第18話
じめっとした空気が教室に漂っている。
天気も晴れがずっと続いているわけではなく、雲の方が割合的に見ることが多かった。
感覚的にイマイチ気分が上がらない今日この頃。
昼休みにしては珍しく人もまばらで自席でボーっとしていると、ふと黒板を一人で掃除するクラスメイトの相田さんが目に入った。
「よいしょっと」
ぴょんぴょんと跳ね、黒板の上の文字を消そうとするも届かない。
見かねて俺は立ち上がり、黒板消しを手に取った。
「黒板の高さ調節できないとか、さすが公立って感じの設備だよな」
「あっ! ふ、藤田くん⁉」
丸々とした目が驚いたように大きくなり、相田さんが俺から瞬時に距離を取る。
「上の方は俺がやるから下の方頼む」
「え、あ……う、うん。分かった」
相田さんはこくりと頷いて、俺と少し離れた位置を消し始めた。
俺と相田さんはあまり話したことがない。
相田さんは色んな人と話す宇佐美みたいなタイプではないし、俺もそうだからだ。
よって、必然的に沈黙が生まれる。
しかし。
横からチラチラと感じる視線。
その視線の持ち主に振り返せば、慌てて黒板に視線を戻す。
それを何度か繰り返した後、俺はしびれを切らして声をかけた。
「そんな珍しい奴でもないぞ。毎日教室にいるし」
「そういうわけじゃなくて! その……藤田くんってさ、結構気遣いできる人だよねって思って」
「何それ、意外みたいな言い方だけど」
「あ、ごめん! そういうつもりで言ったんじゃないんだけど……」
「大丈夫。俺もそういうつもりで言ったんじゃないから」
「え? それってどういう……あ、そういうこと!」
再度目を見開く相田さん。
「なんかマジックやった後、その種明かしをしてるみたいで恥ずかしいな」
「あはは……ごめん。私察し悪いからさ」
相田さんがクスリと笑う。
前から思っていたが、その小さい背丈も相まってやはり小動物のように見える。
うさぎとかリスとか、そんな感じだ。
「……でもなんか分かった気がするな」
「え? 何が?」
「知らないの? 藤田くんって、結構女子の間だと人気なんだよ?」
「え"」
「あははっ、何その声」
「いや、びっくりして……ってかなんで当人に知られてないんだよ。隠れてモテててますとかあるか?」
「あるんじゃないかな? 実際そうなんだし」
「なるほど……そうか」
びっくりだ。
まさか俺がモテててたなんて……いやしかし、信じられない。
もしかして相田さんの分かりづらいボケなんじゃ……と疑っていると、相田さんがぷっと吹き出した。
「すごい疑ってる! あははっ、やっぱり面白いね! 藤田くんって」
「それはどうも。楽しんでもらえたようで何よりです」
俺が答えると、またしても相田さんが楽しそうに笑った。
そんな感じで作業を続け、あっけなく掃除を終える。
「ありがとね、藤田くん。助かったよ」
「おう。こういうことがまたあったら、ちゃんとデカい奴に頼めよ」
「う、うん! 分かった」
仕事を終え机に戻ろうとしたとき、ふと俺に向けられた視線に気が付いた。
「遠坂?」
「あっ! いや、その……あはは」
声をかけられて驚いた後、慌てたように苦笑いを浮かべる遠坂。
「何か用か? 食べ物は持ってないぞ」
「物乞いしたかったわけじゃないよ! というか食いしん坊じゃないし!」
「じゃあ食いしんガール?」
「坊を訂正してほしかったわけじゃないよ! もう、ほんと藤田くんは……」
「で、どうしたんだ?」
「あぁ、ほんとになんでもないの。じゃ、私教室行くね」
遠坂が慌てて筆記用具を持って教室を出ていく。
「そういえば五時間目、移動教室か」
だからこんなに人が少なかったんだなと腑に落ちた俺は、時間に余裕があることを確認してから次の授業の準備を始めたのだった。
♦ ♦ ♦
「……こ」
「……るこ!」
「香子!!!」
「うわっ、びっくりした」
「それは私のセリフだよ。もう、さっきからボーっとしすぎ」
「ごめんごめん。で、サムギョプサルがなんだっけ?」
「全然聞いてないじゃん! ってか、誰が喫茶店で韓国料理の話するんだっ!」
愛佳にツッコまれ、我に返る私。
いけない。完全にボーっとしてしまっていた。
愛佳が怒りを鎮めるように、フラスコみたいな形のグラスに入ったアイスコーヒーを一口飲んで、ふぅと息を吐く。
「校外学習の話! そろそろだよね~」
