皇帝の出陣

「退くな。戦え!」


 村を発って数日。

 ウルピノスの姿はダキニアにあった。

 帝国軍は勇敢に立ち向かった。


「帝国に勝利を!!」


 帝国軍の兵士たちがときの声を上げながら、東より来たる軍勢を押し返そうと突き進む。


「カン様のために!!」


 対する蛮族たちは「カン」という人物のために戦っていた。その表情には恐怖が滲んでいる。


「陛下。危険です」


 敵の勢いが衰えないのを見ると、ウルピノスは軍馬にまたがり出陣しようとした。皇帝の傍に控える幕僚長が慌てて制止する。


「陛下、陣頭指揮は各軍団長にお任せを。彼らは優秀です。決して蛮族相手に引けは取りません」

「お前は本気で言っているのか」


 ウルピノスは幕僚長に詰め寄る。

 皇帝には分かっていた。

 戦闘において何が勝敗を決するかを。


「私が前線に赴けば、軍の士気が上がる。これは合理的な話ではないが、事実だ」


 皇帝は思い出した。

 自分が一兵卒から身を起こし、本来なら皇位に就けない立場にもかかわらず、帝国の最高指導者に就任するまでの人生を。


 様々な苦難が思いだされた。

 敵に包囲されて絶望の余り自決しようとした仲間を励まし、どうにか生き延びたこと。

 昇進して得意げになった自分の指揮する部隊が戦闘で武勇を奮い、上官から表彰されるも、多数の部下を失ったために素直に喜べなかったこと。

 そして、先帝の崩御に伴う帝国の混乱を抑えるために、元老院が自分を皇帝として擁立したこと。

 国の統治が、軍の綱紀粛清こうきしゅくせいと同様に困難な仕事だと思い知らされた。人口三千万の帝国を維持する必要に迫られたのだ。並大抵の覚悟では勤まらない。


 だが、自分は耐えた。

 祖国のため、愛する者たちのため。

 そして、世界のために自らの命を捧げるという決意がそうさせたのだ。


(戦場で散るのが運命ならば、私はそれを受け入れよう)


 よわい六十の老体にむちを打ち、ウルピノスは叫ぶ。


「君主たるもの、人々の模範とならねばならんのだ!」


 彼は陣営を飛び出し、戦場へと突入。

 右手に長槍、左手には首から吊り下げられた丸盾を装備し、腰帯に剣をく威風堂々たる姿だった。


「陛下!?」


「陛下が直々にご出陣だ。お守りしろ!」


 最高司令官の登場に、軍団指揮官たちは口々に彼の警護を命ずる。


「護衛はいらない。攻めかかれ。蛮族をダキニアから追い払うのだ!」


 言うが早いか、ウルピノスは騎兵隊と連携して突撃した。

 白のリネン製胸当てが真っ赤に染まり、兜には倒した敵の血がとめどなく降り注ぐ。皇帝の雄姿が味方を鼓舞する一方、敵には恐慌を生じさせた。


「化け物だ!」


「逃げろ!」


 帝国軍に背を向け、敗走に転じる蛮族たち。

 しかし、自らの総大将が戦場に姿を見せると、彼らは怯えて動けなくなった。


「誰が逃げていいと言った?」


 切れ長の目から発せられる冷たい視線に射られた者はがくがくと震えることしかできない。体から力を抜かれたようだった。


 ギロリッ!!


 逃亡兵の一人に、蛮族の総大将は目を向ける。

 やおら腰をかがめ、彼の喉元に剣を当てると、


「逃亡は死あるのみ」


 逃亡兵の喉が切り裂かれた。

 傷口から溢れ出る血潮。

 ドスンという音。

 目を見開き、息絶えた兵の苦渋に満ちた顔。彼の死に様を見て、どうにか立ち上がろうとする蛮族の兵士たち。


「進め」


 号令が伝えられると、蛮族たちは帝国軍へと攻めてきた。ウルピノスは悟った。


 敵の総司令官が戦場に赴いたのだと。

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