第11話 思い出の中にはあなたがいる

 連絡先を登録しているのは家族か咲奈くらい。姉の栞はこの時間は勉強を始める直前か始めた直後なので連絡をしてくるとは考えにくいため、発信先を見なくても咲奈からだということは分かった。


 あまり話をしたい気分ではなかったが無視をしてもどうせ家に直接来るため、できるだけ早く話を終えてもらえるように気だるげに機嫌が悪そうに電話に出た。


「もしもし」


「あ、春喜。今、部屋でしょ?」


「うん。ていうか俺が部屋の電気点けたの見てた? タイミングばっちりすぎるんだけど、待ち構えてたでしょ」


「しょうがないじゃん。すぐに話したかったんだから」


 棘のある春喜の言葉をまるで意に介さずに咲奈は上機嫌だ。弾むような声からうきうきしていることが丸分かりだ。


「まあいいや。話って何?」


「あのね、七月二十六日って何か予定ある?」


「今のところないけど、どこかに遊びに行くの?」


「うん。お祭り、一緒に行こうよ」


「もちろんいいけど、毎年そんな時期だったっけ? 変わった?」


 毎年八月半ば、お盆の直前に行われる春喜たちの地元の子供祭りは桜木小学校の近く、町内どころか市内で見ても一、二を争う面積を持つ桜木総合公園で行われる。


 夜になる前に終わるので子供だけで回る姿も多いものの、春喜は今まで自分の両親や一緒に行った咲奈や瑛太、他のクラスメイトの親に付き添われていた。


 しかし五年生になったら子供だけで回って良いと言われており、ずっと楽しみにしている。


「桜木公園のはいつも通り八月。それは瑛太とか、同じクラスの子と一緒に行くでしょ。そうじゃなくて隣町の駅前のお祭り。ずっと行ってみたかったんだよね。一緒に行かない?」


「隣町の……」


「うん。春喜は行ったことある?」


「いや……ないよ」


 嘘だ。本当は行ったことがある。ただ、そのときの感想などを尋ねられたりするのが嫌だった。


 まだ幼稚園に入りたてで、咲奈と知り合ってはいたが一緒にお祭りに行くような間柄ではなかった頃、春喜は両親と姉の栞と一緒に今しがた咲奈に誘われた祭りに行ったことがあった。


 その頃の春喜は興味が惹かれるものを見つけると、それに向かって一目散に走り出してしまうようなやんちゃな子供だった。もう七年も前のことだ。




 横断歩道の先のスーパーの駐車場で手を振る父親を見つけ、繋いでいた栞の手を振りほどいて父親に向かって駆け出した。横断歩道の中ほどに差し掛かったとき、誰かの大きな声が聞こえ、その瞬間突然体が浮き上がり、戸惑っている間に体が地面に叩きつけられた。


 手のひらと膝をすりむき、痛みでその場にうずくまっていても、父親や母親はすぐには駆け寄ってきてくれなかった。栞だけが呆然と自分のそばに立っていたが、自分ではなくどこか別の場所を見つめているようだった。


 色々な音や声が聞こえて、何か大変なことが起きたということだけは幼いながらに認識できた。


 やがて父親の運転する車で病院に向かう際、車内では誰かが泣いている音と「しおり。大丈夫だよ」というとても優しい声がずっと聞こえていた。姉の栞が泣いていて母親が励ましているのだとは思ったが、その栞に顔を胸元に抱きしめられていた春喜は栞の涙を見ていない。


 春喜は横断歩道で転んだのだ。そしてちょうどそのとき近くで事故があって救急車が呼ばれた。そう説明を受けて、幼い春喜は納得した。


 そしていきなり走り出してはいけないということを心に刻み、今のような落ち着きのある性格に変わり始めたのもこのときで、栞が医者になりたいと言い出したのもこのときからだった。


「……春喜? どうしたの?」


 昔のことを思い出して黙りこくってしまった春喜に咲奈が呼び掛ける。


 翌日家の前で咲奈と出会い、膝や手に貼られた絆創膏を見て驚いた顔をしながらも心配してくれたことがなんだか嬉しくて、それがきっかけで咲奈とより仲良くなったことも思い出す。


「なんでもないよ」


 幼い頃の自分は父親や母親の説明に何も疑問に思わなかった。だが、記憶の断片をかき集めて自分なりに検証してみると何か違和感があって、別の真実があるような、そんな気がしている。しかし、それを特定するためには記憶や情報が足りな過ぎる上に、そのときのことを思い出そうとするとひどく陰鬱な気分になってしまうため何も解き明かせていない。


 一度両親に尋ねたことがあったが、転んだだけだよ、とあっさりと返されてしまった。


「もう一回聞くけど、行けるんだよね?」


 その日以来、そのお祭りどころか隣町の駅前にすら行っていない。そこに行けば何か新たな記憶を思い出して、気づくこともあるかもしれない。そう考えて了承した。


「よかった。さすがに隣町は子供だけじゃ駄目って言われちゃったから春喜もお母さんたちに聞いてみてね。もし予定が合わないならうちのお母さんたちが連れてってくれるから大丈夫だけど」


「うん、分かった。瑛太にも言っておくよ。あとは誰を――」


「待って」


 電話の向こうから音の矢が放たれたように鋭い咲奈の声が春喜を貫く。一瞬感じた恐怖に身を縮めた。


「な、何?」


「皆とは八月に行くじゃん」


「うん」


「こっちのお祭りは、二人で行かない? 親はいるけど……だめ?」


「まあ、いいけど」


「やった! ……ごほん、何でもない。じゃあそういうことで。詳しくはまた今度ね」


 控えめに、でも甘ったるく尋ねる声、大喜びする声、取り繕うようにわざとらしく冷静さをアピールする声は普段の咲奈のようで、咲奈ではない何かを相手にしているようで春喜を不思議な感覚にさせる。


 昔から咲奈と二人きりで遊ぶことはたくさんあった。小さな頃はそれが当たり前で、ただただ楽しくて、周りの目なんて考えたことはなかった。


 だが、もう十歳。小学五年生。男女二人きりで遊んだり出かけたりすることが誰とでも起こり得るありふれたイベントではないことは、春喜も最近ようやく分かってきた。


 自分は誘われたから乗っただけだ、と春喜は自分に言い訳をする。でも咲奈は、自らの意志で春喜と二人になることを選んだ。その選択に至った咲奈が春喜に持つ感情を、最近恋をした春喜が理解できないはずがない。


 通話を終えても咲奈の声が耳の中で響く。咲奈の顔が脳内に思い浮かぶ。桜の笑顔が、優しい声が同時に現れて、春喜を惑わせる。



 そういえば、思い出の中の女の子とは七年前のお祭りの日にも会っていた。そんなことをふと思い出した。

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