第17話


「…………いちゃん?」



「……にいちゃん!!!」




「お兄ちゃん!!!!」




「……ふがっ」


 目が覚め、窓から差し込む太陽の光に目を細める。


「お兄ちゃん! いつまで寝てるの? もう朝って言ったら先生に苦笑いされる時間帯だよ!」


「……的確な指摘でお兄ちゃんちょっと罪悪感湧いてきたよ」


「それが狙いだからね!」


「罪悪感を狙う小四とは、将来が楽しみだ」


 体を起こし、ぐーっと伸びをする。

 眠気と落ちかかった疲労を体の外に追いやって、ようやくベッドから抜け出した。


「海はもう朝ごはん食べたのか?」


「うん! 自分で目玉焼き作った」


「やるなぁ。じゃあお兄ちゃんにも作ってくれよ」


「いいよ!」


 うん、やっぱりいい妹だなぁ。


「ん!」


「ん?」


「んっ!」


「……え?」


 海が当然と言わんばかりに俺に手のひらを差し出してくる。

 これは、もしや……。


「一枚百円ね!」


「……ぼったくりじゃねぇか」


 でも、妹に目玉焼きを焼いて欲しかったのでお金を支払いました。

 満足度は百円以上だし、普通に儲かったと思っています。










 その後。

 朝ご飯とほとんど間隔を空けずに昼ご飯を平らげた俺は、海との約束でこれから近所の公園に向かおうと準備していた。


「お兄ちゃん! 今日は暑いみたいだから涼しい格好にしてね!」


「おけーい」


 海のアドバイスを参考にしつつ、その中で適当に目についた服に着替え、部屋を出る。

 

「お兄ちゃん早くー!」


「あーい」


 一階から弾んだ声が響き渡る。

 もうすでに海は玄関にいるようで、待ちきれないと言わんばかりに俺を急かしていた。


「今行くー」


「早くしてねー!」


 海の声を受けて、急いで階段を降りようとする。

 そこでふと立ち止まり、少し迷ってから踵を返した。


 向かうは俺の隣の部屋。

 ゆっくり開けると、寝息がかすかに聞こえてくる。


「父さん? もう昼だよ」


「ん……あぁ、林太郎か。もうすぐ起きるよ」


 父さんが布団の中から声だけ出してくる。

 俺は再び迷ってから、平然を装って布団に声をかけた。


「今から海と公園に行くんだけど、父さんもどう?」


「……と、父さんはもう少し寝ようかな。昨日も遅くまで仕事だったんだ」


「分かった」


 分かり切った答えを確認して、部屋を出ようと再びドアノブに手をかける。


「林太郎! ……ご、ごめんな」


「……それは海に言ってくれ」


「う、うん」


 まだ何か言いたげな父さんを背に、部屋の扉を閉める。

 俺は少し濁った気分を払いのけると、今度こそ階段を降りたのだった。





     ♦ ♦ ♦





「行ってきまーす!」


 家を出て、少し柔軟をしてから走り始める。

 私は走るのが好きだ。というより、体を動かすことが好きだ。


 おまけに晴れてる日も大好きで、こうして休日は走ることが多い。

 いつものコースを気分よく走り抜け、近所で一番大きな公園に足を踏み入れる。


 ここは私の一番お気に入りのランニングスポットで、緑が多く心が癒される。


「いい天気だなぁ」


 思わず心の内を呟いていると、ふとベンチに見知った顔が見えた。

 猫っ毛で、起きているのか寝ているのか区別が付きづらい覇気のない目つき。


「藤田くん?」


 息を切らしながら立ち止まると、遊具の方に目を向けていた彼が私の方に視線を移した。


「お、遠坂。偶然だな」


「こんなところで何してるの?」


「あぁ、それは――」




「お兄ちゃん!!!」




「お兄ちゃん?」


 パタパタと足音が近づいてくる。

 一人の少女が、藤田くんの前で足を止めた。


「お、海。ちょうどよかった。この人が、クラスメイトの遠坂香子さんだ。よく覚えておくように」


「こんにちは! 兄がお世話になってます! 妹の海です! 以後、お見知りおきを!」


「ど、どうも。よろしくね、海ちゃん」


 な、なんだこの子は。

 礼儀正しいにもほどがある。


「そういえば藤田くん、妹さんいるって言ってたもんね」


「そうそう。自慢の妹だ。だから今自慢してる」


「あはは、そうなんだ……」


 確かに、いつもより二割増しくらいで藤田くんが意気揚々としてる気がする。

 

