4-7

 第六坑道は鉄柵の設置は無い。

「こんなところに誰も入らないから柵が無いってことか」

 長瀬が懐中電灯で奥を照らしてみると、足元に水が溜まっている。入り口手前は金属の骨組みで補強されており、カーブを描いて奥の方は鳥居型の木枠が続いている。ここから見える部分は崩落はしていないようだ。

 葉を叩く雨音が聞こえ始め、すぐに本格的に大粒の雨が降り始めた。長瀬と大友は第六坑道の中に避難する。雨は防げるものの、足元に溜まった泥水に靴が浸っていた。

「奥に進んでみようか」

 止みそうにない雨に長瀬は観念した。正直、先に進むのは怖い。何があるかわからないからだ。ライターといっても、ネットで調べたことを読者が飛びつくように違う言い回しで書き直すような仕事ばかりしていた。ホラー系の取材記事などどうせ何も起きない廃墟の入り口だけ覗いて書いた。こんな体当たり取材は初めてだ。今も寒さと恐怖で鳥肌が立ち、疲労で膝ががくがく震えている。

「長瀬さんは勇気がありますね」

「いや、怖いよ。でもここで何もせず待ってるだけじゃ時間が勿体ない」

「ぼくも怖いです。でも進みましょう。蠱術師に会ってみたい」

 大友の好奇心を長瀬は新鮮に感じた。大友は蠱術師がどんな人物か決めつけることなく、会ってみようとしている。長瀬と大友は並んで暗闇の中を進み始めた。懐中電灯は心許なく濃い暗闇を照らす。足首までの水に浸かりながらゆっくりと進んでいく。

「うわ、危ない」

 暗い水の中に瓦礫が沈んでいたらしく、大友が躓きそうになりなる。長瀬は大友の腕を引っ張りバランスを取る。

「ありがとう、長瀬さん」

 慎重に進むしかない。丸太の支柱が支える坑道は大きくカーブを描く。いつの間にか足元は水が捌けて歩きやすくなっていた。水滴が落ちる音が遠く響く。泥と鉄錆、腐った木の匂いがない交ぜになって鼻腔を刺激する。ふと背後を振り返ると、入り口は見えなくなっていた。足元に深い穴が空いている場所があり、足を踏み外しそうになる。落ちていく石が何度も壁面にぶつかって反響する。

「ずいぶん深い穴だ」

「落ちたら最後だ」

 長瀬と大友は疲弊した顔を見合わせ、恐怖のあまり半笑いになる。

 坑道が緩やかな上り坂になってきた。出口が近いのかもしれない。坑道を支える柱が金属製に変わった。その先を照らすと、錆びた鉄の壁が塞がっている。

「行き止まりだ」

 懐中電灯の光が照らすのは分厚い鉄板だ。村があるとして、通行を遮断するためだろうか。ここまで来て、引き返すことになるなんて。長瀬は徒労感に重い溜息をつき、置き去りにされた採掘機に腰を下ろす。大友も出口が封鎖されていたことに愕然として意気消沈している。

「よくがんばったよ、俺たち」

 長瀬はリュックから温いペットボトルの水を取り出し、一気飲みする。坑道内は外よりも涼しく、身体が冷えていたのでちょうど良い。リュックの奥に煙草が入っているのを見つけた。

「吸って良いか」

「ぼくにもくれませんか」

 大友も煙草を吸うのは意外だった。長瀬はアメリカンスピリットを一本取り出し、大友にも差し出す。スカルのついたジッポで火を点け、煙を燻らせ始める。大友も慣れた手つきでうまそうに吸い始めた。煙を呆然と見つめていた大友が目を見開く。

「長瀬さん、出口があるよ」

「え、なんで」

 長瀬は煙草でリラックスし、すっかり脱力している。

「煙草の煙が流れてる」

 つまり、風の流れがあるということだ。大友が興奮している理由がわかり、長瀬は咥えタバコのまま立ち上がる。立ち上る煙が微かに右手に流れていく。長瀬と大友は煙の流れる方に懐中電灯の光を当てる。出口は見当たらない。

