第4話 北大陸ダナン

     1

 

 夜は明けかかっている。

 全速力で船を北へと進める。船体にはいくつも風穴が穿たれボロボロだ。というのも、背後から追撃を受けているのだ。カミラが指揮しているであろう《メイジス》の分隊が、光弾を間髪入れず放ってくる。俺はじぐざくに針路を取り攪乱を計るが、攻撃の全てをかわしきれるわけではない。シェリルは甲板へと出て、光弾を乱射することで、敵の攻撃を相殺してくれている。

 乗客たちはこの船にはもういない。通りがかった大型帆船に強引に押しつける形で拾ってもらったのだった。

「きゃっ……!」

 再び船が大きく揺れ、レイチェルは俺の腰にしがみついてくる。眠りについたミルルを脇に抱えた状態で。

「……ねえ! 教官! 海水が流れ込んできてる! このままだとまずいよ!」

「もう少しの辛抱だ。耐えろ!」

「で、でも……!」

 そのときだった。扉が開き、シェリルが駆け込んでくる。相当、被弾している。生傷が痛々しい。

「大変です! 《メイジス》が転移魔術で次々と乗り込んできています!」

 確か奴らは三キロ程度なら軽々転移できると言っていた。そこまで距離を詰められているということか。

「……まずいな。駆逐している余力はもうないぞ。……いっそのこと、ここは放棄して、相手の船を奪い取るか……」

 俺は考えあぐねる。

「向こうも満身創痍です。激しい応戦の結果、船体は致命的なレベルで損傷しています。もはや、どっちが先に沈むかといったころでしょう」

「じゃ……じゃあ、あたしたちはどうすればいいの? こんなところでくたばるわけには……あぁ、もうっ!」

 レイチェルはポニーテールを揺らし、取り乱している。

「落ち着け、レイチェル。必ずや突破口はあるはずだ」

「突破口……」

「こうなったら一か八かの賭けです」

 シェリルは覚悟を決めたように言う。

「私の転移魔術で北大陸へと転移します」

「北大陸までは、まだ10キロ以上あるぞ。できるのか?」

「ここから先は岩礁地帯となっています。岩礁伝いに転移を繰り返せば、北大陸へと辿り着けます」

「……だけど、シェリル」

 レイチェルは弱々しい声で言う。

「そんなに魔術を使ったら、あなたの体が……」

 魔術は万物に宿るマナを消費して得られる力。マナのバランスが崩れればその淀みに引き寄せられ瘴気が発生する。その影響をまず最初に被るのは、術者たるシェリル自身だ。

「ですから、一か八かの賭けなのです。私の心が耐えられず異形化してしまうことがあれば……。そうですね、みんなで仲良く常世で盃を交わしましょうか」

 そう言って、ぎこちない笑みを見せるシェリル。

「……そうだな。シェリル。俺らの命運は君に託そう」

「うん。あたしたちの”心の強さ”をもってサポートするわ」

 シェリルは力強く頷く。

「はい! では、行きますよ!!」

 詠唱を開始するシェリル。


 そして――。


「うわあああああぁぁぁっ!」「きゃあああああぁぁぁ!」

 心臓を思いっきり、上へと引っ張られる感覚。

 今、まさに俺らは落下しているのだ。

 俺もレイチェルも、思いっきり岩礁へと叩きつけられる。ミルルはレイチェルが抱きしめているから無事だ。

 咄嗟にシェリルは防御の姿勢を取り、立ち上がると、再び詠唱開始。

 ――そんなことを繰り返しながら、どうにか北大陸へと辿り着いた。


 夜が明け、岬に佇む煉瓦造りの家屋。

 上空に放り出された俺らは煙突を通って落下した。

「ここは、私のアジトです」

 シェリルはそう言って立ち上がる。普通の生活感漂う室内だ。キッチンがあり、食卓があり、竈(かまど)がある。

「いたた……」

 レイチェルはミルルを庇うような格好で倒れている。

「助けて……教官……足の関節が……立ち上がれないの」

「それぐらい自分で何とかしろ」

