第10話


「ほんとに藤田くんって……もう」


 歩きながら私は、バクバクとうるさい心臓を落ち着かせようと必死になっていた。

 しかし、一向に鳴りやんでくれず顔までじわじわと熱くなってくる。


「……はぁ。藤田くんには秘密にしたかったのに……愛佳のせいだ」


 今度は愛佳に怒りが湧いてくる。

 

「それに旭日だって、明らかに私をからかって……」


 なんだか無性にモヤモヤしてきて、心臓もうるさくて、顔は熱くて……。

 自分でどうしたらいいかも分からないし、きっとどうしようもないのだろうという気持ちすら湧いてきた。


「あぁーもう、ヤケ食いだ!」


 私は肉食動物のようにスイーツが立ち並ぶ楽園に飛び込む。


 甘いものは世界を救う。


 本当にそうならお願いします。世界を救う前に、このちょっと変な私を救ってください。


「……はぁ」


 宝石のようにキラキラ輝くスイーツを見ても、心のモヤモヤのせいでイマイチ気分が上がり切らない。

 

 感情の量が許容値を越えていて、一つ一つの正体が見えてこないような、そんなもどかしさもあって。

 

 私はまたしても、スイーツ神の前でため息をついてしまうのだった。


「と、遠坂?」


「うわっ!!」


 呼びかけられて振り向くと、そこには申し訳なさそうな顔をした藤田くんが立っていた。

 まるで怒った母親に謝りに来た少年みたいに、小さくちょこんと目の前にいる。


「な、なんだ君か。どうしたの?」


「いや、その……遠坂を怒らせちゃったから、謝ろうと思って」


「怒ってないよ、別に」


「怒ってるよな?」


「怒ってない!」


「……やっぱ怒ってるよな?」


「怒ってる!」


「怒ってた!」


 藤田くんが困ったように苦笑いを浮かべ、頭を掻く。


 今私は、自分で自分が何を言いたいのか全く分からない。

 さっきまで本当に怒ってなかった。でも今は、怒ってる。


 藤田くんは慎重に言葉を選ぶように少し間を置いた後、恐る恐る口を開いた。


「その、俺は遠坂のフォローというか、遠坂自身が思っていることと周りが思っていることは違うってことを言いたかったんだよ。でも、伝え方が間違ってたというか、何というか……ごめんなさい」


 彼の言葉から、私の心に靄をはったのは善意なんだとよく分かる。

 そもそも、藤田くんはいつだって優しい。


 この場合、その優しさを正面から受け取ることに恥ずかしさを抱く私がいけない。


「藤田くんが謝ることじゃないよ。だって藤田くんは、私のために言ってくれたんでしょ?」


「……うん」


「なら気にしないで? 優しいことをして謝っちゃったら、君の優しさがすり減っちゃうよ」


「遠坂……」


 心の中の激しい波が、ゆっくりと凪いでいく。


 渦巻く感情の正体とか、名前とかはやっぱり全然分からない。

 けど、私が藤田くんに怒っているとして、それは私が間違っていると分かったし。 

 もし怒ってないのだとしたら、これでいい。


 自分のことなんて全部は分からない。

 そう思えば、いずれ分かっていければいいなと思って済む話だ。


「さて、こうなったらスイーツ食べないともったいないね。もうバレちゃったんだし、藤田くんがいいって言ってくれるなら、気にせずに堪能できるよ」


 ようやくスイーツに対して向き合う気持ちができた。

 よし、これからスイーツを楽しもうと思った――その矢先。



「いや、やっぱり俺、違うかもしれない」



「……はい?」


 藤田くんが真っすぐな瞳で私のことを見てくる。

 

 嫌な予感がする。

 

 藤田くんの変なところで誰に対しても嘘をつけないこの姿勢。

 とてつもなく、嫌な予感がする。


「俺、たぶん自分のために言ったんだ。なんか許せなかったっていうか、遠坂が損してる気がするって思ったんだ」


「どういうこと?」


「だって、俺本気で遠坂が可愛いと思ったんだよ。だから自分が女の子っぽいお店に入るのは変だって思ってるのはおかしい! って」


「っ⁉⁉⁉ さ、さっき謝ったばかりだよね⁉ その過ちまた繰り返してるよ⁉ ニワトリでも三歩歩くのにその場で⁉」


「なら過ちを繰り返す! 人間ってそうだ!」


「主語が大きいな!」


 ほんとにこの人は何なんだ!

 何なんだ!


