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 翌朝、長瀬と大友は成田空港に向かった。成田発LCCなら台北行きの便数が多い。急な出発だったが、午後四時台台北着の便を予約することができた。

 空港のチェックインカウンターは長蛇の列だ。なかなか進まないのは日本で爆買いをした台湾人の大量の荷物チェックとLCCならでは厳しい重量制限のためだ。重量オーバーを係員に指摘されて慌ててカウンター前で荷物を広げ、重そうな小物をポケットに突っ込む女性や、不本意ながら高額の重量超過金を支払う中高年で進みが悪い。

「台北についたら蠱術師を探します」

 成田空港で大友に言われて、着替えはバックパックで一日分のみにまとめてきた長瀬は慌てた。探すとなると当てはあるのか、と聞く長瀬に大友は難しい顔をする。

「蠱術師を知っている人を知っています」

「なるほど、つまり何日かかるかわからないってことか」

 着替えは手洗いするとして、ホテル代が心配だ。正直に打ち明けると、大友の親族がやっている旅館が台北市街にあるというので滞在中の宿はひとまず安心だ。出国手続きをして搭乗待ちのとき、伊原からLINEが入っていた。

「病院は暇すぎるって。検査の結果は以上なし、退院は早そうだよ」

「伊原さん、良かったです」

 大友もほっとしている。雀蜂騒動のあと、伊原に無理やりお茶を飲ませたことを平謝りしていた。伊原は命の恩人やと感謝している。長瀬も実はどさくさに紛れて殴られたことを恨んでいる。腹いせがてら、搭乗ゲート前で大友と慣れない自撮りをしてLINEで写真を送りつけておいた。

「台湾か、初めて行くよ。俺の家は貧乏でさ、高校の修学旅行先が台湾だったんだけど、お金が無くて行くのを諦めたんだ」

 母親が神世透光教団へ高額寄付を始めた頃だ。アパートの光熱費や学費の支払いさえ覚束ない状況で、海外への修学旅行へ行きたいなどと言えるわけが無かった。あの時の無念な気持ちはトラウマで、それ以来長瀬は海外には行ったことがない。

「ぼくもこれが初めての日本です。日本はずっと憧れでした」

 母の故郷ではあったが、行く機会を逸していたという。祖母の麗子が季節ごと台北に戻ってくるとき、日本の小説や漫画、お菓子を買ってくるのが楽しみだったと懐かしそうに語り、近くて遠かった、と切ない表情になる。祖母を喪ったことがきっかけで訪れることになった日本。大友の気持ちを思うと長瀬は胸が締め付けられる気分だ。

 定刻から少し遅れて搭乗が始まり、飛行機に乗り込んだ。これから台北まで約四時間のフライトになる。

 

 天道聖媽会の本部ビル五階の本堂。

 槙尾竜仙は線香に火を点け、香炉に差す。御簾は開いている。目の前に鎮座する媽祖観音にくぐもった声で祈りを捧げる。蝋燭の光を受けて金色の仮面が輝いている。まるで媽祖が自分に微笑みかけているようだ。

「もう少し、もう少しだ。だが、まだ足りない」

 竜仙は三連の数珠を握り締める。その顔は狂気に歪んでいる。

 背後でドアが開く音がした。黒いスーツに身を包んだ男が二人、静かに本堂に入ってくる。竜仙の背後に控え、頭を垂れる。

「順風耳から報告です」

 白髪交じりの豊かな髪、気難しそうに唇をへの字に曲げた初老の男が顔を上げる。

「神保町春眠堂に一時滞在していた男は城山麗子の縁者でした。葬儀の段取りと店の片付けを終えて台湾に帰国したようです。店はシャッターが降りた状態で再開の様子はありません」