「来週だっけ? 雨降らないといいけど」
「一応予報では曇りだけど……この時期は降ると思っといた方がよさそう」
確かに、嫌な方を想定していた方が裏切られたときのダメージは少ない。
ただ私は器用に自分を騙せないので、全力で祈ることにする。てるてる坊主とか作ろうかな。
「そういえば校外学習で思い出したけど、うちのクラスの相田さん、藤田のこと解散後にご飯誘うって言ってたな」
「え"!!!!!!」
「急にデカいな! ってか何その声。香子から初めて聞いたんだけど……」
「ご、ごめん。つい……」
自分を落ち着かせるために息を吐き、コーヒーを体内に鎮める。
愛佳は頬杖をついて続けた。
「別に珍しい話でもないでしょ? 校外学習後に好きな人誘うのって定番だし、藤田ってあの感じで人気あるからね」
「そ、そっか。へぇ……」
確かに、藤田くんのことが好きだと言っている女子を見たことがある。
でもそりゃそうだよな。藤田くんがモテないわけがない。
「香子はいいんだ?」
「え? どういうこと?」
「もしそのまま相田さんと藤田が付き合ってもいいんだってこと」
「それは……別に、私には関係ないでしょ」
私が言うと、愛佳は一瞬ぽかんとしてから呆れたようにため息をついた。
「香子、君はねぇ……はぁ、嫌じゃないの?」
「嫌って、それは……」
ふと過る、相田さんと藤田くんが仲良く歩いている姿。
――ちくっ。
「…………」
「……ったく香子は。おバカさんだなぁ」
「ば、バカとか言わないでよ!」
「いーや、おバカさんだね! ばーかばーか!」
「悪口禁止! その綺麗な口が汚れるよ!」
「大丈夫、私の口は汚れないくらい綺麗だから~」
「もう、何それ」
まるで小学生の口論みたいだ。
それに気づいた私は、イライラをぶつけるようにコーヒーに口をつける。
苦い。そして……痛い。
この痛みは一体何なんだろう。
私はそれを誤魔化すように、口の中で苦みを転がしたのだった。
「よかったねーあの喫茶店」
「そうだね。また来ようか」
からんと音を鳴らして店から出ると、愛佳と並んで歩き始める。
辺りはすっかり夜になっていて、街の明かりがぼんやりと空に滲んでいた。
「最近の香子さ、なんかすっごく楽しそうだよね」
「何急に。感傷に浸ってるの?」
「浸りまくり! だからもう少しこのまま話す!」
一息つくと、愛佳は続けた。
「たぶんさ、それって藤田と関わり始めてからじゃん?」
「それは……」
「それはそうなの。親友の私を舐めないで!」
「わ、わかった」
親友とまで言われてしまえば、私に返す言葉はない。
「それにさ、私の前で見せないような一面を香子は見せてるんだよ。全く、私にも見せてないものがあるなんてびっくりしたよ!」
「そんなときあった?」
「あったよ! 例えば体育祭のとき、藤田と校舎裏で話してた時とか」
あの時の話をされると、気恥ずかしい自分がいる。
でも、大切な記憶だ。それは間違いない。
「なんかさ、あれ見て思ったんだ。香子にとってのスペシャルって、藤田くんなんじゃないかなって」
「愛佳……」
「だからさ、どこまでも自分本位でいなきゃダメだよ。じゃないとそのスペシャルを逃しちゃうんだから」
愛佳の言葉が胸に突き刺さる。
何も言えない私を見て、愛佳は子供みたいに無邪気な笑みをこぼした。
「それに、そっちの方が私としてはありがたいしね!」
「……もうっ、何それ。そっちの方が面白いからってこと?」
いつもの冗談を言い合うみたいなテンションで聞く。
すると愛佳は私の顔を覗き込み、最上級に可愛い笑顔を浮かべて言うのだった。
「これはね、そっちの方が香子が幸せだからだよ?」
「っ!!!」
本当にこの子はずるい。そして、可愛い。
やっぱり、私が欲しい“可愛い”を全部持っているような女の子だ。
「っ~♪」
愛佳が満足げに鼻歌を歌いながら私の前をスキップする。
そんな楽しそうな愛佳とは対照的に、徐々に私の心はごちゃごちゃした感情に埋め尽くされていった。
でも、そのすべての根本にある疑問が今はっきりした。
私は藤田くんのことをどう思っているのか。
考えても考えても、結局私の中でその答えは見つからなかったのだった。
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