第4話


 ダラダラと冷や汗を流しながら、必死に頭をフル回転させる俺。

 

 現在の状況を整理すると、学校の王子様に貸した長ズボンが返ってきたと思ったら王子様の物だった、というラノベのタイトルみたい現状である。


 きっと今頃遠坂も間違えていることに気が付いているだろう。


 が、しかし。

 時間も時間だしひとまずこれを履いて校庭に出るしかない。


 それも俺が遠坂の物を、遠坂が俺の物を履いているとバレないように、だ。


 この事実が発覚したら面倒なことこの上ない。

 まず騒ぎになる。遠坂のファンが暴徒化するに違いない。


「……ふぅ、やるしかないか」


「どうした林太郎。下着泥棒決意の瞬間! みたいな顔して」


「泥棒ならもっと他の種類の窃盗にしてくれ」


「泥棒はいいんだ……」


 呆れたように呟く玲央に非難の目を向けると、玲央は笑い飛ばすように爽やかな笑みを浮かべた。

 

 ……こいつだけにはバレたくない。

 暴徒化したファンよりもこいつが面倒だ。主に性格が。


「ま、林太郎が下着泥棒なんてするわけないか」


「なんだ、よく分かってるじゃん」


「林太郎なら直接懇願するもんな。そっちの方がリスクは低いとか言って」


「前言撤回。お前は俺の何を分かってるんだ」


 玲央は口から出まかせで、その場の面白さを優先させる節がある。

 こっちからすればとんだ迷惑だ。


 と、そんなことはどうでもいい。

 今はこの危機的状況を脱することに集中だ。


 俺は目にも留まらぬ速さで着替えを済ませ、ロッカーをぱたんと閉める。


「俺、先校庭出てるな」


「え? なんでそんな急いでんの?」


「早めに出てボール蹴っておきたいんだよ。ボールは友達だからな」


「……今日ソフトボールだけどな」


「……とにかく、先行ってるぞ」


 玲央の視線を振り切り、更衣室を出る。

 遠坂も同じ行動に出ていることを祈って、許される速度で廊下を走り抜けた。





     ♦ ♦ ♦





「え……」


 着替えようと長ズボンを手に取った瞬間、背筋がぶるっと震えたのを感じた。

 

 ……やってしまった。

 私、間違えて藤田くんに自分のズボンを渡してしまったみたいだ。


 普段なら絶対しないようなミスをどうして……。


「はっ! 今は後悔してる場合じゃない」


 今きっと彼はすごく困ってるに違いない。


 もし長ズボンが私と藤田くんで入れ替わっていることを周囲に知られてしまったら、絶対に面倒なことになる。

 なんとしてでも最悪の事態を未然に防がなきゃダメだ。


「……ふぅ、やるしかない」


「香子? どうしたのブツブツ呟いて。お腹空いた?」


「うわぁあっ!! な、なんだ愛佳か」


「みんなの愛佳だよ?」


「うん、そうだね」


「なんか適当にあしらわれた⁉」


 制服のボタンを外している愛佳がぐぬぬ、と不満げな声を漏らす。


 ……愛佳にバレたらいけない。

 愛佳はゴシップ、特に恋愛関係の話が大好きで、暇さえあれば「あの人とあの子付き合ってるんだって!」という恋愛トークに花を咲かせる。


 私が男の子の、それも同じクラスの藤田くんの長ズボンを持っている、ひいては履いていることを知れば問い詰めてくるに違いない。

 

 絶対にそれだけは避けたい。

 ほんと、絶対に!


「ってか香子、早く着替えたら? あんまり時間ないんだし」


「あぁ、うん」


 ……こうなったら、仕方がない。

 

 私は目にも留まらぬスピードで着替えを済ませると、ロッカーをぱたんと閉めた。


「私、先に校庭行ってるね」


「え⁉ 一緒に行こうよ! 私もそろそろ着替え終わるからさ~!」


「えっと……そう、先に柔軟したくて! 人よりも時間かけるタイプだからさ」


「あ、いいね! 私も体柔らかくなりたいし柔軟する!」


「い、いや! ……柔軟は一人用なんだよ」


「柔軟を独り占めするス〇夫⁉」


「とにかく、先行ってるからー!」


「か、かおえもん~っ!!!」


 愛佳の声を置き去りにして更衣室を出る。

 

 藤田くんも同じ行動をとっていることを祈って、許される速度で廊下を走り抜けた。





     ♦ ♦ ♦





 校庭に到着する。

 

