二章 熱狂を遠くに、彼女は思う

第8話



 ――ピリリ、ピリリ、ピリリ……



『かしゃっ』



「ん、んぅ……」


 ノールックで目覚ましを止めると、一度タオルケットをぎゅっと抱きしめてから私、遠坂香子は体を起こした。


「ふはぁ……」


 伸びをしながらあくびをし、瞬きを三回。

 ようやく鮮明になった視界で朝日に照らされる白い家具たちを捉えてから、もう一度伸びをした。今度はあくびはついてこない。


「よし、行くか」


 ベッドから出て、その足で一階の洗面所に向かう。

 ヘアバンドをつけて金色の髪を上げると、見慣れた私の顔がばっちりと鏡に映った。


「……あれ? 今日の私、ちょっと調子いいかも」


 というかここ最近、私の肌はずっと絶好調な気がする。

 もちろんケアはしているけど、もちっとしているというか、つるんとしているというか……きっと口に入れたら美味しいに違いない。



 ――ぐぅ~。



「……早く顔洗お」


 手短に洗顔を済ませると、軽くうがいをしてリビングに入る。


「お母さん、もう出たのか」


 私がリビングに来るといつも嬉しそうに駆け寄ってくる愛犬、『もち米』がいないことからして散歩に出ているみたいだ。

 

 なんだか少し損した気がするが、そこまでの落ち込みはない。


「んーっ! ふぅ、今日はいい天気だな」


 ここで三度目の伸び。三度目の正直はあくびもセット。


 リビングは晴れの日特有の色と香りに包まれていて、私の気分を足元からグッと押し上げてくれた。

 高く持ち上げられた気分を感じて、なんだか今日はいい日になりそうな予感がしてくる。



 ――ぐぅ~。



「あははっ、分かったよ」


 わがままなお腹の欲求に応えて、今度はキッチンへ。


 私の朝ごはんの定番メニューはトーストにサラダ、目玉焼きにベーコンと洋風。たまに和食の日もある。


「~♪」


 フライパンを温め、油を敷き、伸ばしてから卵を投下。

 じゅ~という耳心地のいい音に耳を傾け、頃合いを見計らってからお皿に移した。


「お、今日は形がいい」


 ちなみに、私の好みの形は楕円形。異論は認めない。

 その後、定番メニューを簡単にお皿に盛り合わせ、テーブルに並べる。


 食べたい気持ちにはやされながら、駆け足で椅子に座ると、手を合わせて――


「いただ……あ、そうだったそうだった」


 すっかり忘れていた。スタメンの“あの子”を。

 急いで冷蔵庫に取りに行き、コップに注ぐ。


 透明なコップがみるみるうちに染まっていき――


「うん、やっぱりこれがないと――“たこ焼き風ラムネ”」


 今度はゆとりをもってテーブルにつくと、準備が抜かりないことを再度確認してから手を合わせた。


「いただきます」


 食べ物にちゃんと感謝を捧げると、私はトーストにイチオシのジャム、“ぷりんジャム”を塗りたくり、そして一口。



「ん~~~~っ! 美味しっ」



 思わず笑みがこぼれてしまう私。

 これがたまらない。幸せはたまるけど。


 ふと、何気なしに窓の外を眺める。

 幼い頃から見てきたその景色は、いつもより少しだけ輝いて見えて。


「なんか最近の私、調子がいいな」


 私はまたしても、頬がほころんでしまうのだった。





    ♦ ♦ ♦





「ふはぁ……」


 つい出てしまったあくびを押し戻すように手の平で口を抑える。

 見慣れた通学路を歩きながら俺、旭日玲央は今日も眩しい太陽の光に少し目を細めた。


「ん? あれは……」


 学校が近くなってきて、ふと前の方に見覚えのある背中が目についた。

 

 あの猫っ毛な髪に、あくびを十秒に一回はしている気だるげな男子生徒。

 間違いない、林太郎だ。


「おい、りんた――」


 声をかけようとして『ろう』を喉の奥深くに戻す。

 

 何故なら、林太郎の斜め後ろにも見知った奴がいたからだ。

 平凡な通学路で異彩を放つ“彼女”。


「ねぇねぇ、王子様だよ!」

「歩いてるだけでカッコいいよね!」

「いつ見てもオーラがすごいなぁ」

「でも、なんかキョロキョロしてるね」

「どうしたんだろう……」


 注目と関心を寄せる王子様。

 そんな彼女の落ち着きのない様子に俺の『楽しいセンサー』は過剰に反応していた。


 ちらりと斜め前を見てはすぐに視線を戻し、また斜め前を見る、ということを繰り返す遠坂さん。

 体は気持ちに正直なもので、俺は思わず口角が上がってしまう。


「……これはいいものを見た。いや、見てるな」


 ファストフード店での一件があって以来、遠坂さんと林太郎の関係性は少し変わったように思う。

  

 もっと細かく言えば、体操着が入れ替わっていたくらいの頃から、林太郎を見る遠坂さんの視線が他の人のものとは違っていたのだが……決定的だったのはあの出来事だろう。


 あの事件を経て変わったのは、どちらかと言えば遠坂さんの方で、俺の予想ではこれから先かなり面白いことが起きるんじゃないかと楽しみにしている。


 まるでゲームマスターかのような立ち位置にニヤニヤしながらも、俺は一つ行動に起こすことにした。

 