 竜仙は顎髭を撫でつけながら報告を聞いている。

「伊原と一緒にいたパーマの男は、素性がわからないのか」

「はい、あの男は伊原の身に起きたことに恐れをなし、雲隠れしているようです。あれ以来姿を見かけません」

「まあ良い、大事の前だ」

 竜仙はつまらなそうに鼻を鳴らす。伊原にかけた蠱術が失敗したことは腹が煮えくりかえるほど悔しいが、脅しの効果はあった。最悪、伊原梨沙はこちらの手中だ。伊原も下手な動きはできないと踏んでいる。

「千里眼よ、蠱神こしんにえの手筈は整っているか」

 竜仙はもう一人の若い男に向き直る。千里眼と呼ばれた黒髪を撫でつけた男は静かに頷く。表情が読めない顔相は爬虫類を思わせた。

「いよいよわたしの悲願が叶う」

 竜仙は薄い唇に歪んだ笑みを浮かべる。千里眼と順風耳はただ無言で竜仙の背を見つめている。祭壇の前に捧げられた三宝には十体の白木の形代が置かれていた。


 台湾桃園国際空港に到着したときには午後五時をまわっており、低く垂れ込めた暗雲に真っ赤な夕焼けが呑まれようとしていた。途中飛行機が揺れ、慣れない長瀬は少し酔ってしまった。体感温度は日本と変わらず、湿度がやや高いと感じられるのは雨が近いせいかもしれない。

 大友は台湾国籍なので入国審査のゲートが異なるらしい。出口で待ち合わせることにして、長瀬は外国人用のゲートに並ぶ。海外に足を踏み入れるのは初めてだ。入国審査で宿泊先のホテル名を訊ねられ、咄嗟に思い出した台北の超有名ホテル円山大飯店の名前を答えておく。パスポートを受け取って審査を通過し、出口で大友と合流できた。

「桃園空港は郊外にあります。桃園空港MRT、地下鉄に乗って市街地へ向かいます。所要時間は一時間です」

 長瀬は言われるまま大友についていく。空港内のコンビニエンスストアに立ち寄り、台湾の交通系ICカード「悠遊カード」を購入して五百台湾元分をチャージした。コンビニの商品棚を見ると、日本でも馴染みのデザインの飲料や菓子が並んでいる。書き文字は繁体字で、日本で使われる漢字の旧字体だ。文字でほぼ意味が通じるのはありがたい。地下鉄駅は新しく、日本のように電光表示で現在地と到着時刻が表示されている。駅の作りは現代的で、車輌とホームが完全にガラスで仕切られており、転落事故が起きにくい構造だ。

 地下鉄に乗り込むと、幸い座席に座ることができた。車内は空港から市街地へ向かう旅客ですぐに満席になった。長瀬はペットボトルと取り出すと、大友が車内掲示を指差す。

「台湾では車内で飲食禁止なんです」

 小声で教えてくれた。日本よりルールが厳しいことに長瀬は驚く。

 地下鉄車輌は高架をひた走る。外はすでに暗く、高層ビルのネオンが車窓を流れてゆく。終点の台北駅に到着し、別路線の地下鉄に乗り換えて到着したのは龍山寺駅だ。駅を出てアーケードを通り、雑居ビルの狭いエレベーターに乗る。

 どこへ連れていくのかと思いきや、エレベーターが開くとホテルのフロントがあった。ピンク色のTシャツに短パンのラフな格好の若い女性にパスポートを見せてチェックインを済ませる。

「部屋に荷物を置いたら食事に出ましょう」

 ここは大友の親戚がやっているホテルで、閑散期のため格安で宿泊させてくれるという。築年数はかなり年季が入っているが、室内は清潔で掃除が行き届いていることにほっとする。全面ガラス張りのバスルームがまるで場末のラブホテルで、長瀬は思わず苦笑した。

「少し歩けば観光夜市があります」

 ホテルを出て大通りを歩いてみると、繁体字の看板が並ぶ雑然とした街の雰囲気が蒲田の繁華街に似ており、長瀬はどことなく親しみを感じる。

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