3-8

「おまたせやで」

 伊原が扉を開けて入ってきた。手には駅からここに来るまでに見つけた和菓子店で買ってきたどら焼を持っている。ダークグリーンのペイズリーの派手な柄シャツに黒のパンツ、シャツの裾からはスカルのバックルが覗いている。

「こちら、伊原さん。こちらは台湾から来た大友さん。日本語はとても上手だよ」

「伊原です。この度はご愁傷様です」

 伊原は麗子殺害事件を知っていたようで、姿勢を正して大友に頭を下げる。

「妹さんは大丈夫か、長瀬くん」

「ええ、お陰様で」

 伊原は大股開きで丸太の椅子に腰掛け、長瀬と大友に買ってきたどら焼を勧める。大友は新しい茶葉を淹れて急須に湯を注ぐ。本格的な凍頂烏龍茶を初めて飲んだ伊原はいたく感動し、しきりに茶芸と茶の味を褒めている。

「今日、天道聖媽会本部に行ってきた」

「え、やっぱり乗り込んできたんですね」

 長瀬は驚きながらも伊原ならやりかねないと思っていた。

「四階にな、行ってみたんや。そしたらきっしょい虫やら蛇やらぎょうさん飼うとった。それに、五階の祭壇のところに人形の木札が置いてあった。それ別の部屋行ったら燃やしよって、ほんまめっちゃヤバい」

「ちょっと、落ち着いてください伊原さん」

 興奮気味に捲し立てる伊原の話はあまりに情報過多で、長瀬は混乱する。茶を飲みながら静かに聞き入っていた大友が口を開いた。

「その生き物たちは蠱毒に使われていると考えて間違いないでしょう。人型の木札は形代かたしろといって、蠱術の儀式に使われる道具です。真っ黒になった木札は呪いが成就した後に護摩壇で祈祷しながら焼却している。それにより、蠱呪返しを防いでいるのです」

 大友の明瞭な説明で長瀬は伊原の話が整理できた。大量の生物を壷に入れて殺し合いをさせ、最後に残った一匹の血に対象の名前と生年月日を記した形代を漬ける。それが蠱毒の呪法だという。天道聖媽会に物的証拠が揃ったことになる。

「せや、これ再生できるか」

 伊原が本殿に取り付けていた隠しカメラを取り出す。大友がスーツケースからノートパソコンを持ってきた。マイクロSDカードを読ませて画像を再生する。動きや音が生じると自動的に録画される仕組みらしい。蝋燭の明かりを灯した本堂でスーツ姿の中年男が畳の上に正座している。

「浅野と申します。お願いします、この男が心底憎い。この世から消してください」

 衣擦れの音に被って聞こえづらいが、男は不安な依頼を口にしている。

「岩谷剛史、奴は周囲の人間を利用するだけして蹴落とし、のし上がってきた。来年度の役員有力候補として名前が挙がっている。あんな奴がさらに昇進するなんて許せない」

 浅野は血を吐くような積年の恨みを吐露している。そして、バッグの中から震える手で分厚い封筒を取りだし、三宝に載せた。

「これ、金やとしたら五百はあるで」

 伊原は厚みから金額を言い当てる。

「わかりました。媽祖様は必ずやあなたを救うでしょう。さあ、この札にその者の名前と生年を記しなさい。間違えては効果がありません」

 この声は槙尾竜仙だ。盆に用意された硯と筆で男は人型の木札に何やら書いている。緊張しているのか、その手は震えている。竜仙は木札を受け取り、三宝に載せて恭しく媽祖観音の前に掲げる。

「願いは成就するであろう。浅野さん、これからも信仰に励みなさい」

「ありがとうございます、ありがとうございます」

 浅野は畳にはげ上がった頭を擦り付けて何度も礼を言う。画面は暗くなり、そこで動画は切れた。

「岩谷剛史って、まさか」

 長瀬はスマートフォンでネットニュースを確認する。新橋のオフィスビルから転落した会社員の名と一致する。岩谷は竜仙の蠱術によって殺害されたのだ。長瀬と伊原は顔を見合わせる。大友も画面を見つめて唇を引き結んでいる。

