皇帝ハインリヒ

 オラブ村は騒がしくなった。


「出ていけ!」


「改宗なんざ御免だ!」


 枢機卿には罵声が浴びせられた。中には農具を持ち出し、殺気立つ者もいた。そんな村人の行動を制止したのは、枢機卿を囲む鋼の男たち。


 犬顔の騎士。


 クライツ教の守護及び布教のため、教会に忠誠を誓う連中に付けられたあだ名だ。兜の形が犬の面に似ていることが由来となっている。


「とうとう暴力で改宗を迫りに来たのかよ!」


「まったく、クライツ教の法王様は平和を広めるっつう噂を聞いてたが、そいつは口だけかい!」


 法王の尖兵たる犬面いぬづら共を見て、さらに村民はいきり立つ。やや過剰な反応に思えるかもしれないが、彼らの言い分も根拠のないものではなかった。


 クライツ教と頂点に立つ法王は、世界を隈なくクライツ教信者に変えることを至上命題としていた。そのためには強引な改宗も辞さない。なにせ「クライツ教徒でなければ、人にあらず」を徹底周知させているくらいだ。


 そして、目標達成のために現在進行形で進められている活動があった。


 東方植民。


 それは読んで字の如く、東方――すなわちオラブ村の東に住まう国々への植民活動をさす。その実態は、オラブ村の住民が口にのぼせたように「力づくでの信者拡大」だった。


「改宗か死か。選べ」


 異教徒の村落や都市にクライツ教司祭が顔を見せ、現地民に告げる第一声がこれだ。相手方の事情も考慮せず、やって来たと思ったら二者択一を迫ってくる。


 そんなクライツ教のやり方に好意を寄せる者などそうおらず、よって現地民が選ぶのは抵抗運動だ。そして、その後に待つのは殺戮。最後にクライツ教信者の入植が実行されるのだ。


 ここまで露骨な暴力的布教活動をすれば、その噂が人々の、とりわけ異教崇拝を固辞し続ける村落に伝わらないわけがない。オラブ村の住民にも「宗教的侵略」の実態を聞きかじっている者はいたのだ。


「静まるのだ!」


 オラブ村の村長がその場を収めようと試みるも、村民のボルテージが上昇するばかりで、冷却できそうにはなかった。その様子に足を竦めた枢機卿はじりじりと後ずさりをする。「神よ。異教徒共に裁きを」と呪文のように何度も唱えながら。

 

「落ち着きなさい。オラブ村の皆さん」


 暴徒化しかけていた村民をなだめすかした澄んだ声が一つ。それは枢機卿とその護衛の背後からゆっくりと、だがしかしいかめしい声音で発せられた。


「枢機卿殿。ここは私が。オラブ村は我が帝国の領内にあり、彼らは私の言葉に耳を貸さねばならないのですから」


 男は、金色の双頭のわしに紫染めのローブを纏って現れた。中肉中背の肉体に太めの首が乗り、その上に置かれた頭を茶色の髭が口回りを飾り立てる。髭と同じ色の長くて豊かな頭髪の上には、陽光にきらめく王冠が載せられている。


「へ、陛下。何故なにゆえ、このような辺鄙へんぴな村に?」


 その姿を見ることのないように、村民は即座に頭を下に傾け、この世界の偉大なる支配者に対する適切な態度を示した。


 そう、彼は庶民が顔を見ることすらはばかられる存在。


「村長、皇帝である余が命ずる。おもてを上げよ。此度こたびの用向きを伝えたい」


 神聖ラティニア帝国の皇帝ハインリヒ――総人口一千万を要する巨大帝国の最高権力者が、人口三桁の村に自ら足を運び、村長にわざわざ用事を伝えに来た。現代風に言えば、国家元首が寒村に手間をかけてお願いしに来るような話だ。


 そこまでして、皇帝ハインリヒは何を伝えに来たのだろうか。

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