第18話 初めての魔法体験

パンと新鮮なミルクを味わったあと、レイに連れられて屋根裏部屋にあがる。

埃が溜まってるかと思いきや、意外にも掃除されていた。

隅っこにおもちゃ箱らしきものと、本が数冊置かれている。

窓がひとつだけあるここは、まるで秘密基地みたい。

レイの部屋だったのかな?


レイは窓辺に歩みより、両開きの窓を開けた。さわやかな風が入り込んでくる。

そして彼は、よっと両手で身体を支えると、なんと窓から外へと身を乗り出した。

「うわっ、小さ。こんな狭かったかな」

レイは、もそもそと随分苦労しながら、長い足を窓の外へ引き抜いている。


そりゃあ、その足の長さですから……

私は少し呆れて、四苦八苦しながら窓から出ようとする彼の姿を見ていた。

この目の前の男子は、いったい子供の頃より自分がどんだけ成長してると思ってるのでしょうか?

そして、窓は出入り口ではありません……


ようやく屋根に出た彼が、今度は中にいる私に向かって言った。

「あんたも来いよ」

「え?私も?」

「屋根の上からのほうが、景色がいいんだ。街が一望できる」


ここからでも十分見えるのでは、と思ったけれど、ここは拒否権がなさそうだったので、私も窓から失礼して外に出ることにした。

窓から身を乗り出す。

「わっ」

意外と風が吹いている。地面からもそこそこ高く見える。落ちたら痛そうだ。


レイの差し出してくれた手を掴んで、私は屋根におそるおそる上った。

「……お、落ちないかな」

「大丈夫。屋根の上でも平気な魔法がある」

「そんな魔法があるの?」


驚く私の前で、彼は何か呪文みたいなものをつぶやき、指をパチンと鳴らした。

一瞬、空気中でキラキラとした粉みたいな、綺麗な光の渦がきらめいた。

「ほら、これでよし」

この瞬間、周りの空気があたたかくて優しくなった感じがした。


おそるおそる屋根の上で、私は一歩踏み出して、すぐに驚いた。

身体の中はなにも変わっていないのに、屋根の上でも平気で歩ける。

「わあ、すごい!普通に歩ける!」

「だろ?」

「人生初の魔法体験よ!」

なんか、すっごく嬉しい!


「俺が子供の頃、初めて学んで使った魔法だ」

「へえ、これはなんて魔法なの?」

「“屋根の上から落ちない魔法”」

レイは笑顔で得意げに言った。

「あはは……面白いね」

心があたたかくなる優しい魔法なんだね


「子供の頃は、魔法を使うことは禁止されていたけど、これだけは母さんも許してくれてたんだ」

「禁止だったの?」

「ん、まあ……いろいろ事情があって」

レイは苦笑して言葉を濁した。

「おとなの事情ってやつだ」

そう言って、彼は笑った。

なんで、そんな言葉を知ってるの……


でも。

きっとマリアンヌが話してくれた、彼の出生が関係するのだろう。

魔法を使えることは、他の人には内緒だったのかもしれない。

彼の両親が、ランドルフ家とグラディアス家という、この国でも勢力を二分するほどの大きな力のある貴族の直系で、それぞれ違う特殊能力を強く持った者同士の血をわけた稀有な存在だから。

レイのお母さんは、街から離れたここに住んでいたのも、レイが目立たないようにしたくて、ひっそりと暮らしていたのかも知れない。

魔法を使うことも禁止していたのは、彼が強い特殊能力の持ち主だと知られないようにするためなのだろう。


私は、そうなんだ、と短く答えて、あとは彼の魔法のお蔭で屋根の上を楽しむことにした。


屋根に彼と並んで座ると、気持ちのいい青い空と、その下には緑の野原が広がっていて、その先には宝石箱のような街とお城まで一望できた。

そして、ずーっと向こうには、キラキラした白く光るものが、そのまま地平線に溶け込むようにして見えていた。


「あれは、もしかして、海?」

「ああ。屋根に上ると海まで見えるんだ」

「レイが言ったように、ここからの景色は、確かにとってもいいね」

「子どもの頃、よくここからこうやって眺めてたんだ」


隣りに座る彼の横顔をこっそり盗み見る。

やわらかな風が、彼の額にかかる銀の前髪を、さらさらと揺らしていく。

コバルトブルーの瞳は、遠くの海の方をまっすぐに見つめている。

彫刻のように完璧な額、鼻筋、顎のライン。

国宝級の横顔……

あ、またオタクな例えをしてしまった。


コバルトブルーの瞳は、透き通る深い湖のようだけど、冷たいわけでもなく、でも穏やかというわけでもない。ただ綺麗で静かなだ。


ふと、彼はそこに何を見ているのだろう……と、思った。

子どもの頃のレイは、ここに座って何を見て、何を思っていたのだろう……

私は、なんとなく彼に訊いてみたくなった。


「子供の頃のあなたは、ここに座って、何を思ってたの?」

「そうだなぁ~……なんだったか、あまり覚えてないけど、あの海の向こうの国は、どんな所なんだろうとか、そんなことだったかな」

「へえ~、じゃあ、実際行けたの?」

「いや、今はこの国を離れるわけにはいかないから、無理だな」

「そっか……」

確かに、お城での仕事や当主の仕事とか、忙しそうだもんね。


「じゃあ、いつか行けるといいね」

私がそう言うと、レイが不思議そうな顔をして、私の方を見た。

ん?私、変なこと言ったかな?

私もレイの顔を不思議に思って、ん?と首を傾げて見返してみた。


「なんで、そう思う?」

「え?」

「いつか、行けるといいって」

「えっと……」

なんて言えばいいのだろう、と答えに困ったけど、見て感じたままを伝えることにする。

「レイが、今も海の向こうに行きたそうに見えたから」

「そう、見える?」

「……うん、見えた」

「そっか……」

ふうん、なんて言いながら、彼は海に目を向ける。


そうして、少し何かを考えていたみたいだけれど、にこっと口角をあげて言った。

「いつか行けるかな」

「え、だって、レイの家くらいの貴族だったら、船代くらい大丈夫でしょ?」

「旅費の問題かよ」

レイは肩をゆすって笑った。え?そういう問題ではなく?

「へんなヤツ」

「は?」

「貴族の姫達や俺の立場を知ってる者達は、そんなこと言わない」

「船代のこと?」

「違う。行けるといい、とかってこと」

「ああ。私は、あいにく貴族のお姫様でも、この国の人でもありませんから」

「褒めてるんだよ」

「どこが?」

笑いながら言ったって、全然褒められた感ないですけど。


レイは抱えた片膝に顎をのせて、遠くを見つめる。

「今は守りたいものがたくさんあって、そんなことも考えたことがなかった。でもそういう生き方もいいな」

ん?生き方って。いつのまに人生の話にまで大きなことになってる。

ま、レイが清々しい顔をしてるから、いっか……


優しい風が、私たちの周りを吹き抜けていく。

彼の細い銀の髪を、さらりと揺らした。

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