「――はっ! 今よく分かった。俺、遠坂の可愛いを知る者として、自分がスイパラに似合わないと思ってるのが悲しかったんだよ! だからあんなこと言った! ってことは俺のためだ!」


「ほんと何言ってるのさっきから‼ そこまでの感情移入の仕方は、私のその……か、かわいい、をまるで君が産み落としたみたいだよ!」


「産み落とす……いいなそれ。採用!」


「即却下!!!」


 藤田くんの言葉でエンジンがかかってくる。


 もとより私は大人しいタイプなんかじゃない。

 こうなったら情けなんて藤田くんには無用だ。


 何が出てくるか分からない感情の蓋を開け放ってやる!


「この際だからはっきり言わせてもらうけどね、藤田くんは私に可愛いって言いすぎなの! しかもTPOをわきまえずに!」


「うっ! 可愛いが、ダメ、なのか?」


「ダメ! ……じゃない、けど」


 ……あ、そうだ。

 可愛いと藤田くんから言われることはダメなんかじゃない。

 

 むしろ嬉しいことのはずで。

 でも私は「可愛い」って言葉に慣れてなさすぎて、アレルギーみたいに反応しちゃうんだ。


「ダメじゃないのか? たぶんこれからも言うだろうけど、それでもいいか?」


「それは……」


 私は彼に可愛いって言われたいのだろうか。

 その答えは間違いなく――


 でも、まだ心の準備ができていない。

 藤田くんの可愛いを正面から受け取れる気持ちになっていない。


 ということはつまり、私は――



 藤田くんの「可愛い」に真っすぐに「ありがとう」と言えたなら、それが私が“女の子”になれたということ、なのか。



 その考えがはっきりと混沌の中から浮かび上がってきたとき、新品の太陽を浴びたような解放感に包まれた。


「遠坂?」


 藤田くんに声をかけられ、はっとする。


「……TPOをわきまえてくれるなら嫌じゃない。けど、言われ過ぎたら死んじゃうから」


「分かった。これからそうするよ」


 藤田くんが答える。


 話は落ち着いた。

 藤田くんとの口論もよいところに収まった。


 ……なのに。






 ――どくんっ。






 ……どうして。


 どうしてなんだろう。


 心は落ち着いて、モヤモヤも吹っ切れたはずなのに。

 心臓の鼓動だけは、さっきよりももっとうるさく、高い熱を帯びている。


 ほんとうに、一体私はどうしてしまったのだろう。

 

 謎は新たな謎を呼ぶ。


 やっぱり、自分自身を理解しきれる日は来ないのだろうと、この時の私は強く思ったのだった。





     ♦ ♦ ♦





「もう甘いものは見たくない……」


「わ、私も……ホイップクリームがお腹の中で一つの塊になってる気がする」


「俺、正直テレビのフードファイトいけると思ってたけど自信失くしたわ……」


 俺、宇佐美、玲央が順番に店を出て膝に手をつく。

 各々顔を歪めて感想(悪感情マシマシ)を言い捨てる中、ただ一人だけ、滑り台を気の済むまで滑ってご満悦な小学生くらいにニコニコだった。


「美味しかったー。時間切れなのが残念だったけど、七分目まで食べれたし満足だな」


「「「な、七分目……」」」


 ――その業界で長く活躍する某ギャルフードファイターの後継者がようやく見つかったと、誰しもが思った瞬間だった。


「でも香子。確かにいつもよく食べるけど、今日は増してすごかったね」


「え、そ、そう?」


「うん! まるで何かを食べることで発散してるみたいな……」


「そ、そんなことないよ? ちょっとレベルアップしたのかな、私」


「戦いの中で成長するみたいなこと、フードファイトにもあったんだ……」


「まぁ一応“ファイト”だからな」


「いやただの趣味だから」


 遠坂の冷静なツッコみにより、沈黙する俺たち。

 玲央はグーっと伸びをすると、大きく息を吐いた。


「ってかまだ三時か。一日が長く感じるな」


「そうだね~。あ、いっそのことこの後カラオケでも行く? せっかくだし!」


 宇佐美がワクワクした様子で提案する。

 

「あ、ごめん。今日この後用事あるんだ。だから俺はここで」


 俺が言うと、宇佐美は残念そうに肩を落とす。


「そっか。ならしょうがないね。また次の機会という事で!」


「おう。じゃあな」


 踵を返し、足早に歩き始める。

 スマホの時計を見る。表示された時刻は午後三時。


「……ちょっと長居しすぎたな」


 角を曲がると、鞄を今一度肩にかけ直し、俺は走り出したのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る