三章 燃えゆく彼女は決意する
第15話
ワイシャツをパタパタと仰ぎ、風を体との隙間に迎え入れていく。
窓の外からは湿度の高い風と共に、太陽の日差しが熱を持って降り注がれていた。
「冬のときは早く夏来て! って思ったけど、今は帰ってこい冬だわ……」
「クズ男みたいなこと言ってるけど、正直同感だな。しかも日が落ちると寒いんだよな」
「アグアグっ」
「え、アグ?」
「アグリーかける2の略。今朝思いついて、自信を持って流行らせようと思ってる」
「愛佳、たぶん流行らないよ」
「ディスアグ!」
教室で座る宇佐美を囲むように俺と玲央、遠坂の四人で話す。
「でも、夏は女の子の季節だからね!」
「「「女の子の季節?」」」
「香子、あなたも女の子だよ。ピチピチの」
「あ、そうだった。でも、そんな鮮度高そうじゃないんだけど……」
苦笑いを浮かべながら頭を掻く遠坂を横目に、宇佐美がチェック柄のスカートをつまんで見せる。
「だって、スカートだからね。冬は生足出てきぃーっ! って思うけど、夏は天国! スカートの季節っ!」
「確かにそうだな。夏用があるとはいえ、ズボンだと暑い」
「あははっ、そうだね」
「遠坂は夏もズボンなのか?」
「そのつもりだけど」
「そうだ香子! 思い切ってスカート履いちゃいなよ! 前に一応持ってはいるって言ってたよね?」
宇佐美が身を乗り出して遠坂に迫る。
遠坂は宇佐美の勢いに一歩後退し、首を横に振った。
「いやいや、私は無理だよ! スカートとか恥ずかしいし、第一似合わないだろうし」
遠坂の言葉に、ぴくりと体が反応する。
「何言ってんだよ遠坂。普通に似合うだろ。というかむしろ似合いまくりだろ」
「に、似合いまくり⁉︎」
「既視感ありまくりな展開」
「まくってるね、これ」
宇佐美と玲央の言葉を一度押入れの三段目に入れておいて、耳を赤くした遠坂に視線を固定する。
「再三言ってることだけどな、遠坂はちゃんと“可愛い”んだよ。いや、ちゃんとってのもおかしいな。なんて言うか、うーん……“可愛い”? みたいな」
「同じこと二回言ってるよ! というかTPO! こないだ約束しなかったっけ⁉︎」
「今はダメなのか?」
「ダメだよ! こんな朝っぱらから、しかもたくさん人がいる教室でなんて! 明らかにTPO違反だ!!!」
「じゃあどんなとき言っていいんだよ」
俺が聞くと、遠坂が慌てたように視線をあちらこちらへやりながら言う。
「そ、それは……“二人のとき”、とか?」
「「グハッ!!!!!!!」」
宇佐美と玲央が俺より先に食らったように天を仰ぐ。
そしてひそひそと話し始めた。
「なぁなぁ宇佐美、コイツら俺たちがいること忘れてないか?」
「アグアグだよ! というかもうどっか行かない? というかもうどっか行きたい」
「アグアグ」
「っ! もう二人とも! からかうのはやめてよ!!!」
怒る遠坂を見ながら俺は一人、傍からというポジションでウンウンと唸る。
「やっぱり可愛いな。それしかない!」
「TPO!!!」
もはやアルファベット三文字でツッコむようになった遠坂。
俺は怒られていることを他所に、頭の中であることを考える。
TPOの略。
Tosaka is Pretty! Oh my god!!
だったらいいですね! ハイ!