 息を吸って、できる限り色んな人に聞こえるように……。



「おーい、遠坂さーん!」



「っ⁉ あ、旭日くん⁉」


 振り返る遠坂さん。

 そして――


「え、遠坂? ってか玲央じゃん」


「あ、藤田くん……お、おはよう」


「おはよう。なんだ、ずっと俺の後ろにいたのか?」


「いや? 今さっきこの道に出たんだよ」


「へぇー、そうか」


 話す二人を傍観するゲームマスター兼プレイヤーの俺。

 

 遠坂さんは何事もなかったかのようにしているが俺には分かる。

 その端正な顔の裏でめちゃくちゃに動揺しているという事を。

 

 うん、俺はこれが見たかったんだ。


「どうした玲央。早く行くぞ」


「お、おう!」


 にやつきがバレないように、必死に当たり障りのない表情を作って二人に並ぶ。


 こうして最近、楽しみが一つ増えた。

 彼女の中に潜む蕾に気づいている奴は少ないと思うが、気づいた者として大切に見守っていこうと思う。もちろん、面白さ優先で。


 ――登校して。


「あ! なんか珍しい三人で登校してる! どうして私を誘ってくれなかったのさ!」


「たまたま会ったの。そんなことより、最後の詰め込みするよ」


「ぶぅー……」


 嫉妬する宇佐美も見れて、盛りだくさんな朝でしたとさ。





     ♦ ♦ ♦





 チャイムが鳴り響く。

 

 俺、藤田林太郎は大きく伸びをすると、全身に入っていた力を抜き、そして――


「「「「「ぐ、ぐはぁー……」」」」」


 口裏なんて合わせていないのに、自然と全員から疲労を含んだ声が漏れ出た。

 

「これにて前期中間テストを終了する。みんなお疲れ。――解散」


「「「「「…………」」」」」



「「「「「「「「よっしゃあああああああああああああ!!!!!!」」」」」」」」



 教室中に舞い上がるテストの問題用紙。

 それはまるで、俺たちの勝利を表す白旗のようだった。


 俺たちは――自由だ!


「お疲れ林太郎。今回の出来栄えはどんなもん?」


「開口一番にそれを聞くのはナンセンスだぞ玲央」


「じゃあなんて言うのが正解なんだよ」


「あぁー、うーん……現国の問五の答え何にした?」


「それが一番ナンセンスだろ……」


 テストが終わってすぐに口にする内容ほど、人間性の出るものはない。

 ちなみに、テスト後の会話で正しいのは「帰ろうぜー」か何も言わない、である。


 それか――


「いぇーい! テスト終わったいぇーい! いぇいいぇーい!」


「小二ギャルかお前は」


「え、ギャル? 俺色白だよ?」


「色白ギャルも最近はいるから。黒だけがギャルだと思うな」


 オレンジ頭にツッコむ玲央。


「マジか! 色白ギャルってなんかいいな! うはははーっ!」


「こいつ阿呆だ」


「もはやギャルじゃなくてただの小二だ」


 俺たちがひっそりと悪口を言っていることも知らず、嬉しそうに笑っているこいつの名前は、西原壮真にしはらそうま


 オレンジ頭のセンター分けで、髪色に負けずうるさい奴である。

 

「でもさ、壮真ってこんなんで頭いいんだよな。去年の期末学年何位だったんだっけ?」


「えーっと、確か六位だったな! 運がよかった!」


「ろ、六位……なんかもうよく分からん」


「思考を放棄するな林太郎」


「あぁ……」


 勉強できる奴が羨ましい。

 本当に羨ましい。


「ま、でも俺の場合はじーちゃんとばーちゃんに勉強しろって言われてるからしてるだけで、言われてなかったらしてないからな!」


「言われただけでできちゃう壮真がすげぇよ」


「ほんとそうだな。俺も妹に勉強しろって言われてんのにできないもん」


「妹に言われてんじゃねぇよ!」


「まぁー妹はじーちゃんでもばーちゃんでもないからなー!」


「何言ってんだお前!!!」


 玲央が呆れたようにため息をつく。


「ったく、お前ら二人を相手するのは骨が折れるよ」


「カルシウム足りてないんじゃないか?」


「牛乳いる?」


「そういうことじゃねぇわ!」


 普段玲央にからかわれている分、こうして玲央を振り回すのは気持ちがいい。

 疲れた様子の玲央を見て満足していると、ふと視界にコソコソと何かを話す遠坂と宇佐美の姿が映った。


「愛佳、分かってるよね?」


「分かってる。誰にも言ってないから安心して」


「ならよかった。これは極秘ミッションだから。――よし、誰にもバレないように行くよ」


「うむうむっ」


 二人頷くと、神妙な面持ちで教室を出ていく。

 

「どうした林太郎。ボーっとして」


「……いや、なんでもない」


 俺は一度首をかしげてから、二人の会話に戻ったのだった。


 

 



 

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