「姉貴は本部におった。理由があって外に出られんのかもしれん」

 伊原は焦燥に奥歯をギリと噛みしめる。梨沙が狂言で自分を退けようとした理由が分かった。それはきっと弟を守るためだ。竜仙が蠱術師であり、金で人を呪い殺すような危険人物だと判明したからには姉を助け出さねば。

 伊原は茶菓子で出された黒豆を口に放り込む。かみ砕くうちにみるみる渋い顔になっていく。

「なんやこの豆、えろう苦いな」

 その言葉を聞いた大友は顔色を変え、椅子を倒して立ち上がる。丸太の転がる大きな音がして、長瀬は驚いて顔を上げる。同時にパソコン画面がほの明るくなった。

「人を殺すことを祈念しても、直接手を下していない。殺人罪に問えず、警察も手出しできない。知っているか、これは不能犯だ。いくら調べても無駄だよ」

 蝋燭の光に照らされた竜仙の顔がアップで映る。揺らめく光がその顔をさらに醜悪に歪めている。明らかに隠しカメラに向かって話しかけている。カメラの設置はバレていたのだ。画面は暗くなり、録画映像の再生は終了した。

「伊原さんは蠱術を掛けられている。その黒豆はただの炒り豆です。苦いはずがありません。呪いに掛かっている者には味がおかしく感じるんです」

 大友の言葉に、伊原は眉を顰める。そして突然咳き込み始めた。咳の勢いは強く、今にも嘔吐しそうなほど苦しそうだ。

「まさか、そんな」

「長瀬さん、手伝って」

 動揺する長瀬に、大友が床に転がってもんどりうつ伊原を押さえつけるよう指示する。伊原の顔は蒼白で、血が出るほど喉を掻きむしっている。大友は棚の奥からガラス瓶を取り出し、直系一センチほどの丸薬を引っ掴んで持ってきた。

「伊原さん、口を開けて」

 大友が無理やり伊原に口を開かせる。伊原は抵抗するが、問答無用で丸薬を三つ放り込んだ。

「苦っが、無理や、めっちゃ苦い」

 涙目の伊原は暴れて丸薬を吐き出そうとする。大柄の伊原を押さえつけるのに長瀬は必死だ。

「四の五の言わず飲み込め、伊原」

「長瀬さん、鼻を」

「わかった」

 大友に言われて、長瀬は羽交い締めをしたまま伊原の鼻を摘まむ。只でさえ呼吸苦の伊原は口をぱくぱくさせて駄々っ子のように脚をばたつかせている。大友が湯の入った鉄瓶に茶葉を投入し、それを伊原の口に注ぐ。

「熱っ、熱っ、火傷するっ、うぐぐっ」

 大友は容赦せず、シャツが濡れるのも構わず鉄瓶を傾け続ける。大量の茶により丸薬が喉の奥に流し込まれる。伊原は長瀬の顔を殴りつけ、大きく痙攣して気絶した。

「伊原、伊原さん大丈夫か」

 長瀬が倒れたまま動かない伊原の身体を揺さぶる。反応がない。大友をみやると真剣な表情で伊原の様子を見守っている。伊原が突然飛び起きる。そして大量の茶を吐き出した。

「ぐえっ、げほっ」

 伊原は激しく咳き込む。喉の奥に何かが詰まっている。一際大きく咳き込んだ。伊原の口から大きな蜂が飛び出した。黄色と黒の禍々しい縞模様、これは雀蜂だ。

「なんじゃこりゃ、げほっ」

 伊原は背中を大きくのけ反らし、さらに嘔吐する。雀蜂がごろごろ飛び出した。羽根を震わせる個体もいるが、吐き出されたときにはほとんど死んでいた。吐き気が収まったときには床の上に三十匹以上の雀蜂の死骸が転がっていた。

「お前らは鬼か」

 伊原は号泣しながら激怒して長瀬の襟元を掴む。元気を取り戻した伊原に長瀬は大きな安堵の溜息をつく。

「お前は生きてる。大友はお前を助けてくれたんだ」

 伊原はひとつ深呼吸をして長瀬から手を放した。足元に転がる死骸を見下ろし、血の気が一気に引くのを感じた。

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