フラッシュバック

 ローラントとオルドリンが対峙している時、マルグレーテとヴェレダは濃霧の向こう側から人が近づいて来るのを感じていた。男爵は顔に自身の目で、巫女は心の目で。


「助けて!」


 二人に近づいて来るのは若い女性。粗末な服は所々が引き千切られ、皮膚には痛々しい傷が見られる。その顔には悍ましい仕打ちを受けた際に感じた恐怖がまだ刻まされている。地底の民の襲撃を受け、どうにか逃げ出して来た一人のようだ。


「おい、どうした?」


「地底の民が……怖い……」


 深いトラウマを負ったのだろう。女性は生きている人間の人肌を求めているようで、そのまま二人のいる方に歩を進める。がさつなマルグレーテも居たたまれなくなり、自ら進み出ようとする。


「マルグレーテさん。近づいては駄目です」


 しかし、ヴェレダは男爵とは対照的に警戒の態度を見せた。そして、女性を指し示すと、


「あなたは人間に化けていますね。角が見えます」


と指摘。マルグレーテは一瞬、彼女の言葉が理解できないでいた。自分の目に映る女性は、どこにでもいる農家の娘。擬態しているとは思えなかった。


 だが、マルグレーテは幸運だった。もしヴェレダが相手の正体を見破らなければ、彼女は敵の策を見抜けずに命を落としていたであろうから。そして、それは彼女の従者も同様だったであろう。


「なに!? こ、こいつは想定外だぞ」


 どういった原理だろうか。ヴェレダに指差された女性「だったもの」は幻術を解かれ、真の姿を露わにした。それは先ほどまでとは全く違う異形の男のもの。角を生やし、円形帽子にネズミ皮の衣服を纏い、彫りの浅い顔立ちの彼は即座に、


「女共を殺せ!」


と指示する。どうやら彼は地底の民の指揮官級の男らしい。


 だが、指揮官の男は返事がないことに戸惑った。以前、ポロラミア東方の村を襲撃した時には必ず返事があり、それが斥候部隊の生存報告としての役割を果たしていたのだ。まさか……。


「おいおい、あんた」


 指揮官の男に北側から声がした。声音は女のものだ。


「まさか、変装程度であたいらを」


 今度は東の方から声がした。やはり、女の声。


「討ち取れると思ったのかい?」


 三番目の声は南の方からだった。やっぱり女の声だった。


「おい、お前ら。戦果を見せてやりな」


 その集大成として、マルグレーテが戦果を見せるように指示。すると、肌着一枚の女性従者たちの手には必ず一つ、地底の民の兵士が討ち取られたが掲げられていた。


 これには地底の民の指揮官もたじろいだ。こいつらは化け物かと。その気持ちを察したマルグレーテがとどめの一言。


「うちらはラプタルラントの、チオネス族の娘。そう、戦乙女さ!!」


 森の中に乙女たちの声が、雄叫びのように木霊こだました。彼女らは勝利を確信していた。湖に襲撃をかけた斥候部隊は総勢一〇〇〇名で、戦乙女らは指揮官を除きその全てを殲滅してしまったのだ。護身用の短剣一本、防具の一切を身に帯びない状態で。


 マルグレーテと従者らは強かった。並みの騎士なら歯が立たないレベルの強さだったのは間違いない。ただ、彼女らは知らなかった。


 自分たちが発した叫びが、オルドリン・カンとその配下の精鋭を招き寄せる事態となることに。


「ぐわっ!」


 女性の呻きが響く。それは一つではなかった。そこかしこで聞かれるようになっていく。


「何が起こってやがる?」


 マルグレーテも怯えを見せ始める。元々濃かった霧は一瞬薄れた――ヴェレダが指揮官を指した時に、霧の濃度も薄れていたのだ――かと思えば、その後は濃度を元よりさらに増し、周囲三十mさえ朧気おぼろげとなっていた。


「マルグレーテ様、気を付けてください。とても強い『邪気』が西から来ます」


「じゃ、邪気っつてもさ……」


 ヴェレダの眼には感じられる「邪気」を、マルグレーテは感じられない。巫女の持つ力は彼女特有のものだからだ。物理的に見えない敵の数も、その兵装も知る術がないマルグレーテ。その間にも聞こえる悲鳴。間違いなく仲間のものだ。


(こっちに来る!)


 敵の捕捉さえおぼつかない状況のマルグレーテに、突如として迫る白刃。濃霧が覆う最悪の戦場でチラリと光る一閃は、彼女ではなくヴェレダの首筋を狙い振るわれる。


「させねえよ!」


 しかし、マルグレーテの反応速度の方が早かった。彼女は腰に下げた剣を引き抜き、後方左手から襲撃をかけた敵騎兵に振るった。それは馬をバターのように両断し、敵兵の膝も巻き込み切り裂いた。ドスンという地響き。湖に流れる青い血潮。


「こ、これは……」


 ヴェレダの鼻が刺激される。鉄分を含む血の匂い。それが彼女に、遠い過去をフラッシュバックさせる。


「あ、ああ……」


 巫女の美しい顔に苦痛の表情が浮かんだ。脳内に刻み込まれた「。か細い腕に握られた剣。見下ろす先には怯えすくみあがった地底の民の兵士。憎悪の眼を向けたままで振り下ろしたつるぎ。全身に浴びる血の雨……。


「い、嫌……嫌あ!!」


「おい、どうしたんだ?」


 いきなり悲鳴を挙げたヴェレダを見て、マルグレーテは冷静さを欠いた。一瞬、男爵は彼女に注意を反らされる。


「そこか!」


 そして、巫女の声がオルドリンの接近を招くのだった。マルグレーテは濃霧の中から現れた敵将からひしひしと感じた。ヴェレダのいった「邪気」を。


(やっべ。こいつ、間違いなく強い!)

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