エイチェルの胸中

 騎士団壊滅の報は、遥か東方にたたずむ悪魔の王の元に届けられた。


 エイチェル・カン。ペネロペア大陸の制覇を目論む偉丈夫は、移動式の玉座――神輿みこしに担がれながら、大戦果を頷きつつ聞いた。


「以上でございます。カン様」


「そうか、弟は私の言いつけ通り、騎士共にはずかしめを与えたか?」


「ええ。今頃奴らはカラスのえさと化しておるでしょう」


 ご満悦な顔をつくり、エイチェル・カンは伝令を去らせた。「良い気分だ」と言い添えて。だが、心中は複雑だった。


(我が弟を疑いたくはないが……勝手なことはしてくれるなよ)


 親族であるオルドリンに不信感を拭えないカン。理由は千年前の出来事にある。


 のではないか。


 には、千年という長い月日を経ても、弟への不信感は拭えない。


(まあ、今はあいつを信用しておこう。私の肉体はまだ不完全なのだから)


 一抹いちまつの不安を弟に向けているエイチェルに、新たな訪問者が現れた。いや、正確には訪問者ではない。


 赤い球体だった。それはかつて生きていた人間の魂。騎士団が殺した異教徒たちのもの。


「お前たちの死は無駄にはしない。必ずや法王とその協力者たちを滅ぼしてやる。そのための……


 声を出せぬ死者の魂に、カンは語り掛ける。彼らを慰撫いぶし、新たな力に変換するために。


 改宗の名のもとに殺害された人々の魂は、現世を彷徨さまよい、行き場を失う。そんな彼らの魂を破壊力に変え、クライツ教徒の戦士を消し去る兵器へと転用する。エイチェルはそのような力、いわば「魔法」を有していた。


 コンラート率いる騎士団員を襲った黒い物体は、迫害された者の魂だった。憎しみを炎に変え、鋼さえも溶かす破裂兵器。その原料は皮肉にも彼らが殺していった異教徒だったのだ。


「カン様。大司教と名乗る者が手紙を持ち寄って参りました」


 カンに予期しない報告が入る。彼は首を傾げた。


「ダイシキョウ……?」


「法王から遣わされた使節だそうです」


 まどろっこしい。なら、素直に法王の使節とだけ言えばよいものを。


 少々苛立ちを感じつつ、カンは伝令に手紙を読むように指示した。


「えー……『インノケンチィオ法王より、東より来る馬上の大王へ告げる。此度の遠征の目的は分からないが、どうか法王庁とフランチアは見逃すようにお願い申し上げる。大陸の東側と、ラティニア帝国領は大王の好きにして構わない。我々法王庁は貴殿に関知しない』とのことです。カン様」


 カンは思った。現法王も千年前とそう変わらない。己の保身ばかり考え、自らを守るために他の物を生贄として差し出す。そして、その生贄に「ラティニア」が選ばれたことに、彼は心底怒りを覚えていた。


 かつて自分を大いに苦しめ、我が同胞を多数討ち取った「あの男」の姿が、カンの脳裏に浮かぶ。


(ウルピノス。は変わっていないよ)


 心中でカンは、かつてのライバルの名を呼んだ。そしてささやく。


(お前の魂はまだ現世だ。私には分かる。不慮の死を遂げた者同士、通じ合うものがあるからな)


 エイチェル・カンが不意に高笑いをして見せる。彼の神輿を担ぐ従者たちが驚きの余り、神輿を傾けてしまう。不機嫌な顔をするカンだったが、すぐ我に返り、


「こう返事をしろ。『法王よ。怯えながら、私の到着を待つがよい。千年前の策を使おうなど無意味である』とな」


 伝令は再び坂を下り、ポロラミア南西部に留めおかれた大司教にカンの言葉を伝えに走った。その背を見つつ、カンはポツリと一言。


「ウルピノス。私は千年を経ても法王庁を許せないよ。お前は……どうなんだ?」

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