「というかお兄ちゃん! こんなに可愛いお友達いたんだ!」


「か、可愛い⁉」


「やっぱり海もそう思うよな? でもな、このお姉さん、自分が可愛いってこと素直に受け入れてくれないんだよ」


「えぇー! なんで⁉ 私こんなに可愛い人見たことないよ⁉」


「っ⁉ そ、それは……ありがとうございます……」


 子供だからか、嘘偽りないということがひしひしと伝わってくる。

 その分照れくささも複雑ではないんだけど……これはこれでなかなかの破壊力だ。


「あの、お兄ちゃんのことお願いしますね! お兄ちゃんほんとズボラで、しかもシスコンだし……将来が危ないんです!」


「おい海。初対面の人にお兄ちゃんの将来を託しちゃダメだぞ?」


「今のうちに手数を増やさないと!」


「その心がけは大切だけど、お兄ちゃんのメンツがなくなるんだ。そこも考慮できたら完璧だな」


「分かった!」


「よし、それでこそ最高傑作妹だな」


 まさに水入らずと言った会話を繰り広げる二人。

 ……私は一体、何を見せつけられているんだろう。というか。


「ほんと仲いいね、二人とも」


「まぁな」


「お兄ちゃんはしすこんだからね!」


「あははっ、そっか」


 思わず笑みがこぼれる。

 妹さんと関わる藤田くんを見て、藤田くんという人間がより理解できたような気がしたのだった。





     ♦ ♦ ♦





 楽しそうに笑顔を弾けさせる海を見ながら、オレンジ色に染まった太陽の光を浴びる。


「もうすっかり夕方だな」


「だね。遊んでたらいつの間にかこんな時間だったよ」


 隣に座る遠坂が、同じように目を細めて座っている。

 

「ありがとな、海と遊んでくれて。いつになくはしゃいでたよ。正直、俺と遊ぶ時と比じゃないくらいにさ」


「ほんとに? それはよかった。私も、海ちゃんと遊ぶの楽しかったし。すごくいい運動になった」


 満足げに言う遠坂。

 ふふっ、と溢れんばかりの笑みを顔いっぱいに滲ませている。


「ほんとにさ、ありがたかったよ」


 その笑顔を見ていたら、心のすぐ近くにある思いを出さずにはいられなかった。


「海はさ、幼い頃に母親を亡くしてて。だから母親に遊んでもらうっていう経験がないんだよ」


 ふと、母親と手を繋いで歩く少年が視界に入る。

 普通なら、あんな風にきっと今も過ごすはずだった。


「普段は絶対口に出さないけど、たまに海の奴、羨ましそうにするときがあるんだ。俺は母親じゃないし、どうしてやることもできない。でも、今日はそんな海の願いを、どこか遠坂が叶えてくれたような気がしたんだ」


「藤田くん……」


「ほんとにありがとな。なんか俺も、楽しそうにしてる海を見て嬉しかった。って、同級生にこんなこと言ったら重いよな。悪い、忘れてく――」



「そんなことないよ!」



「え?」


 陽に照らされた遠坂が、真っすぐな瞳で俺を捉える。


「重くなんかない。むしろ私、なんだか藤田くんの心の近くに触れられた気がしてすごく嬉しかったよ」


 遠坂が優しい表情を浮かべながら視線を太陽の方に戻す。


「それにさ、大切なことは重いに決まってるんだよ。当たり前のことなんだ」


「遠坂……」


 遠坂の言葉が、胸の奥底にすんなり入っていく。

 きっとこのセンチメンタルな景色や雰囲気が助長させているところもあると思う。


 でもそれ以上に、遠坂の声音と、言葉の触れ方とその表情が温かく語りかけていた。


「藤田くんは偉いよ、ほんとに。なんだか今日で色々分かったし、もっと分かりたいと思ったけど……でもやっぱり、藤田くんはすごいんだなって分かった」


 遠坂は澄み切った表情で言った。





「君はすごいよ、ほんとうに」






 ぶわりと風が吹くように、俺の深層を新しい何かが撫でつける。

 

「お兄ちゃーん! 香子さーん!」


 海の満面の笑みに、負けないくらいの笑みを浮かべて振り返す遠坂。

 

「ほんっと、可愛いなぁ」


 遠坂が呟く。


「……ほんと、そうだな」


 俺は思わず笑みをこぼすと、遅れて手を振ったのだった。



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