 冷たいようだが、この程度のことで助けを求めているようでは、とても騎士として務まらない。

「あ、いたっ!」

 シェリルがうずくまる。煙突を通り抜ける際に腕を強打したのだろう、応戦で負った傷口が裂け、血が溢れ出ている。

「大丈夫か? 俺が今すぐ手当てするから。ほら、」

 棚に置かれていた布を取り、引きちぎって、腕に縛り付ける。

「止血の基本は、圧迫だからな。これですぐに止まる」

「あ、ありがとうございます……」

 シェリルの頬がぽっと赤く染まる。

「ほら、他に痛いところはないか? 俺が手当てを――」

 言いかけたそのときだった。

「ムキ~~~~~~~~!!」

 レイチェルが吠えたかと思うと、俺に跳び蹴りをかましてきた。

「な、なぜ……」

 うつ伏せになって倒れ込む俺。

「……なんだよ……自分で立ち上がれるじゃないか……」

 どうして俺が教え子に蹴られなければいけないんだ……。

「……カイきょーかん。女心、分かってない」

 ミルルの声。レイチェルの腕の中で、ミルルが目を覚ましていた。

「ミルル!」

 レイチェルがミルルを赤子のように抱きしめ、顔と顔をつき合わせる。

「良かった……目を覚ましてくれて……」

 しかしミルルから溢れ出る瘴気は薄らぐ気配はない。

 レイチェルは俺を一瞥すると、

「いい? ああいうのを、朴念仁というの」

「……ボクネンジン?」

 ミルルは目を丸くする。

「女の子を苛つかせる天才のことよ」

「なぜ、俺が朴念仁なんだ……。ちゃんと女心は理解しているつもりなんだがな……」

 俺はおもむろに立ち上がる。

「分かりました。二人はそういう関係なんですね」

 シェリルは苦笑する。まったくもって意味が分からない。

 辺りを見渡すと、壁には四人の人物が描かれた絵画が額縁に収められていた。背景は、どこかの港だろう。現実の光景をそのまま切り取ったかのようなリアルさだ。全員、笑っている。そのうちの一人はシェリルだろう。もう一人はシェリルによく似た少女。シェリルより、やや大人びている。ということは、シェリルの姉だろうか? もう二人は、おそらくシェリルの両親。シェリルの足下には、ひときわ大きな猫が丸まって眠っている。

「これは、行きずりの画工に描いてもらったものです。描かれている人物は私の家族です。もうみんな、いないですけどね。私と”みーあん”以外、アリアンロッドとの乱戦で死んでしまいました」

「…………」

 レイチェルは、唇を噛み締めている。

「”みーあん”というのは、そのネコか?」

「はい」

「その図体から見て、ニャンノーラという猫種だろう。そいつを借りていいか?」

「もちろんです」

「よし、急ぐぞ」

 俺たちは駆け足で外へと出る。


 北大陸ダナン。街道もまともに整備されておらず、湿地帯が広がっている。

 庭には、一匹のとびきり巨大な虎猫。体高は一メートルで体長は三メートルにも及ぶ。こいつがニャンノーラだ。シェリルが首根っこを撫でてあげると、気持ちよさそうに「ふにぁおお?ん」と鳴いた。

 ニャンノーラは北大陸にのみ生息する猫だ。それには北大陸ならではの事情がある。今から40年前、我らがランダールがヴァルガウル帝国に勝利して10年後のことだ。中央大陸への大移住で人口減少の一途を辿る中、ある商会が中央大陸で絶滅しかかっていたニャンノーラに目をつけた。街道が整備されていないことを逆手に取って、ニャンノーラによる交通網を敷こうという目論見だった。人海戦術で片っ端から野良のニャンノーラを捕獲し、商船で北大陸へと運び、人為的に交配させることにより爆発的に数を増やした。しかし、ニャンノーラの気まぐれな性格により、思うように操ることができず、商売は失敗に終わる。その結果、商会は莫大な負債を抱え倒産。それらの全てが野に放たれることになってしまったわけだ。

