第25話
人もまばらな夜の街に、二人分の靴音が緩やかに響き渡っていた。
白い街灯がお互いの顔を照らし鮮明に映る。
ゴクリとつばを飲み込むと、「うん……!」と頷き、
「「せーのっ」」
――しゃりっ。
耳心地のいい氷の砕ける音。
それと同時に口の中に広がる未知なる感触。
「……うわ、めっちゃカレーだ。うおすっご」
食べ物を食べて美味いが第一声でない場合、味がイマイチなことがほとんどだ。
つまり、今回の場合もそういうこと。
しかし、隣でもちもちとした頬をかすかに動かし、咀嚼する彼女は……。
「美味しい……! なにこれ美味しい! カレーなのに冷たい!」
「壮馬と同じで着眼点若干ずれてるんだよな……」
あと、食の好みも。
「藤田くんはどう? 忌憚なき意見が聞きたいな」
「では言わせてもらおう。オブラートに包めば美味しくない。オブラートを外せばマズい」
「外すなら最初から包まなくていいよ色々もったいないから……でもそっか、ハマらなかったか」
「ま、これも体験の一つと考えれば悪くない挑戦だったな。あれと一緒だ。東南アジアの市場とかによくあるゲテモノ? みたいな」
「そうなると私はゲテモノを美味しいって言って食べてる人になっちゃうんだけど」
「いいね!」
「適当!!!」
つい意地悪なことを言ってしまったが、そこまでマズいわけじゃない。
……ただもう一度食べたいとは思わないけど。
「ふふっ、あはははっ」
唐突に遠坂が笑い始める。
「ど、どうした? やっぱり笑いたくなるほど美味しくなかったか?」
「そういうわけじゃないよ。ただ唐突におかしいなぁって思っただけ」
「おかしい?」
「だってふと思えば私、男の子と二人で夜に変な味のアイス食べながら散歩してる。しかも君の奢りで」
「……今のところおかしいのはアイスだけじゃないか?」
「全部おかしいよ。おかしくて、面白くて、すごくいいなって思う」
遠坂の感じていることの全てをわかることはできない。
だがほんのわずかだけ、言葉では説明できない感覚的なものを共有している気がした。
「あ、この公園」
ふと通りかかった公園の前で遠坂が足を止める。
ブランコに滑り台、それと小さな動物のオブジェ。
たったそれだけのこぢんまりとした遊具が、薄い街灯に照らされている。
「昔ここでよく遊んだんだ」
懐かしそうに公園を眺める遠坂。
ふと気になって、俺は訊ねる。
「子供の頃の遠坂はどんな子だったんだ?」
「そうだなぁ……あんまり今と変わらないと思う。もう少し活発だったとは思うけど」
「じゃあ昔から遠坂は可愛かったんだな」
「へ⁉︎ それは……知らない」
遠坂が拗ねたようにぷいっとそっぽを向く。
そしてやがて、穏やかに微笑んだ。
「昔なんて、今より全然女の子っ気なんてなかったよ。別に今もあるわけじゃないけど、もっとね」
後ろで手を組み、ゆっくりと歩き出しながら続ける。
「小学四年生のころにさ、家庭科の授業でエプロンを作ることになったんだ。それでカタログみたいなのが配られて、柄を選ぶことになって。私は花柄を選ぼうとしてたんだけど、周りにすごく反対されて」
頭の中でその光景が想像される。
「昔から髪は短かったし身長は誰よりも高かったし、何より男の子っぽい顔してたから似合わないって言われて。それで仕方なく、男の子で一番人気な星柄を選んだんだ」
小学四年生の遠坂が、少し不服そうに星柄の布を持っている姿が頭に浮かぶ。
「それから女の子っぽい選択肢が与えられるとまた反対されると思って、選ばなくなってた。それで気づいたら女の子っぽい物は恥ずかしくて持てなくなってた」
「そうだったのか」
「そう。だからずっとズボンを履いてたし、髪もそんなに長くないまま。楽っていうのもあるんだけどね」
遠坂が空を見上げ、ふぅと息を吐く。
月夜に輝く彼女は美しく、俺にはやはり最初から“彼女”にしか見えなかった。
「……なぁ遠坂。ならなんでスカート履き始めたんだ? 遠坂にとっては、スカートを履くなんて選ばない選択肢だろ?」
俺は訊ねる。
「あははっ、そうだね。――でも」
遠坂がくるりと舞う花弁のように身をひるがえし、俺の方を見た。
「君のせいだよ?」
クスッと上品に微笑んでみせる遠坂。
俺の胸がドクンと跳ねる。
「……どういう意味だよ、それ」
「だって藤田くんが可愛い可愛いって言うし、私がスカート履くこと反対しないしむしろ推奨するし。だからこの選択肢は、私にとってダメじゃなくなったんだよ」
「そ、そうか。なら俺のせい、か。……いや、俺のおかげ?」
「物は言いようだね」
また遠坂がクスリと笑う。
「……まぁ、それだけじゃないけど」
遠坂がぼそりと呟く。
しかし言葉が小さな声の塊みたいに届いて、俺には聞き取れなかった。
聞き返そうと思ったが、歩き始めた遠坂に「二度は言わない」と言われた気がして、黙って後を追う。
「あぁーなんか、不思議な気持ちになって色々話しすぎちゃった。これが深夜テンションってやつかな」
「深夜って時間でもないだろ。言うなら、変な味のアイスを食べた方だろ」
「あははっ、そうかも」
遠坂に追いついた俺は、足並みをそろえて一歩を踏み出した。
まるで夢のような日常に、思わず頬が緩む。
かけた月に照らされながら、小冒険にしては大きな何かを得たような気がしたのだった。
♦ ♦ ♦
いつも通り玄関で靴を脱ぎ、そのまま二階に上がって私の部屋に入る。
もちろんドアを閉めて電気をつけると、私は「ふぅ」と何かを調節するみたいに一息ついて……。
「何してんだ私はぁあああああああああああっ!!!!!」
悶えていた。
私はどうかしている。きっと、どうかしている。
「なんで突然私の過去の話なんてしてるの⁉ それに、それに……」
――君のせいだよ?
「うわぁああああああああああっ!」
顔が燃えるように熱い。
後悔にさいなまれる。あれは私じゃない。私じゃない。
「あぁ……最悪だ」
幸い藤田くんは何も引っ掛かってなさそうだったが、それにしてもだ。
ついテンションが上がってしまった。楽しくなってしまった。
私は自分がここまで雰囲気に流されるような人だとは思っていなかった。
いや、もしかしたら私は今までにないくらい高揚してたってことかもしれない。
「うぅ……」
しかし、冷静な分析など今は全く効果がない。
恥ずかしさが私の顔に火をつけ、胸の中をざわつかせる。
まるで夢のようだった。
藤田くんとアイスを食べながら歩く、あの時間は。
「お願いします、夢であってください」
そう祈るも、頬の熱さが現実であることを切に教えてくる。
私は逃れられない。
それでも、徐々に楽しかったという感情も沸いてきて。
半々に分かれた心を胸に、私はもう一度枕に向かって叫ぶのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます