第2話 ある夜の一幕(2)

「地面に落ちているナイフを回収しろ。同時に他の人員で、対象のボディチェックだ。身元が確認できるものを探せ。他の者たちは対象並びに周囲の警戒を」


 馴れた様子で武装した集団に命令をし、凛の前まで歩み寄ってきた黒いスーツ姿の男を凛は両手を上げ、地面に膝をついた格好のまま見上げていた。言われた通りの恰好を取る凛を見下ろす男の視線は鋭い。


 男は年齢二十代前半ぐらいだろうか。この集団の指揮を取っているのは今の様子を見る限りは明らかだが、それを考えれば若い。黒髪には所々に白いメッシュが入っており、ミディアムヘアーに整えている。どうやら髪の色とかについては、どうこう言われてはいないようだ。もしくはそれを認められるぐらいの立場にいる人間なのか。


 凛が拾おうとしたナイフが回収され、両手を上げたままの凛の体を集団の内の一人が確かめていく。その際も銃口は凛に向けられたままだ。だが凛は怯える様子は見せず、大人しくボディチェックを受けていた。


「おい、見ろ。まだ子供だぞあいつ。それにしては妙に落ち着いているな」

「ですね。でも、この宵闇市でこの時間帯に子供が一人で出歩くなんてまずあり得ませんよ。大方、注意事項を無視した観光客じゃないですか?」

「今日は宵闇高校の生徒が警戒任務に同行するっていう話は無かったから、存外それが正解かも知れないな」

「でも夜魔ナイトメアの姿がどこにもないぞ。それに周囲のこの状況……まさか、あの子がやったのか?」

「いや、そんなまさか……でも夜型ナイトタイプだって可能性も……」


 武装した集団の話す声が凛の耳に入ってくる。それに対して何か返した方が良いかなと考えたが、彼らの任務が滞りなく進むのを考えた結果、口を閉じたままにすることにした。

 それにもし目の前の黒いスーツ姿の男や、この武装した集団が凛の思っている通りならば、怯える必要も無いというのが凛の考えである。


「ん? ──ナイフをもう一本発見しました。それと……財布にスマホですね。他には怪しい物は見当たりません」

「ナイフはそのまま回収しろ。財布とスマホはこちらに渡してくれ」


 凛のボディチェックを終えた隊員の報告に、スーツ姿の男はそう命じた。凛が予備として持っていたもう一本のナイフは回収され、財布とスマホがスーツ姿の男の手に渡る。凛の素性を確認するため、それらを調べるつもりだろう。


「安心しろ、これは後で君にちゃんと返す。だがそれは、こちらがそうしても問題無いと判断した場合になるが」

「それについては文句はありません」

「なるほど。しかし随分と、肝が据わっている少年だな。怯えさせようとして教える訳じゃないが、君に向けられている銃口の全てに実弾が装填されているんだがな」


 スーツ姿の男は凛の財布の中身を調べながら、こう訊いた。


「君の名前は? そちらの身元が確認できる物は俺の手の中にある。嘘はつかない方が賢明だ」


 ここでもし凛が偽名を口にしたのなら、更にややこしいことになるだろう。だがそんなことをするつもりは凛には毛頭なく、むしろ財布の中に大して現金を入れてなかったことに若干の恥ずかしさを感じながら、自分の名前を口にした。


「俺は葛花くずはな凛です。今は中学三年生──もうすぐ高校一年生になります」


 凛の名前を聞いた瞬間、財布の中身を確認していたスーツ姿の男の手がぴたりと止まる。凛を見下ろすその表情には、隠し切れない驚きが見えていた。

 それはスーツ姿の男だけではなく、武装した集団にとってもだったようで、ざわついたことから少なからず動揺しているのは明らかだった。その中で凛だけが落ち着き払っている。


 スーツ姿の男は凛の財布から、一枚のカードを取り出す。あれは多分、学生証だろうと凛は思った。そこに記されている名前を見れば、凛が偽名を言っていないことが分かるはずだ。

 そのカードを見ながら、スーツ姿の男は確認するようにこう言った。


「……君に質問をする。君はもしかしたら、葛花悠李の関係者か?」

「関係者も何も、葛花悠李は俺の姉貴です。姉貴からは、凛は私に良く似ているって言われていましたね。あんまり自覚は無いんですけど」


 スーツ姿の男の質問に、凛はこくりと頷いて答えた。悠李に「凛は私に似ているわね。ふふん、嬉しいでしょ?」とからかわれたことを思い出し、少しの懐かしさと寂しさを一瞬だけ感じた。