 だがニャンノーラは、基本的には人懐っこい。知らない人に無理矢理従えられようとすると大暴れするのであって。

 みーあんは、シェリルによく懐いているようだ。ならば、大丈夫だろう。

「さ、乗ってください!」

 シェリルが先頭、続けてミルルを胸に抱いてレイチェルが、一番後ろに俺が跨がる。

 シェリルが手綱を引くと、一気に加速する。思いっきり体を後ろへと引っ張られ、気を抜けば振り落とされそうな勢いだ。

 すごい向かい風だ。目にも止まらない早さで湿原を駆け抜けていく。

「これがニャンノーラか……」

 ニャンノーラに騎乗するのは初めてだった。

「あれ? 教官ったら《無敗の剣聖》なのに、ニャンノーラに乗ったことないんだ? あたしだって何度かあるのに」

「実は俺は……」

 それには深刻な事情がある。俺は深く嘆息すると、

「猫アレルギーなんだ……」

 すでに赤い発疹が生じ始めている。痒くてたまらない!

「このアレルギーさえなければ、ルルとも、もっと戯れることができたのに……!」

 ルルとは、昔、俺が飼っていた猫だ。

「あはは……それならしょうがないか……」

 儚げに笑ったかと思うと、レイチェルは辺りを見渡す。

「懐かしいなぁ……。あたしの、故郷……」


 そのときだった。

 背後で、爆音が鳴った。

 シェリルは手綱を引き、みーあんを急停止させる。

 さっきまで俺たちがいた場所――シェリルのアジトから黒煙が上がっていた。


「……間一髪でしたね。急ぎましょう」


     2


「迫り来る”血の匂い”はなくなりました。どうやら追っ手は撒いたようです」


 シェリルが手綱を引くと、みーあんは徐々に減速し、停止する。

 みーあんは、ぜえぜえと深呼吸を繰り返している。疲労が蓄積しているようだ。しばらく休ませる必要があるだろう。

 レイチェルは思いを巡らすように、目の前に広がる壮麗な湖を見つめている。

 どうやらここは高地のようだ。振り返れば、今まで通り過ぎてきた景色が下界に広がっている。

 俺は一足先にみーあんから降り立つと、たまらず全身をかきむしる。

「……血だらけだ」

 これ以上、引っかくのはやめよう。

 深呼吸をして、周囲を見渡す。

 湖から分岐した大河が谷底へと続いていた。大地の亀裂から、ひゅうひゅうと風が吹く音が聞こえてくる。湖面には山々の稜線がくっきりと浮かび上がっていて、魚影を肉眼で捉えられるほど透き通っている。

 太陽は真上に昇っているというのに空気はひんやりとしていて、初夏特有のじめじめした感じがない。

 レイチェルとシェリルも地面に降り立つと、湖畔へと足を進めていく。

 茂みに腰を下ろし、寂しそうに虚空を見つめるシェリル。いろいろ思うところがあるのだろう。ここはそっとしておこう。

 レイチェルが俺の隣まで来て何かを言いかけたところで、ミルルがレイチェルの腰の裾をくいくいと引っ張る。そしてすがるような目でレイチェルを見上げると、

「聞かせてほしいの。わたしが眠っている間に何があったのか……」

 レイチェルは、真剣な眼差しでミルルを見据える。

「分かった。全部話すわ」

「待ってください、レイチェル。今は……」

「いつまでも包み隠しておくわけにはいかないわ。大丈夫。ミルフィ……いえ、ミルルは現実を受け止められないほど弱い子じゃないから」


 そしてレイチェルは説明する――ミルルとハーデスとの繋がりが強まってしまったせいで、瘴気の濃度が高まり、事態は一刻を争うことを。

 レイチェルが話している間、ミルルの瞳からは今にも涙が溢れ出しそうで、ミルルはそれを必死に堪えている様子だった。

 俺としても、気がかりなことがある。異形(ファンタズマ)の成れの果てがハーデスであることは、福音騎士として全国を駆け巡ってきた経験から何となく察していた。今更驚くほどのことでもない。今一番懸念しているのは、ミルルに関することだ。もし、俺の仮説が事実だとしたら、ミルルは……。

