不可解なことばかり
小さな村での惨事は回避された。
教会の
「枢機卿殿。あなたがいると話が進みません。ここから先は、私がヴェレダさんと二人で話をしますので、法王庁へお帰りを。後で報告しますので」
枢機卿が交渉の邪魔になっている。そうと言わんばかりに――事実そうだったのだが――、皇帝ハインリヒは彼に村を去るよう促した。一刻の猶予もない中で、村民との
「そうですか。では、遅れずに報告を」
怒りを含んだ口調でそう言うと、枢機卿は犬顔の騎士を連れ、そそくさと村を去っていった。それを確認してから、ハインリヒは話を再開する。
「ヴェレダさん。お騒がせして申し訳ありません。重ねてお詫びします」
「いえ、先ほどの方はお帰りに?」
「はい、もういません。今あなたの
「あと、俺もいます」
アルトゥールの声だった。彼は枢機卿の背を睨みつけながら、入れ替わりで聖堂に入って来た。
「君は?」
「あ、失礼いたしました。俺はヴェレダの……村の巫女の弟です。ご無礼をお許しください。陛下」
「気にしなくてよろしい」
そうアルトゥールに答えながら、皇帝ハインリヒは違和感を抱いた。
(村の巫女の弟か。素直に「彼女の弟です」と言えばよいものを。やはり、あの噂は本当なのか)
神聖ラティニア帝国の指導者たる彼は、統治を円滑にするために、帝国領内にある複数の連邦を隈なく巡察して回っていた。だから、領内の人々が度々口にする妙な噂を耳にしていた。
「オラブ村には、千年も生き続けている巫女がいる。彼女は大罪人ウルピノスの帰還という叶わぬ願いのため、年に一度、彼の魂を降臨させる儀式を催している」
それまでは人々が尾ヒレを付けて広めた
盲目であるはずの巫女が、青銅板に書かれた文章を解読できた。しかも、今は使われていない古代ラティニア語で記された文章をだ。さらに皇帝の興味を引いたのは、彼女がある単語を読んだ直後の態度。
(エイチェル・カン。悪魔の王の名を口にした時、彼女はまるで仇の名を聞いたような表情を一瞬見せていた。悪魔の王を直接目にしたとか……いや、そんなことはあり得ない)
ハインリヒは
「姉さん、これを。さあ、もうすぐ儀式の時間だよ。気持ちが沈んでいるのは分かるんだけど、でもどうか」
「ええ、分かってるわ。村の人を困らせてはいけませんね」
ヴェレダは祭服の袖で、自らが流した涙を拭きとった。
◇
その日は噂通りの、一年に一度の降霊祭が行われる日だった。
太陽が頂点高くに昇ると、聖堂の天井に開けられた小窓から陽が差し込み、それが巫女ヴェレダの肉体に影をつくりだす。
(やはり、美しい)
村長の計らいで、特別に儀式への参加を許された皇帝ハインリヒは、オラブ村の巫女の姿に目を奪われた。
ただただ美しかった。決して
異教徒の巫女に心を動かされるなど、クライツ教徒である自分には許されないと知りつつも、皇帝ハインリヒは信仰心を超えるヴェレダの魅力に抗えなかった。
ヴェレダは笛を吹きながら、細い生足をちらりと見せつつ、両手を風に乗せ、金の髪を舞わせている。魂の降臨を願うポーズを取る仕草をするそれを眺めやりながら、ハインリヒは思った。
ウルピノスの再臨が達成できなければ、世界は間違いなく「地底の民」に蹂躙されるだろうと。
そして、そのためにはヴェレダに旅に出てもらわねばならないと。
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