4-6
「有力者の息子は戦後に自分のしたことをひどく後悔して、鎖門金山の麓に媽祖廟を建て、生涯僧侶として尽くした」
「とても美談には思えませんね」
長瀬は憤りを押し殺して吐き捨てる。二十人もの人間を自分の欲望から生き埋めにして殺しておいて、悔い改めるなんて調子が良すぎる話だ。大友も今は観光資源になっている鎖門金山に隠された暗澹たる逸話を知って驚いている。陳老人含め村の数人の年寄りしか知らない真実だ。現在残る語り部は陳老人しかいない。そして、老人はこの話を墓場へ持っていこうとしている。
「話には続きがあるんじゃ」
老人はアルミカップに茶を注ぎ足し、鳳梨酥をひとつ摘まむ。そういえば、蠱術師のことがまだ触れられていないことに長瀬は気がついた。
「縦穴に落とされた者はしばらく生きていた」
想像するだに恐ろしい。食料も水もなく、暗く狭い坑道に閉じ込められるなんて絶望でしかない。いっそ死んだ方がましではないか。長瀬は息を呑む。
「彼らを助けようと密かに村の者が縦穴に通じる道を掘り進めた」
縦穴は深く、到達するのに十日は掛かったという。そこで村の者が発見したときには、二十名全員がすでに息絶えていた。実は助かった、という話を心のどこかで期待していた長瀬は重い溜息をつく。
「だが、二十一人目が生きていた」
「まさか」
長瀬と大友が同時に声を上げた。
「母親の腹の中で赤子が生きておった。穴蔵の中は血の海だった。子を助けるために夫をはじめ縁者たちが自分の命を棄てて母親に血を飲ませていたのだろう」
「残酷すぎる。あまりに悲劇だ」
長瀬は絶句し、唇を噛む。遠い国の残酷なお伽噺ではない、現実に起きたことなのだ。
「長瀬さん、この話を聞いて思い出しませんか」
俯いていた大友が顔を上げる。長瀬も目を見開く。
「これは蠱毒だ。壷の中に生き物を入れて殺し合いをさせ、生き残った一匹に力が宿る」
はからずも、鉱山の縦穴が蠱毒の壷となったのだ。
「娘は蠱術師の家系だった。だから犠牲者たちは命を捨てて赤子に力を託した」
恐ろしい恨みの絶叫が真っ暗な坑道に響き渡る幻聴が聞こえるような気がして、長瀬は背筋が寒くなる。
「それがこの島の蠱術師」
「そうじゃ」
陳老人は深く頷く。その赤子は自ら蠱術師となり、絶大な力を持つという。
「古代より蠱毒に使う生き物は小さいものは蚤から昆虫類、ねずみやうさぎ、猫、大きいものは牛の記録も残っている。毒の強力さと生き物の大きさで蠱毒の力が増すと聞いています」
大友は額から流れる生ぬるい汗を拭う。
「深い恨みを持つ人間は強い毒に匹敵する。陳さん、蠱術師は今もこの島にいるんでしょうか」
陳老人はアルバムの最後のページを捲る。煉瓦で固めたトンネルだ。ぽっかり空いた暗い穴からレールが続いている。これは鎖門金山の坑道入口の写真だ。
「この島には地図にない村がある。その村には名前も存在しない。そこに蠱術師が隠棲していると聞いている。わしも会ったことはない。ここだ、この坑道が村への入り口じゃ」
長瀬は写真を凝視する。写真は解像度が低い上に掠れているが、トンネル上部に鎖門金山第六抗とプレートがついている。陳老人はアルバムに挟んでいた地図を広げる。鎖門金山の看取り図で、坑道の入り口が示してある。
「第六坑道は、ここか」
大友が地図アプリで坑道の位置をマーキングする。
「わしが話せるのはこれだけじゃ」
長瀬と大友は陳老人を労う。久しぶりに若者と話ができて良かった、と老人は寝室に引っ込んでいった。礼を言って老人の家を出た。
すっかり陽が陰り、吹きすさぶ海風が肌寒いくらいだ。暗雲が低く垂れ込め、空気が重く湿気を帯びている。雨が近いのかもしれない。裂けた雲間から黄昏の空が覗いている。長瀬は薄手のパーカーをリュックから取り出し、袖を通した。