 だとしたら、それはあまりにも残酷な現実だ。どうかこの仮説が外れてくれることを俺は祈る。

「……喉が、からからに渇いた」

 湖の水を手にすくって飲もうとして顔を近づけると、湖面が波打ち、顔に水しぶきがかかる。

「……なんなんだ」

 何度か刮目してから目を見開く。みーあんが湖に腕を突っ込んで、魚を捕まえようと躍起になっていた。

「猫って水が嫌いじゃなかったのか……」

 あっという間に、みーあんの足元には魚の山が出来上がっていた。

「私たちのために食料を確保してくれているんです」

「へぇ……なかなか頼りになるじゃない。この猫ちゃん」

 レイチェルがみーあんの頭を撫でてあげると、

「うにぁおお~~~んっ」

 気持ちよさそうに鳴いた。

 ミルルは何も言わずに腰を下ろすと、膝を抱え、膝小僧に顎を乗せる。そして視線を下に向けた。あいにく今の俺にはかけてあげる言葉が見つからない。

「はぁ……」

 仰向けに倒れるレイチェル。

「……こうやって昔もここで大の字になって寝ていたんだ。……そのときはミルフィが隣にいたんだけどね。あのときと何一つ変わりない風景。なのにあたしたち人間は変わらずにはいられない。なんか寂しいよね」

 変わらずにはいられない――妙に含蓄のある言葉だ。

 シェリルは、ぽつりと呟く。

「ミルフィ……」

「あたしの親友よ。もうこの世にはいないけど……。ミルルにそっくりなの」

「そうですか……」

 虚ろな声だった。

 レイチェルはおもむろに体を起こす。

「……フォルキスの里はここからだと見えないか」

 大地の亀裂を覗き込みながら、そっとレイチェルは言った。

「フォルキスの里? ああ、そういえば三年ほど前に当時のハーデスが討たれた場所か。この近くにあったんだな」

 俺はそのときの作戦には参加していない。当時、妹のリリサは騎士学校に通っていた。そのため、俺は活動範囲を騎士学校から10キロ圏内に限定し、何かあった際にはすぐにリリサのもとへ駆けつけられる体制を整えていた。俺は世界の命運よりも妹を優先したんだ。

「うん。前はここから見えたの。だけど、今は樹冠が邪魔しちゃって見えない」

「三年もたてば、樹木だって成長するだろう」

 嫌な沈黙が俺らを覆い始めたとき、それを打ち破るように、口を閉ざしていたミルルが、そっと口を開いた。


「……わたしは生きていてもいい人間なのかな?」


 目を見張るレイチェル。

「ちょ、ちょっとミルル、何言ってるの?」

「わたしが生きていたら、みんな不幸になっちゃう。わたしがいなければ、カイきょーかんや、レイチェルだって、幸せに――」

「不毛なことを言わないでください。生きていていいに決まっているじゃないですか」

 シェリルは目つきを険しくさせ、きっぱりと言った。

 ミルルは一瞬だけシェリルを視界に捉えると、すぐに目を逸らす。

「ちゃんと私の目を見てください、ミルル」

「…………」

 ミルルはおそるおそる顔を上げる。

「たとえミルルが生きていることで他の誰かを不幸にしてしまったとしても、ミルルは自らの生をまっとうするべきです。負い目なんて感じる必要はありません。人は生きたいように生きていいのです。それが、オグマ……いえ、私の信念ですから」

