが多くの漁船が港に停泊している。貿易的にも重要な都市ということもあり大型の貨物船も見られ、豪華客船が港に立ち寄ることも度々ある。凛がいたあの工業地帯から離れた市内の中心部は、日中には海沿いでも有数の大型都市として賑わっている。

 そんな宵闇市に凛がやって来たのは、観光目的ではない。別の目的があった。それは言うなれば人探しだ。


 その探し人というのは凛の実の姉、葛花悠李。

 ──悠李は一年前の春、高校二年生になった頃に、この宵闇市で行方不明となっている。


 悠李はこの宵闇市にある私立宵闇高校に二年前に入学しており、本来ならば数週間後の四月には高校三年生となっているのだ。地元から離れたこの宵闇市に悠李は住んでいて、この街の名所や、友人たちと遊んでいる写真などを毎週のように凛に送っていたし、何なら電話もしょっちゅうかけて来た。凛にはそれが「面倒だなあ」と思うこともあったが今となっては懐かしく、もうずっと悠李の声を聞いていないような気がした。


 考えたくもないが、悠李の遺体が見つかったのならば、諦めもつく。もう姉は死んでしまったのだと。だが行方不明になってから今日まで、その連絡は凛の耳には入って来てはいなかった。ならば絶対に姉は生きてどこかにいるはずだと、たった一人でこの宵闇市へとやって来たのだ。そしてこの宵闇市で夜中に出歩くことがどれだけ危険なのかということも、凛は悠李から聞いた話で理解していた。


「凛君、もう到着する。……ん? ずっと起きていたのか。気を遣わずに眠っていても良かったんだが」


 とレイジが後ろに座る凛を振り返る。ずっと外の風景を見ていた凛にレイジは頭を掻いた。とは言え、現時点の凛に眠気はまったくない。


 防弾仕様のフロントガラス越しに見えたのは、大きな建物だ。それも何棟か確認できる。そこの敷地内に入る前に物々しいゲートが待ち構えており、車を運転している男と同じ服装に装備をした守衛らしき男が「お疲れ様です!」と敬礼を見せる。レイジは助手席のドアを開けると、そこから守衛の男に言った。


「話は伝わっているかな? 支部長への要件だ」

「はい、聞いています。どうぞお通りください。──その要件についてなのですが、坂東さんもそこに同席するようにと、支部長から連絡が入っています。現場の部隊の指揮は天内さんに任せるともありました」

「天内か……分かった。まあ、今日の出動はさっきの一件だけだ。このまま過ぎてくれれば問題無いな」


 とレイジは頷くとドアを閉める。それと同時にゲートが開くと、通行の許可を得た軽装甲機動車は敷地内へと入って行く。ここが普通の場所ではないことは一見して明らかだ。


 夜間だというのに、この敷地内を歩く人の姿や行き交う車が妙に多い。レイジのようなスーツ姿の人間や何かしらの整備を行っているのか作業服姿の人間、そして武装姿の人間も多い。普通、夜間でも動く場所というのは日中に比べてその活動は縮小されているはずなのだが、この場所ではこの夜こそが本来の時間のようだった。


 敷地内の建物の一つの前で軽装甲機動車が停まる。レイジはシートベルトを外しドアを開けて外へと降りると、凛が座っている後部座席の方のドアを開けた。


「凛君、ここで降りて、俺と一緒に建物の中に来てくれ。お前は車を駐車場に停めたら、第一守衛所で待機だ。こちらからまた連絡をする」

「分かりました」


 運転手の男はレイジからの指示を聞くと凛が外に出て、ドアを閉めたのを確認してから先ほどのゲートの方向へと車を走らせて行った。レイジはそれを見送ることなく「さて、行こうか」と凛に言うと、先導するように先を歩き始める。凛は慌ててレイジの背中について行った。


 入口の自動ドアを通る際、レイジは懐からカードケースを取り出し、読み取り装置にかざした。ピッと小さな音が鳴ると、自動ドアが開く。当然、IDカードを持っていない凛はその開いている間に建物の中へと入った。


「今の凛君のように入れば、中の監視カメラが異常を検知してアラームが鳴り響くんだが、連絡をしてそれは今だけオフにしてある。あるいは君なら、どうにかして入ってしまうかも知れないが」

「まさか。そこまでは出来ませんよ」

「どうだろうな」


 入口を過ぎて、中へと入ってまず凛の目に入ったロビーは、まるで大企業にでも来たと思ってしまうぐらいに立派だ。凛を連れて歩くレイジは目の前の受付を「支部長への要件だ」の一言を告げて通りすぎると、奥のエレベーターへと向かっていく。当然このホール内も人は行き交っていて、怪しく見られていないかと思った凛は「今ので大丈夫なんですか?」とレイジに小声で言う。


 凛の考えの通り、私服姿の凛は明らかにこの場所では浮いている。そこに声をかけられてしまったのは、当然の成り行きだろう。


「あれ? レイジさん、その男の子は? 今日は市内の警備でしたよね?」

「ああ──警備中に保護をした。どうしても夜に街を出歩きたかった、観光中の子供らしい。夜が明けるまでここで預かる」

「そうなんですか。大変ですね、実働部隊の方々は。頭が上がりませんよ」

「そうでもないさ。それに俺たち実働部隊だけじゃ、業務は回らないからな。頭が上がらないのはこちらの方だ」


 書類を持ち歩いていた女性に質問をされたレイジは、パネルを操作してエレベーターのドアを開けながら、簡単に答える。嘘をついているので、余計なことは言うつもりはないらしい。女性が「何かあったらすぐに対応しますね」と言うとレイジは「ありがとう。助かるよ」と笑みを浮かべ、凛とエレベーターの中に乗り込んだ。


「……あの、結構強引にここまで来ましたけど、本当に大丈夫ですか?」

「問題ない。それに今は、君を支部長に会わせることが優先だ」


 エレベーターが目的の階に到着するまでの間、会話はそれだけだった。エレベーターから出て、通路を少し歩いた先、ドアの前でレイジは立ち止まった。そこのドアに設置されているプレートには「支部長室」と記されており、凛に会わせる支部長なる人物がこの部屋の中にいるらしい。


「レイジか。葛花凛君を連れて来てくれたんだな。そのまま入ってくれ」


 レイジがドアをノックしようとしたとき、部屋の中から男の声が聞こえた。レイジは後ろにいる凛にちらりと視線をやった後に前を向き、「失礼します」と言いながらドアを開けた。凛も部屋の中に入る際、ぺこりと頭を下げてレイジと同じように「失礼します」と口に出した。


 支部長室というぐらいだから、ロビーのこともありよほど豪華な内装をしているのだろうと凛は思っていたのだが、想像よりも遥かに質素な室内だった。機能性を重視しているのか余計なインテリアなどは何も置かれてはいない。それもあり、凛は何よりも先に自分を出迎えた男性の姿を目に入れることができた。


「ナイトウォッチ宵闇支部支部長を勤めている、竜胆尊りんどうたけると言います。……まずは宵闇市へようこそ、と言っておこうか。葛花凛君」


 落ち着いた雰囲気のその男性を、凛は知っていた。──いや、思い出したのだった。

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