昼休み。
俺は教室から少しのところにある自販機を目指して歩いていた。
目的の自販機が見えると、それと同時に見知った背中が目に入る。
「あ、遠坂だ」
流れで声をかけようとして、ふと思いとどまる。
普通に話しかけても面白くない。
ここは一つ、気を衒うことにしよう。
ゆっくり背後に迫り、そして……。
「わっ!!!」
「うわぁっ!!!」
――ゴトンっ。
遠坂の悲鳴と同時に鈍い音が響き渡る。
「「……あ」」
遠坂がしゃがみ、取り出し口から缶を取り出す。
夜遅くまで仕事をした精鋭社会人が、帰り道に白い光で足を止め、
『今日は頑張ったし、これくらい許されるよな』
としゃがれた声で一人呟いて手にするにふわさわしいような渋いパッケージ。
「ブラックコーヒー……」
ずーん、という効果音がふさわしい表情を浮かべる遠坂。
「ごめん遠坂。ただ驚かせたかっただけなんだけど」
「童心を忘れないことはすごくいいことだと思うよ……」
発言と表情が全く合っていない。
俺はすかさず自動販売機に硬貨を二枚入れ、遠坂に体を向ける。
「好きな物選んでくれ。ブラックコーヒーは俺が飲むから」
「いいよいいよ。別にそこまでこだわりないし」
「でもなぁ、さすがに悪いよ」
「ほんとに大丈夫だって。私、ブラックコーヒー飲めるし」
「……そうか」
そこまで言われたら仕方がない。
俺はラインナップを一通り見てから、ボタンを押した。
「へぇ、藤田くんっていちごみるくとか飲むんだ」
「まぁな」
二人とも目的を果たしたところで、並んで教室に向かって歩き始める。
ぷしゅっ、とプルタブを起こす音が響き渡り、隣を見てみると遠坂が一瞬顔をしかめ、「よしっ」と小さく呟いて一口飲んだ。
「お味の程は?」
「……なかなかユニークな味だね。嫌いじゃないよ」
……本当に、遠坂は分かりやすい。
しかも、自分でそのことを自覚していないことがより可愛い。
俺は見せつけるようにキャップを回し、ピンク色の液体を傾けた。
「どう?」
「うん、すごい甘い。小学生でお小遣い月に5000円もらってる子の親より甘い」
「めちゃくちゃ甘いな!!!」
甘すぎて思わず背筋がぶるっと震える。
キャップを閉めると、「ん」と遠坂に差し出した。
「え、どうしたの?」
「実はさ、俺いちごみるく初めてで。でも遠坂にバレたくないから強がってよく飲んでるとか言ったんだけど、どうやら苦手だったみたいでさ。交換してくれない?」
「っ!!!」
まるで図星をつかれたみたいに、素早く息を吸い込む遠坂。
しばらく俺の顔を調べるみたいにじろりと見てから、視線を落とす。
「そっか。……苦手ならしょうがない。私がもらってあげるよ」
「助かる。その代わり、遠坂の好きなブラックコーヒーくれよ。飲み物がなくなったら困るしな」
俺が言うと、遠坂は呆れたようにため息をついた。
「ほんと君って……」
「現金な奴だな、とでも言いたいのか?」
「……はぁ、そういうところだよ」
不服と言わんばかりに唇を尖らせて、俺に缶を差し出してくる。
どうも、と軽く答えてお互いに交換すると、急に飲みたくなって同時に口をつけた。
「にがっ」
「あまっ」
喉の渇きで、季節の到来を感じる。
空気の肌触りで、移り変わりに気づかされる。
まるで新参者の季節が「気づいてよ」と言わんばかりな、そんなありふれた気づきに、俺は思わず笑みがこぼれてしまうのだった。
♦ ♦ ♦
帰り道を一人で歩く。
さっきまで頭上にあった太陽は色を変え、気づけば私の目線の少し上くらいにまで降りてきており、急に愛着心が湧いてきた。
「えぇーもぉ~! いいでしょ?」
「全く、甘えん坊だなぁ」
「だってぇ~」
少し前を歩くカップルがふと目に入る。
彼女さんが彼氏さんにくっつくような体勢で歩いていて、見るからにラブラブな雰囲気が漂っていた。
私は思わず気になって、その二人を見てしまう。
私だって年頃の女の子だ。そりゃ当然いいなぁ、と人並みに思う。
例えば、私が彼女さんの立場だとして。
好きな人にあんな風に体を預けて、少し見上げるように彼の好きな顔を見るとしたら。
「……私には絶対にできない」
きっと私は、あんなに可愛げに振る舞えないだろう。
そう思いながらも、私は自分を重ねてしまう。
「恋、かぁ……」
まだ知らないその体験に、思いを馳せる。
「もし私に、恋人ができたら……」
頭の中で、ふわふわと空想が膨らんでいく。
そして――
「っ! な、なんで藤田くんが……!!!」
妄想のその先にいた彼の姿に急に我に返り、頭を全力で横に振る。
顔を手で押さえ、何かを抑え込むように下を向いてからもう一度顔を上げた。
「太陽、眩しすぎだから……」
私は一人、誰に対してでもない文句を呟くと少し歩幅を広げ、そして足を進めたのだった。
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