 そう言って、シェリルはにこりと笑った。

 俺は思った。シェリルは純粋な子なんだな、と。

 そのときだった。ぐうとレイチェルのお腹が鳴った。

「いや、あ、あの、これは……」

 顔を真っ赤にしてあたふたするレイチェル。続けて俺のお腹も鳴る。伝染したようにシェリルの腹の虫まで。

「……くすっ」

 ミルルが微かに笑みをこぼす。俺もつい顔が綻んでしまう。

「よし、じゃあそろそろ飯とするか」

「そういえば、朝から何も食べてないものね」

「では、準備を始めましょうか」

 そこらに落ちてる小枝や葉っぱをくべると、シェリルが詠唱を始める。火が灯り、勢いよく燃え盛った。空まで届く勢いだ。

「ありがとな、みーあん」

「うにゃぁお!」

 俺がお礼を言うと、みーあんはもう一回太い声で鳴いた。きっと、どういたしましてと言ったのだろう。



 真上に上っていた日は、少しだけ斜めに傾き始めていた。

 食事を終えてしばらくしたときだった。

「寝ている間、ずっと夢を見ていたの」

 ミルルが不意に切り出した。

「ハーデスに食べられる夢……心も体も……魂まで全部……」

 全員の沈黙が重なる。

 ミルルは物思うように大地の亀裂を見つめている。フォルキスの里がある場所だ。相変わらず鬱蒼とした樹木が広がるばかりで何も見えない。

 ミルルは、おもむろに腰を上げた。

「どうした、ミルル?」

「……頭が痛いの。……呼ばれている気がする。行かなきゃ……」

 ミルルはそう言って立ち上がると、さっさと一人で歩いていってしまう。

「おい、ミルル!」

 俺らもミルルを追いかける。ミルルは取り憑かれたように下界へと続く沢沿いの道を歩いていく。

「だめよ! ミルル!」

 レイチェルが呼ぶ声はミルルの耳に入っていないようだ。

「待ってください! ミルル!」

 シェリルも呼びかけるが反応はない。

 道はどんどん狭くなっていく。

 ニャンノーラでは通れないほどの小道を十分ほど歩き続けて、フォルキスの里へと辿り着いた。思っていたよりもずっと小さな集落だった。木造の平屋が十軒ほど半円状に軒を連ねていて、その中心には慰霊碑のようなものが建っていた。

 不気味なほど静まり返っていて、人が住んでいる気配は感じられない。

 慰霊碑の前で歩みを止めると、じっと立ち尽くすミルル。まるで何かに思いを巡らせているような、いいや……何かを思い出しているような、そんな表情だ。

 俺もミルルの横に立ち、慰霊碑に記されている名前にふと目をやる。


 ――ミルフィーユ=フォン=エイマーズ


「ここは、先代のハーデスが討たれた場所。そして、あたしの親友――ミルフィが死んだ場所……」

 レイチェルはミルルに視線を向けると、

「やっぱりよく似てるわ、ミルルは。やっぱりミルルはミルフィ――」

 ここでシェリルが物憂げにレイチェルを見た。

「……ミルルはミルルですよ。ミルフィを思いやる気持ちは分かりますが、同一視してしまうのは可哀相です」

「じゃあどうして、ミルルはここに来たの? やっぱりミルルはミルフィだからじゃないの? じゃなければ、こんなところには――」

「伝わってくるの。ハーデスの想いが……」

 ミルルが、そっと言った。

「ハーデスはわたしを食べながら、遥か北の山を目指している……。そこは頂が潰されたように真っ平らな山……」

「そこって……!」

 レイチェルは、はっとした表情でミルルを見る。

「……いえ、なんでもないわ」

 レイチェルは口を噤む。

「そこは、ハーデスがどうしても行かなければ場所なの。だってそこには、ハーデスの望むものがあるから……」

「北の外れのテーブルマウンテンですね。確か麓にはアイシーローグという村がありました。全速力で飛ばしていけば夕方にはつくでしょう」

「決まりだな。真っ直ぐそこを目指すぞ。そして……ハーデスを討つ」

 レイチェルとシェリルは、頷く。

「ミルル。……必ず、あたしが救い出す。もう二度と、ミルフィを……ミルルを犠牲にしたりはしない」

 そう言うと、レイチェルは腰を屈め、ミルルを抱きしめた。

「……痛いよ、レイチェル」

「……ごめんね、ミルル……。だけど、もう少しだけ、抱きしめさせて……。今度こそ、あたしが守ってみせるから……」


     3


 崖の先端に立つ、二人の男。白衣に身を包み、視線を下へと向けている。

 崖下には湿原が広がっている。


「あれが、"件の人物"か」

 男たちの視線が捉えるのは、ニャンノーラに跨り、北を目指す青年と少女たちの姿。

「ええ、間違いありません。彼女を確保することができれば、私が開発している術式は、より完成へと近づくでしょう」

「本当に制御は可能なのか?」

「ええ、間違いなく」

「……いいだろう。今回はお前の提案に乗ってやる。だが、失敗したら分かっているな?」

「勿論でございます。私の長年の研究の成果を、今こそ披露してみせましょう。……さて、罠を張りましょうか」

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