第5話


 爽やかな四月の終わりの風が吹いている。


 照り付ける太陽の日差しは夏のように熱いが、吹く風はすっきりとしていて心地いい。

 まさに季節の変わり目を感じられるこの時期、俺たちは校庭で球を投げては打ち、打球が描く放物線を目で追っていた……。


「お前、これで三打席連続三振じゃん。二軍行ったら?」


「二軍とかないから。せめて代打要員に降格してくれ」


 いいとこなしの俺に非難の目を向けてくる玲央。

 ちなみにこの男、三打席連続本塁打。令和の怪物である。


「なんか今日の林太郎、変じゃないか?」


「え、俺が変? なんで?」


「いやなんつーか、普段の林太郎ならもうちょいマシな気がするんだよ」


「はぁ」


「でも今の林太郎はなんかこう……何かを気にしてて集中しきれてない、みたいな感じがあるんだよな」


「……ア、ソウ」


 この男。するどが過ぎる。

 第六感でも開花してるんじゃないか?


「マシになるために日陰に行ってくるわ。代打よろしく」


 俺は【逃げる】を選択した。

 逃げるは誇りで役にも立つ。


「はぁ? ったくしょうがないな」


 気だるげにバットを持って打席に立つ玲央。


「お、おい汚いぞ藤田! 代打にホームラン王は反則だろ!」

「もううちのピッチャーが使い物にならないッ!!」

「俺が投げれるのは、数字の書かれた板、だけ……」

「この人でなしがぁあああああああああああ!!!!!」


 薄目で見れば歓声に聞こえる罵声を背に、俺は日陰のできた茂みに移動した。


「……ふぅ」


 服をぱたぱたと仰ぎながら一息つく。

 ここまで、遠坂のズボンだという事がバレないように神経を使っていてかなり疲れた。


 それに加えて、遠坂の友達にされた誤解を解くのにかなり苦労(主に遠坂が奮闘)したこともあってへとへとだ。

 なんとか遠坂が抑えていたけど、まだ疑念は残っているだろうしより監視は厳しくなっているに違いない。


「俺は今のところ上手くやり過ごせてるけど、遠坂はどうかな」


 男子と女子は別々でソフトボールに興じており、女子の方に目を向けるとちょうど黄色い歓声が上がった。


「きゃー! 遠坂さん頑張れー!」

「王子様~! 逆転ホームランお願いしま~す!」

「満塁だよ~! ここがチャンスー!!!」


 どうやら遠坂の打席みたいだ。

 それも満塁で逆転のチャンスという、遠坂のために設けられたような舞台。


「……ふぅ」


 遠坂の目は鋭くピッチャーを捕らえ、振り上げられた腕から投げ出される白球に集中している。

 きっと今の遠坂はズボンが入れ替わっていることなど気にも留めていなさそうだ。


「っ!」


 ピッチャーが球を放りだす。

 そして遠坂の横を通り、キャッチャーの手に収まる――その時。




 ――カーン。




 軽快な音がグラウンドに響き渡り、男子さえも遠坂がはじき出した玉の行方を目で追っていた。

 遠坂の球は宙に舞い、美しい放物線を描いて茂みに落ちる。


「「「「「きゃーーーーーーーーーーっ!!!!!!」」」」」


 響き渡る黄色い歓声。

 文句なしのホームラン。


 さすがは王子様。

 期待は裏切らないという事か。


「王子様ないす~っ!」

「きゃーかっこいいーっ!!!」

「付き合ってー!!」


 歓声を一手に受けながら、上気した頬で塁を回っていく遠坂。

 王子様にふさわしい爽やかな風がふわりと吹きつけ、Tシャツがたなびく。


「「「「「はっ!!!!」」」」」


「……あ」


 ……遠坂、完全に見えてるぞ。

 遠坂という人間には違和感でしかない、藤田の文字が!