「悠李の弟……そうか、君が……」


 スーツ姿の男は呟きながら財布から、凛のスマホへと調べるものを変えた。見ず知らずの人間にスマホを操作されるのは恥ずかしいものだが、凛はそれを我慢する。

 少しの間、凛のスマホを操作していたスーツ姿の男は「なるほど」と頷いて、凛に視線を戻す。何かを確信したようだ。


「この工業地帯で【扉】が開き、夜魔ナイトメアの反応が現れた──それは間違いない。もしかして、俺たちがここに来るまでの間に君が倒したのか?」

「はい。一体だけだったので、それほど時間をかけずに倒すことができました。とは言え、余裕……というほどではなかったですが」


 凛は頷く。もし一体だけではなく複数いたのなら、凛が戦っているところに武装した集団がやって来たはずである。

 凛の言葉を聞き、周囲から驚きの声が上がる。だがスーツ姿の男は何か腑に落ちない点があるのか、腕を組む。


「君が倒したのが事実だとして──どうやって俺たちより先にここに来ることができた? それとも偶然、ここの工業地帯を通りかかったのか?」

「いえ──【扉】が開く前兆が見えたので、ここで【扉】が開くのを待っていました。他にその前兆を確認できた場所がいくつかあったんですけど、この場所が一番早く開きそうだったので」


 首をふるふると横に振って、凛はそう答える。その凛の言葉を再確認するかのように「扉が開く前兆が見えた?」とスーツ姿の男は口にする。それには明らかな驚きが含まれていた。スーツ姿の男以外にとっても、それは驚くに値することのようだ。


「前兆って……おい、そんなの聞いたことあるか?」

「いや、無いですね。さすがに嘘をついているんじゃないんですか?」

「だけど実際に俺たちより先にここにいた上に、倒したって言っているんだぞ。じゃなきゃこの周囲の状況の説明がつかない」

「そうなると、あの子が夜型ナイトタイプなのは間違いないか? だとすれば、倒したっていうのはあながち本当かもな」

「葛花って名乗っていたし、信憑性はあるんじゃないか」


 周囲から聞こえてくる会話。その内容と彼らの困惑具合からして、凛の言葉には疑問を持たれているようだ。そんな中でスーツ姿の男は腕を組んだまま、何やら考えを巡らせているのか言葉を発さない。視線だけが凛のことを捉えていた。

 そしてスーツ姿の男は考えが纏まったのか組んでいた腕を解くと、周囲を見渡した。


「総員はこのまま周囲の調査を行ってくれ。他に出歩いている人間がいないかも確認するんだ。──葛花凛に対しての警戒は、解除する。銃口を下ろしてくれ。君もその格好を止めて、立ってもらっても構わない」


 スーツ姿の男は他の武装した隊員たちに伝えると、凛にもそう言った。凛は自分に向けられていた銃口が下ろされたのを見て、ふうとひとつ息を吐いてからその場に立ち上がる。


「申し訳ないが、少しここで待っていてくれ。こちらも確認しなければいけないことがあるんでね。ああ、そうだ。これは返しておこう」


 ボディチェックの際、凛から回収した財布とスマホをスーツ姿の男は凛に手渡す。「ありがとうございます」と凛はそれらを受け取るが、手渡された際にスーツ姿の男は凛の顔を確認するように見ていた。


「……確かに悠李に似ているな」


 ぽつりと呟かれたその言葉。スーツ姿の男は凛に背中を向けると、凛と距離を取りながら自分のスマホをポケットから取り出し、耳に当てていた。誰かに連絡を取っているのだろう。会話の内容は凛の耳には聞こえては来ない。


 スーツ姿の男の通話が終わるまで、少しの時間がかかった。その間、周囲の調査をしている武装した隊員たちからは好奇の目で見られることとなり、凛にとってはくすぐったいような、あまり居心地の良い時間とは言えなかった。根掘り葉掘りの質問を受けることにならなくて済んだのは、せめてもの救いだろう。


 通話を終えたスーツ姿の男がスマホをポケットに入れながら、凛の元へ戻ってくる。「葛花凛君」と口を開いた男は、そのまま言葉を続けた。


「自己紹介が遅れたが、俺は坂東レイジという。君はこのまま俺と一緒に来てもらうことになった。──ナイトウォッチ宵闇支部へと」

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