「このトタン、動かせませんか」

「やってみよう」

 鉄の支柱の間に挟まっていたトタン板を引っ張ってみると、するりと抜けた。その先に横穴が続いている。

「まじか」

 長瀬は驚いて煙草を落としそうになり、慌ててキャッチする。横穴の先はほの明るく、外の光が差している。岩に手をかけながら登ると、杉の木が生い茂る森の中に出た。雨は小雨になっており、薄雲が夜空を流れていく。間も無く止むだろう。

 森を進むと石造りの家を見つけた。三軒が寄り添うように建っている。家の傍には畑があり、芋や大根を育てている。屋根だけの物置には農具やバケツが片付けてあり、確かに人が暮らしている形跡がある。周辺は森に囲まれており、まるで隠れ里だ。どの家にも明かりがついていない。寝静まっているのだろうか。

「ここで蠱術師が暮らしているのか」

「おそらく。違うというならとんだ迷惑ですね」

 時計を見れば、今は夜十時だ。寝ているなら申し訳ないが、ここまで来て朝まで待つことはできない。大友が一番大きな家屋の木の扉をノックした。しばらく息を殺して待つが、返事はない。長瀬は窓の方に回り込む。煤けた窓から中を覗き込むと、簡素な家具が置かれており、奥には旧式のテレビがあった。電気は通っているようだ。

「長瀬さん、鍵が開いてる」

 大友が声を抑えて長瀬を呼ぶ。この狭い集落だ、鍵を掛ける習慣が無いのかもしれない。

「失礼します」

 大友が小声で断りを入れて家の中へ踏み込む。板張りの床が軋み、心臓が跳ねる。テーブルとソファの部屋を抜けて寝室を覗く。部屋の奥に簡素なベッドと小さな化粧台があった。静まりかえった森の中で寝息は聞こえない。おそるおそるふとんを剥いでみる。そこには誰も居なかった。大友はベッドに懐中電灯の光を当てる。シーツに赤黒い染みがこびり付いている。

「まさか」

 ベッドの周辺の壁に血痕が飛び散った黒ずんだ跡があった。この出血量だ、誰かがここで殺されたに違いない。

「事件があったようだな」

「でも、遺体が無い」

 大友は呆然と立ち尽くす。化粧台に木枠に入った写真が飾られていた。写真には穏やかな表情の白髪の老婆と、彼女に手を引かれた小さな女の子が映っている。大友は枕の周辺を照らす。血が付着した長い白髪が落ちている。

「ここで殺されたのは写真の老婆でしょうか」

「女の子はどこにいった」

 ここに姿が無いことから不吉な予感が過ぎる。キッチンの棚にはガラス瓶に入った木の根や種、乾燥させた昆虫が並んでいる。棚の奥まで詰め込まれた瓶の数は百以上にはなるだろう。ここが蠱術師の家だった可能性が高い。蠱術師はここで暮らしていた。しかし、殺されて遺体は持ち去られた。

 他の二軒も調べてみた。少し前まで人が生活していた形跡はあるが、もぬけの空だ。蠱術師と共に殺されたか、連れ去られたか。どちらにしても、地図にない村の住人は一人残らずいなくなった。

 家の裏手に素朴な手作りの廟があった。木と布で作られたもので、神像も木彫りだ。その優しい表情と赤い布の着物から媽祖を表わしていることがわかる。燭台にはまだ半分以上長さのある蝋燭が立ち、香炉の線香は燃えかけだ。廟の足元にある祈祷の際に膝を載せる台は剥げてぼろぼろになっている。

「参拝者が多いほど台がぼろぼろになります。きっと誰かがここで毎日祈っていたのでしょう」

 長瀬はジッポで蝋燭に火を点ける。台座の引き出しにあった新しい線香を手にとり、大友にも手渡した。二人で線香に火をつけ、小さな香炉に差す。手を合わせて静かに祈りを捧げた。

「彼女が人を憎む呪いをかけていたとは思えない」

「ぼくもそう感じました」

 長瀬の言葉に大友は静かに頷く。ここにはもう用は無い。地図に無い村は本当に存在が消えてしまったのだ。そして蠱術師の手がかりも消えた。

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