 ありがたいことにまだ誰も出てきておらず、俺の乱れた呼吸音が響いているだけだった。

 さて、あとは遠坂が来てくれるか、だが――



「あ、藤田くん!」



 パタパタと足音を響かせてやってきたのは遠坂だった。

 俺の前まで来ると、乱れた前髪を整えながら俺に視線をやる。


「ごめん! 間違えて私の渡したみたいで」


「あぁ、とりあえず集合できてよかったよ。一旦、あっちの校舎裏行こう」


「そうだね」


 周りを一度見渡して、誰もいないことを確認してから人気の少ない方に向かう。

 幸いにも校舎裏には誰もいなかった。


「で、どうする? 最悪このままでもTシャツをインしなきゃギリ刺繡見えないと思うけど」


「そう……だけど危ない気もするよね」


「ってなると交換するのが早いよな。――よし」


 俺は覚悟を決めると、サッと長ズボンに手をかけた。


「ってえぇええええ⁉ なななにしようとしてるの藤田くん⁉」


「何って、交換するんだろ? 俺脱いで渡すから遠坂は履いてくれ。もちろん、遠坂が着替えてる間は地面に穴掘ってそこに顔埋めるから」

 

「そういう問題じゃないでしょ! ここ外だよ? もっと他の場所で……」


「でも他の場所で着替えても同じことだろ? 結局片方が着替えてる間は片方が露出しなきゃいけないんだから」


「言い方!」


 遠坂が顔を真っ赤にして制止する。


「あのね藤田くん! 確かに私は男の子っぽいし王子様とか言われてるけど、女の子なんだよ⁉ こんなところで、しかも男の子の前で着替えるとか抵抗あるんだよ!」


「それは分かってる、大丈夫だ。俺は遠坂のこと、めっちゃ女の子だと思ってるから」


「っ⁉ そのフォローのせいで余計着替えづらいよ!」


「安心しろって。ここは人も来ないだろうし周りは茂みだ。遠坂が着替えてるところは誰にも見られない。サッと着替えてサッと終了だ」


「だ、だけど! さすがにそこまで私、女の子捨ててないから!」


「大丈夫だ! 着替えてる間は遠坂の女の子預かっておくから!」


「預かれるかっ!!!」


 なかなか話がまとまらない。

 このままじゃまずい。本当に入れ替わったまま体育をやり過ごすことになってしまう。


 ……だけど、それより優先すべきことがあるような気が急にしてきた。


「確かにこの場で着替えるなんて嫌だと思う。俺だって遠坂にそんなこと強制したくない。……だから、嫌ならこの体育の授業をなんとかやり過ごそう。一時間だ。刺繍もそこまで大きくないし、何とかできると思う」


「藤田くん……」


 沈黙が校舎裏に降りる。

 その間を縫ってくるように、遠くからガヤガヤと騒がしい生徒たちの声が聞こえてきた。


「もうみんな出てきたか。遠坂、決断するなら今しかない。俺は遠坂に任せるよ」


「……私、は」


 遠坂が拳を強く握り、ごくりと唾を飲み込む。

 そして力強い視線を俺に放つと、自分のズボンに手をかけた。



「分かった。こうなったのも私の責任だし、君にリスクは負わせられない。だから――ここで着替えよう。リスクを回避するために」



「分かった」


「でも絶対に見ないでよ? 見たらジュース十本奢りだから」


「カレーのルーな」


「……藤田くん?」


「あ、はい」


 雑談はさておき、遠坂の覚悟をしかと受け取った俺は、ズボンに手をかけた。

 そしてできる限り無駄のないように下ろそうとした――その時。




「香子~?」




「「っ⁉」」


 慌てて声のする方を向く。

 少ししてから、体操着姿の宇佐美が顔を出した。


「あれ? なんでこんなところにいるの……って、ふ、藤田⁉ なんで香子と一緒にいるの⁉ しかもこんな人気の少ないところで!」


「いや、その……コンタクト落としちゃって」


「どこで落としてんのさ⁉」


 俺が言うと、すぐ近くにいた遠坂が涙目で睨んできた。

 どうやら俺は言い訳を間違えたらしい。


「というか、なんか二人怪しい感じで……はっ! そういえば香子、柔軟するって言ってたよね⁉」


「え、う、うん」


「しかも一人用だーとか言ってたよね⁉」


「え、へ⁉」


「ひ、一人用……柔軟……っ! ふ、不純異性交遊だぁあああああああーッ!!!!」


「ちがーーーーーーーーーーーう!!!!!」


 慌てて宇佐美に弁明する遠坂を横目に、俺は大人しく黙って立っていることにした。

 きっと俺が今、何かを言う事は墓穴を掘ることになる。


 ……だけど、穴があったら入りたいので穴を掘りたいです。もちろん墓穴じゃなくて。


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