第6話 放課後恋バナ模様
「私は瑛太君かなー。運動めっちゃできてカッコいい!」
「分かる―。けど坊主はちょっとなぁ、野球やってるからって気にせずに髪伸ばせばいいのに。あ、運動できると言えば龍は? あいつのバスケやばくない?」
「ま―確かに顔も悪くはない。でも私はやっぱり瑛太君派だなぁ。ほら、お母さんから聞いたんだけど龍の家って……あ」
「え? あ」
連休が明けてしばらくたった五月半ばの金曜日の放課後。忘れ物を取りに教室に戻った春喜は、秘密の恋愛話に花を咲かせるクラスメイトの女子二人と鉢合わせした。
担任の桜を好いており、よく話しかけているグループのうちの二人だ。主が不在の桜の机の側に集まった二人は、教室の出入り口でバツが悪そうに立ちすくむ春喜をじろりと睨みつける。
瑛太派と宣言していた
「聞いた?」
赤らめた顔を見るに、本気で瑛太のことを好きなのかもしれない。そう考えた春喜は邪魔も手助けもせず、無干渉でいるために無言で首を横に振った。
「いや、位置的に絶対聞こえたでしょ。顔に聞いたって書いてあるし、委員長って嘘下手すぎ」
もう一人の女子、坊主否定派の
「え? いや、その、ごめん。聞こえちゃった」
最近恋というものを実感したばかりの春喜はこの手の話は得意ではない。無干渉が許されなくなった以上、無難なことを言ってこの場を逃れることにした。
「まあ、瑛太の坊主は野球とか関係なしに好きでやってるから、他の髪型は坊主に飽きるまで期待しない方が良いよ」
そう言って自分の机に向かい、中にしまったままになっていた算数の自主学習用のノートを手に取った。
「ねえ、委員長って瑛太君と仲良いよね?」
春喜による瑛太の豆知識を無視して加奈が春喜に詰め寄る。
「ま、まあね。一年生の頃から友達だし」
「じゃあ瑛太君のこと何でも知ってるわけだ」
グイグイと唯も詰め寄ってくる。気圧されて後ずさりした春喜のお尻が咲奈の机にぶつかってガタンという音を立てた。
「他の人よりは――」
「瑛太君って好きな人いるの⁉」
春喜が言い終わる前に加奈が割り込む。好きなのかもしれない、ではなく好きなのだと、さすがの春喜でも確信した。
「さあ? そういう話はほとんどしないから、分からないよ」
「じゃあ咲奈は? 咲奈は好きな人いるの? 委員長は咲奈のこと好き?」
「な、なんで咲奈や俺が出てくるんだよ」
「だって瑛太君と咲奈と委員長っていつも三人でいるじゃん。咲奈と委員長がくっつけば瑛太君はフリーになるし、可能性あるかなって思って」
「そういうことか……咲奈の好きな人なんて知らないし、そもそもいるかどうかも知らないよ。俺も咲奈のことは好きとかそういうんじゃなくて、幼稚園から仲が良い友達って思ってるだけ」
加奈が唯の方に目を向けた。先ほど春喜の嘘を見破った慧眼が再び発揮される。
蛇に睨まれた蛙のように固まる春喜だが、唯は春喜をしばらく見つめて、というよりも睨みつけたあとにため息をつく。
「はあ。嘘じゃないっぽい。残念、加奈に都合のいい状況にはなってないね」
「そっかぁ。ねえ委員長、それなら瑛太君って私のことどう思ってると思う?」
加奈が目を潤ませながら春喜に尋ねる。子犬のようだ、と春喜は思った。
春喜の家では犬は飼っていないが、春喜は動物が好きだった。動物園や水族館によく連れて行ってもらっていたし、動物の図鑑を見るのも好きだった。思い出の中の女の子の膝の上に座り、動物が出てくる絵本を読んでもらった記憶も甦る。
変わった匂いのする大きな建物の中で両親と姉がどこかに行ってしまったが、その女の子と一緒だったから不安はなかったことは覚えていた。
懐かしくて、優しい気持ちになった春喜は少しだけ加奈に手を貸してやろうと思った。
「分からないけど、探ってみるよ。好きな人がいるかって聞いて、いなかったら坪倉さんのことをどう思ってるかそれとなく聞いてみる」
「まじ? さっすが委員長、ありがとう!」
「良かったじゃん、加奈。そうだ、委員長も何かあったら言ってよね」
「何かって?」
「委員長だって好きな人くらいいるんじゃないの? せっかくだしお互い協力しようよ」
好きな人、と言われて思い浮かぶのは桜の顔だ。結局、まだ指輪のことは聞けていない。
桜と仲が良い加奈たちなら何か知っているかもしれないと思う春喜だが、真実を知ることもまた怖い。
「俺は……まあ、そういう時が来たら何か協力してもらうかも」
そう言って、曖昧に誤魔化した。
「それじゃあ俺はこれで帰るよ」
「うん、じゃーねー……あ、待って、あれ」
その場を離れようとする春喜を加奈が呼び止め、咲奈の机の下の方の床を指差す。
