不可解なことばかり

 惨事は回避された。


 教会のしもべたる犬顔の騎士たちは、異教徒の殺傷には躊躇ちゅうちょを見せない。よって、流血沙汰を止められるのは、教会と同等の権限を有する皇帝の命令だけだ。


「枢機卿殿。私がヴェレダさんと二人で話をしますので法王庁へお帰りください」


 枢機卿が交渉の邪魔になっている。

 そうと言わんばかりに――事実そうだったが――ハインリヒは彼に退去を促した。


「では遅れずにご報告を」


 怒りを含んだ口調でそう言うと、枢機卿は犬顔の騎士と共に村を去っていく。

 それを確認してから、ハインリヒは話を再開する。


「ヴェレダさん。お騒がせして申し訳ありません。重ねてお詫びします」

「いえ、先ほどの方はお帰りに?」

「はい、もういません。今あなたのそばにいるのは、あなたの隣にいる少女と私――」

「あと、俺も」


 アルトゥールの声だ。枢機卿の背を睨みつつ入れ替わりで入って来る。


「君は?」

「あ、失礼しました。俺はヴェレダの……村の巫女の弟です。ご無礼をお許しください。陛下」

「気にしなくてよろしい」


 アルトゥールに答えながら、ハインリヒは違和感を抱いた。


(村の巫女の弟か。素直に「彼女の弟です」と言えばよいものを。やはり、は本当なのか)


 神聖ラティニアの指導者たる彼は、統治を円滑にするために、帝国領内を隈なく巡察して回っていた。だから、領内の人々が度々口にする妙な噂を耳にしていた。


『オラブ村には、がいる。彼女は大罪人ウルピノスの帰還という叶わぬ願いのため、年に一度、彼の魂を降臨させる儀式を催している』


 それまでは人々が尾ヒレを付けて広めた法螺話ほらばなしと思っていた皇帝ハインリヒだったが、実際に巫女ヴェレダに会い、彼女の力を目の当たりにするとそれも全くの嘘ではないと考え始めていた。


 盲目の巫女が青銅板に書かれた文章を解読した。

 それも使を。

 さらに皇帝の興味を引いたのは、彼女がある単語を読んだ直後の態度だ。


(エイチェル・カン。悪魔の王の名を口にした時、彼女はまるで仇の名を聞いたような表情を一瞬見せていた。とか。いや、あり得ない)


 ハインリヒは詮索せんさくを中断した。すると、アルトゥールが彼の横を通り過ぎ、姉のヴェレダにある物を手渡す。


「姉さん、これを。さあ、もうすぐ儀式の時間だ。気持ちが沈んでいるのは分かるけど、でもどうか」

「分かってるわ」


 ヴェレダは祭服の袖で涙を拭きとった。



 その日は、村で一年に一度の降霊祭が行われる日。


 太陽が頂点高くに昇ると、聖堂の天井に開けられた小窓から陽が差し込み、それが巫女ヴェレダの肉体に影をつくりだす。


(やはり美しい)


 村長の計らいで特別に儀式への参加を許されたハインリヒは、ヴェレダに目を奪われる。


 ただただ美しかった。

 見る者の心の汚れを洗い落とす力をもたらす神々しい美しさだった。


 異教の巫女に心を動かされるなど、クライツ教徒である自分には許されないと知りつつも、ハインリヒは信仰心を超えるヴェレダの魅力に抗えなかった。


 ヴェレダは笛を吹き、細い生足をちらりと見せ、両手を風に乗せ、金の髪を舞わせている。魂の降臨を願うポーズを取る彼女を眺めながら、ハインリヒは思った。


 ウルピノスの再臨が達成できなければ、世界は間違いなく「地底の民」に蹂躙されるだろう。


 それを回避するためには、ヴェレダに旅に出てもらわねばならないと。

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