「蠱術師は家族を殺害された深い恨みを持っている。話が通じるのか」
「陳老人も会ったことがないと言っていましたね。ぼくにもどんな人物なのか想像もつきません。それに、戦中に生まれたということはかなりの高齢ですね」
大友に言われて気が付いた。八十歳を越えた老人ということになる。余計に話が通じるのか長瀬は心配になってきた。
「そもそも、その幻の村が本当にあるのか」
いよいよどうにもならない可能性に長瀬は曇天を見上げると、鼻先にぽつりと水滴が落ちてきた。
「とりあえず行ってみましょう。鎖門金山はここから歩いても三十分ほどです」
大友はレットイットビーを口ずさみながら、もと来た道を歩き始める。逞しい奴だ、確か自分よりも三つ年下だと言っていた。長瀬は両頬をぱちんと叩いて気合いを入れ、大友の背中を追った。
鎖門金山は保存状態の良い第三坑道と第五坑道が観光施設になっている。入場は午後四時半まで、午後五時には閉園し正門が閉まる。天気が崩れかけていることもあり、まばらな観光客も足早に帰っていく。午後五時をまわって、観光案内所の明かりも消えた。スタッフが施錠を確認してスクーターに乗って去っていった。シャッターを閉めようとしている寂れた土産物店で懐中電灯を買った。
「では、第六坑道を探しにいきましょう」
「なあ、明日じゃ駄目か」
長瀬は門を乗り越えようとする大友のシャツを引く。日は暮れて薄暗く、悪いことに雨まで降りそうだ。黒い山が不気味に聳え立ち、人柱の逸話を思い出すと気持ちの良いものではない。ホラー系ライターをしている割に、呪いだ祟りだという超常現象を信じてはいなかった。しかし、天道聖媽会の案件に関わってからはその信念が揺らぎつつある。この島に来てから科学で証明できない力の存在を肌で感じていた。
「今週は台風が来る予報が出ています。もし接近が早ければ足止めをくらいます」
ただでさえ悪天候が多く、飛行機が欠航になることもある島だ。台風接近は長瀬を動かすのに充分な理由になった。
大友はスマートフォンを片手に突き進む。園内マップにもある入口部分が修復された第二坑道を見つけた。 ここは崩落してトンネル内部は瓦礫に埋っている。太い格子状の鉄柵が設置され、中へ入ることはできない。目的の第六坑道にもこんな鉄柵が設置されているなら、ブルドーザーでも持って来ないと通行できないだろう。
「第二坑道の東側だからこっちですね」
観光エリアから完全に外れることになる。大友の示す道は柵で封鎖され、通行できないようになっていた。大友は柵の脇を抜けていく。そこから先は背の高い草むらが生い茂っている道なき道だ。大友は草をなぎ倒しながら進む。長瀬はありがたく開けた道をついていく。スニーカーが泥塗れになり、足先に水が入って不快極まりない。
「暗くなってきましたね」
大友は懐中電灯をつける。古いタイプで光源が弱い。光に照らされた先もずっと草むらが続いている。どのくらい進んだのだろうか、いや草むらが歩きにくいだけでおそらく大して進んでいない。
長瀬は疲弊し、息が上がっていた。長瀬が追いついていないことに気が付き、大友が足を止める。伊原がここにいれば、ひ弱だと笑われるだろう。
「長瀬さん、この先に入り口が見えました。もう少し」
折れた枝に足を引っかけて転びそうになりながら、ようやく蔦に覆われたトンネルの正面に出た。煉瓦で補強された壁面はアルバムで見た古い写真の通りだ。錆びたレールが奥の暗闇に続いている。上部のパネルに第六坑道の文字が読み取れた。
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