異教の巫女ヴェレダ

 皇帝ハインリヒは、枢機卿を従えてオラブ村の奥地へと案内された。


 一方で、枢機卿が連れて来た犬顔の騎士たちは村の入り口付近に置いていかれた。武装した彼らがガチャガチャと音を立てて行進すれば、さらなる騒ぎを招きかねないと皇帝が判断したからだ。


「美しいな」


 皇帝と司祭の耳に入る女性の声。それは皇帝ハインリヒには甘美な、それでいて心を和ませるような美しいハープに似た声音こわねに感じられた。


「ふん、汚らわしい!」


 だが、枢機卿にはその音色が極めて不快な、邪教の巫女が奏でる悪魔のささやきにしか聞こえなかった。クライツ教の教えに従順な彼は、麗しい乙女の奏でる調べをまともに聞き取る能力が欠落しているようだ。


「陛下、巫女様にお会いになるのですか?」


「いくら陛下と言えども、今日は我々にとって神聖な日でございます。どうか儀式の中止などお命じにならないでください」


 村民の中には顔を伏せたままの両手を組み、皇帝ハインリヒに嘆願する者がいた。察するに、オラブ村で行われる儀式は執り行わないとまずいたぐいのものらしい。


 皇帝ハインリヒは、嘆願のポーズを崩さずにいる村民たちを無視したりはせず、その一人一人に顔を上げさせてから、


「余はあなた方の信仰をとがめるために来たのではない。それに棄教を迫りに来たのでもないから安心なさい」


と丁寧に告げ、彼らの不安を解消させることに腐心した。


(寛容さを異教徒に見せる意味などないというのに……。まあよい。即位したばかりの奴にのせられた王冠など、風が吹けば容易たやすく吹き飛ぶ程度の価値しかない。世界が救われたら、その功績は我が法王猊下げいかに帰せられる。そして私はその斡旋あっせんをしたことで昇進も叶うというものだ)


 それを横目で見ていた枢機卿は、わざとらしく舌打ちをしてみせたが、心中で己を栄達を図るための辛抱と捉えて、村民を見下しながら皇帝の後についていく。彼の心の声を聞くだけで、クライツ教という宗教組織に対するおおよそのイメージは付くだろう。


 オラブ村に根付く信仰に対し、対照的な態度を見せた二人はその後まもなく目的地へと到着した。それは木の柱に支えられ、その間を土で埋めた後に漆喰しっくいが塗られた、方形屋根の建物。村民が「聖堂」と称するものだ。


「良い音色だ。宮廷でもここまで美しい声は聴けない」


 皇帝ハインリヒが感嘆の声をあげる。近づくにつれ大きくなっていく女性の声が、彼の耳を心地よくさせていった。対する枢機卿は、嫌そうな顔つきのままだ。


 ギイイッ。


 聖堂の観音開きの扉が、皇帝の手により重苦しい音を立てながら開けられた。その向こうにポツンとたたずんでいたのは、二人が探していた当の女性。


「あら? もう時間ですか。少々お待ちください。今、祭服を着させてもらっていますので」


 召使いと思しき少女によって、祭服を着せられている途中の巫女ヴェレダの姿があった。

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