そこに落ちていたのは桜色の少し上質な紙の表紙に桜の花がモチーフの校章が描かれている冊子。毎日書いて提出することになっている生活記録用の日誌だ。
放課後から翌朝家を出るまでの記録をするそれは、保護者との連絡用にもアプリが用いられるなど様々なものが電子化、機械化されている今でも昔ながらの手書きだ。
忙しい先生たちが毎日コメントすることはできないということは一年生の頃から言われてきたが、桜はかなりの頻度でコメントをくれるので春喜の毎日の楽しみだった。
「咲奈の日誌じゃん、あんなの落ちてたっけ?」
「机の中にあったやつが委員長がケツぶつけたときに落ちたんじゃない?」
「忘れてったのかな。どうしよ、唯、委員長」
「俺が届けるよ。昇降口で待ってるし」
「あーいつも一緒に帰ってるもんね。あ、もしかして瑛太君も一緒?」
「いや、今日は野球の練習の日だから車で先に帰ってるよ」
「へぇ、じゃあ二人きりで帰るんだ」
「えーやっぱ二人はお似合いじゃん。教室でもなんか通じ合ってる感じするし」
にやつく唯と何故か嬉しそうにする加奈。別に自分と咲奈が恋人という関係になったとしても加奈が瑛太とそうなれる保証はないのにと少し呆れつつ、それがただのちょっとしたからかいであることを理解している春喜は反論も怪訝な態度もせずに教室を出た。
春喜は昇降口を出てすぐのところにある花壇のツツジをしゃがんで眺めていた咲奈と合流する。
目も合わさず、無言のまま結んでいない長い髪を揺らしながら立ち上がり、ごくごく自然に隣に並んで歩く様を客観視すると、確かに通じ合っているのかもしれないと春喜は思った。
今まで意識したこともないのに、加奈に言われたときはなんとも思わなかったのに、実際に咲奈と歩いていると自分は同級生の女子と毎日のように一緒に帰っているのだとまざまざと自覚させられる。
「……それでね、
「え? う、うん。えっと、翔平君っていうは咲奈のいとこのお兄さんだったよね。千紗ちゃんって誰?」
機嫌が良さそうに笑顔で話をしていた咲奈が、心ここにあらずという言葉がぴったりな様子だった春喜にため息をつく。
ただでさえ最近の春喜から自分以外の女性への恋慕の情を感じ取っているため、話を聞いてくれない春喜に苛立ちを覚える。
「千紗ちゃんは翔平君の彼女で西川先生の娘さん。ゴールデンウィークで翔平君と一緒にうちに遊びに来たの。私の話、ちゃんと聞いてよね」
「ご、ごめん」
頬を膨らませて咲奈は憤る。日頃の不満が溜まっているのか、春喜への罵詈雑言とは言えないくらいの小言が次々と口から吐き出される。
咲奈に怒られたのはいつぶりだろうか、と春喜は思った。いつも自分を肯定してくれて、楽しそうに笑ってくれていた幼い頃の咲奈と今の咲奈は違う。自分の意見を持っていて、怒ることも喜ぶことも不機嫌になることもある。
昔より随分と伸びた長い髪、自分よりほんの少しだけ小さな身長、白い肌、簡単に折れてしまいそうなほど華奢な手足、あどけなさと大人っぽさが共存するようにころころと変わる表情、そんな咲奈に不思議な感覚を覚える。
春喜にとっての咲奈は他の誰ともカテゴリが違う関係だった。もちろん恋人ではないし、友人でもない。世間的には幼馴染だとは思うがそれを意識したことはない。
春喜にとっての咲奈は、咲奈という一つのカテゴリに存在している特別な存在。
春喜は咲奈のことをこのとき初めて同級生の女子として認識した。
「ところでそれ、ずっと持ってるけどなんでランドセルに入れないの?」
ひとしきり話し終え、憤りをぶつけ終えた咲奈が春喜が手に持っていた咲奈の日誌を冷静に指摘する。
「あ、そうだ。これ咲奈の忘れ物だよ。俺のノート取るときに咲奈の机にぶつかっちゃって、それで机の中から落ちてきたんだ」
「え? あ、ほんとだ、私の名前書いてある。気づかなかった、ありがと」
春喜から手渡される日誌を掴んだところで咲奈の動きが止まる。思考を巡らせているような様子に春喜は何事かと眉をひそめた。
「どうしたの?」
「中、見た?」
「見てないよ」
「ほんとに?」
「ほんとに。そもそも見られて不味いようなこと書いてあるの?」
「……いや、別に私は困らないんだけど」
「ならなんて書いてあるの? そういう言い方されると気になる」
「なんでもないよ。桜先生と女同士の秘密のやり取りをしてるだけ。男の子は見ちゃだーめ」
「ふーん」
咲奈は桜先生のことが嫌いだったはずなのに秘密のやり取りなんかしてるんだ、と言おうと思った春喜だったが、再びいとことその彼女の仲睦まじいエピソードを楽しそうに披露し始めた咲奈に遠慮して、口をつぐむことにした。
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