 ――しかし。


「お、王子様の腹ちらッ!!!」

「血液が、血液が足りなくなる……ッ!」

「美少年のエロス……これは果たして合法なの⁉」

「担架だ! ありたっけの担架を持って来い!!!」


 ざわつくグラウンド。

 みんなが見ていたのはズボンの危険な刺繍ではなく、その上のちらりと露出されたおなかだったのだ。


「……ふぅ、遠坂が王子様でよかった」


 遠坂がホームに帰ってきて、嬉しそうに仲間とハイタッチしている。

 俺としては遠坂が俺のズボンを履いていることがバレるんじゃないかと気が気じゃなかったが、やはりスポーツに熱中する王子様も格好がいい。


「よくやった香子!! さすがは私が育てた子だ~っ!」


「ちょ、ちょっと愛佳! 髪ぐしゃぐしゃにしないでよ」


「よくできた子の頭を撫でるのが宇佐美家の習わしなの~!」


「もう……しょうがないなぁ」


 宇佐美との戯れに、さらに温度の上がる校庭。

 微笑ましいなぁ、なんて思いながら絵になる二人につい見入ってしまう。


「ほんと、あのカップリングの絵力はすごいな」


「お、玲央。なんだもう試合は終わったのか?」


「相手チームが棄権したよ。俺が五回目のホームランを打った辺りから」


「さすがは怪物」


「枕詞がないとこうも褒め言葉にならないか」


 ケラケラと笑う玲央。


「でも、王子様の陰に隠れてるっていうか、むしろ映えてるっていうか……とにかく、宇佐美もかなりの美少女だよな。やっぱり」


「へぇ、驚いた。玲央の口から美少女、なんて言葉が出るなんて」


「美少女は嫌いじゃないからな」


「嘘つけ」


「うん、大好きだ」


「そうだよな」


 玲央のこういうノリの良さやはっきりとした物言いは話していて実に心地がいい。


「実際、かなりモテてるらしいからな」


「へぇ。まぁそうだろうな」


 玲央と「確かになぁ」と感心しながら見ていると、ふと当の宇佐美と目が合った。



「……ギロっ」



「「――っ⁉」」


 今、完全に睨まれた。

 さっきの一件で疑われている証拠だ。


 俺たちは急いで目をそらし、苦笑いを浮かべる。


「……キャッチボールでもするか」


「……そうだな」


 重い腰を持ち上げ立ち上がると、ほんの少しの勇気をもって俺は日陰から一歩を踏み出した。










 その後、何度か危ない場面がありつつ(主に遠坂が)なんとかバレずに体育の授業を終えることができた。


 全員でわらわらと更衣室に戻る中、ご満悦な様子で歩く遠坂の近くに寄る。


「バレなかったみたいだな」


「あ、藤田くん。そうだね。意外に大丈夫だった」


「……ま、バレてもおかしくなかったけど」


「それは……ごめん。ついソフトボールが楽しくって」


「それはよかったよ」


 何はともあれ、今回は結果がすべてだ。

 危ないことがあろうが、バレなければそれでいい。


 そこに遠坂が純粋に体育を楽しめたというなら、おまけがついてラッキーみたいなものだ。


「ま、着替え終わるまでがミッションだ。くれぐれも注意するように」


「ふふっ、そうだね。じゃ、また」


「おう」


 優しく微笑むと、女子たちの方へ溶け込んでいく遠坂。

 彼女の背中を少しの間見届けてから、俺も男集団の方に足を向けたのだった。










 更衣室で着替えを終え、玲央と一緒に教室に向かう。


「次の授業生物だよな? 課題まだ終わってない……」


「あはは、林太郎は相変わらずズボラだな」


「計画的って言葉がたぶん辞書にな――」


 突然、前から走ってくる生徒に肩がぶつかる。

 俺はバランスを崩し、手に持っていた体操着を床にばらまいてしまった。


「あ、す、すみません!!」


「大丈夫ですよ。急いでるなら行ってください」


「あ、はい! すみません!」


 男子生徒がパタパタと駆けていく。


「ったく、今のは避けれただろ?」


「空間認識能力が低いんだよなぁ」


 言いながらしゃがみ、体操着を拾う。

 



「――え」




 ふと、上から玲央の声が降ってきた。


「…………あ」


 数秒経って、状況を理解する。

 恐る恐る上を見てみると、薄っすらにやけた玲央が、面白そうに俺のことを見ていた。


「へぇ? なるほど」


 玲央はそうとだけ言って、俺を置いて前を歩き始める。

 俺は頭を抱え、自分の愚かさを呪った。


「遠坂にああ言っといて、何やってんだ俺は……」


 床に落ちた長ズボン――それも、『遠坂』の刺繍がばっちり見えたそれを拾い上げ、玲央を追いかける。

 

 

 ……先生。着替え終えて教室に戻るまでは、遠足に入りませんよね?



 

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