心を覗く

 湖上の戦闘は終わった。残されたのは、地底の民とマルグレーテの従者の遺骸。数は数百。敵側の死者数の方が多かった。


「みんな……必死に戦ったんだな」


 仲間の遺骸を一つ一つ調べ上げるマルグレーテ。悲しみがこみ上げたが、その表情はどこか誇らしげだ。彼女は死んだ仲間の背をくまなく確認していく。誰も後ろに傷を負ってはいなかった。


 防具は付けず、武器も貧弱。視界は霧にさえぎられ、しかも水浴びの休息中という、最悪の状況での急襲。それでも彼女らは決して退かずに戦い続けた。勇猛なチオネスの乙女たちは死して名をはずかしめめたりはしなかったのだ。


 と同時に、男爵は自分の過ちを責めた。ヴェレダが危険を顧みず、敵の来る方向を指し示した。だが、自分が攻撃を躊躇ためらい、巫女の行為を無駄にしてしまった。もし、わしの攻撃がなければどうなっていたか……。


(僕がもう少し早く馬を走らせてれば……)


 ローラントは珍しく気落ちしていた。彼は己のおごりを責めた。


 敵将オルドリンを追う時、彼はすぐに追いつけるだろうと余裕を見せていた。それは自身の愛馬がナーバル産――フランチア南部の同地で飼育される白馬は大陸最速で、伯爵はその中でも特に速力と持久力に優れた一頭を有していた――だったからだ。ところが、敵にまるで追いつけなかった。


 もし、自分が馬が潰れるのを覚悟で拍車をかけていれば、救えた命はもっと多かったかもしれない。そう思うと、ローラントは黙考せずにはおれなかった。


 伯爵と男爵の間に微妙な空気が流れる。互いが己の不甲斐なさを思い知らされ、否応なく反省を強いられていた。それは野営地に戻ってきても変わらずだ。


「しばらくそっとしておいてやりましょう。反省をしておるようですし」


「はあ、そうですか」


 野営地にいたために襲撃を受けず、状況を飲み込めなかったテオドリクス。彼も東側に広がる霧には感づいていたが、その濃度から詳細を掴めないでいたのだ。どうやら、霧は視界だけでなく音さえも外部に漏らさぬ力があったらしい。


 さて、伯爵と男爵が反省の最中、その近くでテオドリクスは尋ねた。


「プレトン大司教。いささか予定の日時より合流が遅れましたね……。何かあったので?」


 プレトンと呼ばれた大司教は、聖職者であり騎士という異質な男だった。白い口髭に禿頭とくとう、首から下はたくましい筋肉。そして、右手にたわわな果実のような槌頭つちがしらを付けた戦棍メイスと、背中にかけられたたこ型の盾。赤いローブはクライツ教の高位聖職者の証だが、それ以外は「戦士」の身なりをしている。


「テオドリクス殿。詳細は後で。それより、まだ眼を覚まされない女性の手当を優先しましょう。わしが見るに、あの方がわしらの護衛対象なんでしょう?」


「そうです。巫女のヴェレダさんです」


「ほう、巫女とな?」


 興味津々で髭をいじり、プレトンはヴェレダの元に赴いた。野営地の中にもうけられた医療班のテントへと。


「容態はどうかね?」


「プレトン様。それが……私にもよく分からないのです」


 プレトンに応対したのは、彼の従者だ。大司教も他の騎士と同様、五百の従者を引き連れていたが、彼らは戦闘よりも医療の分野に長けている者が多い。そこで主人のプレトンは、湖上の戦闘で負傷した者に治療を施すように指示を出しておいたのだ。


 ヴェレダもそこに寝かせられていた。彼女は外傷を負ったわけでもないのに、もう数時間も目覚めない。見守る人々も心配になってくる。


「姉さん。起きてよ!」


 大声で叫んでいたのはアルトゥール。声が枯れていた。彼は食事も採らず、ひたすらに巫女の生還だけを望んでいた。プレトンは彼に近づく。


「君は?」


「俺はアルトゥール。ヴェレダの弟です」


「弟か。そりゃ、心配するのも当然じゃのう」


 プレトンは、ヴェレダが寝かされているわら敷きの傍に屈み、彼女の様子をしげしげと眺める。どこか悪いところがないかと探っているのだ。だが、何も分からない。


「お主なら、何か分かるかの?」


 そこでプレートンは、左腕を住まいとするわし――湖上の戦闘で活躍した彼に声をかけ、巫女の体に着地させる。


「こいつに何か分かるんですか」


「アルトゥール君。こいつはな、そこいらにいる奴とは訳が違うのじゃ。まあ、見てなさい」


 鷲はしばらくの時間、か細い足でヴェレダの体を歩いていた。両手、両足を歩き終え、次に胸の辺りへと足を伸ばす。すると、彼(彼女?)はある一点をトントンと叩いた。


 そこは心臓のある場所。クライツ教では、心臓は気持ちの貯蔵庫とされている。プレトンはこう推測した。


 ヴェレダは心に何かを隠している。それが彼女を深い眠りに陥らせているのだと。


「どれ、試してみるかの」


 プレトンが戦棍メイスに力を込める。すると、柄頭は黒光を始める。全てを破壊する力が秘められているかのように。そう、彼の武具もローラントの聖剣ルミエールと同様、聖なる力を有する特殊な武具なのだ。


「一体何を?」


「これでヴェレダさんの胸を叩くのじゃ。おそらく彼女は、何か重大な『秘密』を抱えておる。それが目覚めぬ原因。それを探り、解きほぐさぬ限りは寝たきりじゃろうて」


 プレトンは戦棍メイスにまじないをかけ始めた。アルトゥールには最初、それが何を意味するかが分からなかった。だが、聞いているうちに、彼には懐かしさを感じた。にそっくりだったから。


 しかし、懐かしさと同時にアルトゥールは焦りを覚えた。今すぐやめさせねば、まずいことになると直感で感じたからだ。


「だ、駄目だ! そんなこと――」


 まじないをかけ終わったプレートンは戦棍メイスに力を込めて、ヴェレダの胸へと勢いよく、しかし優しく振り下ろした。


 直後、二人は意識を失った。

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