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 奉仕活動の帰り、伊原に誘われて蒲田の中華料理店「你好」へやって来た。蒲田の羽根つき餃子にすっかりハマったようだ。羽根つき餃子御三家を制覇したいと意気込んでいる。

「しかし、後味悪いな」

 伊原は大ジョッキの生ビールを半分飲み干し、パーラメントに火を点ける。

「泣いてた渡辺って子は新宿のホストに入れあげていた子ですね」

「竜仙のせいで死んだってどういうことや」

 長瀬は無意識に鶏の唐揚げにレモンを搾ろうとする。伊原は瞬時にその手を払いのける。

「お前、たいがいにせえよ」

「な、何ですか」

「唐揚げにレモンかける前に言えよ、ホンマ常識ないんちゃうか」

 恐ろしい剣幕で激怒する伊原を見て、店員が小分けの皿を差し出した。伊原はタルタルソースをたっぷりつけた唐揚げを頬張ってご満悦だ。

「で、竜仙は殺したんか」

「竜仙が蠱術師だとしたら、可能性はあると思います」

「蠱毒という呪いで人を殺したかて、直接手を下してないなら殺人罪に問うのは難しいな」

 伊原は煙草を吹かしながら眉根に深い皺を刻む。

「丑の刻参りをして、対象が死んだとしても罪に問われないのと同じですよね」

「せやな、不能犯ちゅうやつや」

「不能犯って、意図してある行為を実行しても、行為からその結果の発生が絶対に不可能な場合のことですよね。つまり、呪いがその最たるものってこと」

「よう知っとるやないか、長瀬くん」

「これでもライターなんで、雑学は一通り」

 伊原に褒められても嬉しくないのは何故だろう。長瀬は生ぬるくなったビールを飲み干す。

「五寸釘を本人の額に刺すか、喉が詰まるほど大量の虫を飲ませるか。なんにせよ、現実的ではないな」

 伊原は羽根つき餃子を切り分ける手を止めた。

「あそこ怪しい薬をぎょうさん売ってたやろ、それ飲んだら腹に虫が湧くんとちゃうか」

「漢方薬でそんなことになりますか」

 長瀬は呆れた顔で伊原を見据える。

「ほんのアメリカンジョークや。それよりこれ見てみ、俺の今日の収穫や」

 伊原がスマートフォンをテーブルに置く。画面は薄暗く、何が映っているのかわからない。

「なんですか、これ」

「ただで雑巾掛けしてたんとちゃうで。これな、カメラ映像や。五階の本堂に仕掛けてきた」

 たしかに、よく見ればあの畳張りの本堂だ。本尊側から部屋を見渡すアングルになっている。本尊の前に陳列してあった神像のひとつに隠したのだという。器用なものだと感心するが、これはどう見ても盗撮用カメラだ。普段伊原が何をやっているか想像に難くない。

「そんな目で見んな。俺はいかがわしいことはしてへん」

 軽蔑の意図が顔に出ていたらしい。伊原の弁明を聞き流しながら長瀬はポケットからUSBメモリを取りだした。

「俺もお土産がありますよ。これ、信者のデータベースです。伊原さんのお姉さんの名前があるかもしれません」

「おお、やるやないか長瀬くん」

 会報発送をしていた会議室でパソコンの不具合を直す振りをしてUSBメモリで情報を抜き取ったのだ。

「本部で姉貴の姿を探してたけど、見当たらん。できれば無関係であって欲しい」

「帰ったらすぐにリストを確認してお知らせしますよ」

 伊原はアルコールがまわったのか涙ぐむ。長瀬のポケットのスマートフォンが振動している。画面を見ると、妹の知佳からの着信だ。

「もしもし」

「お兄ちゃん、私もう嫌、もう無理」

「どうした、何があった」

 知佳は嗚咽していた。只ならぬ気配に長瀬は知佳の名前を呼ぶ。

「ごめんね、お兄ちゃん」

 掠れるような声でそれだけ言って通話が切れた。知佳に何か起きている。長瀬は身体から一気に血の気が引くのを感じた。彼女は立ち直れたはずだ、それなのに何故。

「どないした」

「妹が」

 長瀬は絞り出すように呟く。悪い予感が脳裏を駆け巡り、動悸が激しくなる。動きたいのに身体が硬直して動けない。

「すんません、お勘定」

 伊原はレジに一万円札を置いて長瀬の腕を掴み、店を出た。

「しっかりせえ、長瀬。妹さんはどこにおる」

「川崎のアパート。そうだ、電車でひと駅だから」

 よろめきながらJR駅に向かおうとする長瀬を引き留め、伊原はすぐさま大通りでタクシーを拾う。顔面蒼白の長瀬を押し込み、自分も隣に乗り込んだ。

「長瀬、住所説明できるか」

「あ、ああ」

 長瀬はタクシー運転手に妹のアパートの場所を告げた。川崎駅から徒歩二十五分はかかる。タクシーで向かったのは正解だった。伊原が寄越したミネラルウォーターを飲んで少し頭がすっきりしてきた。車窓を目映いヘッドライトが流れてゆく。

「俺は、妹を棄てて実家から逃げ出したんだ。妹は母の妄信の犠牲になった。妹が母といてくれたおかげで俺は自由になれた」

 長瀬は膝の上に突っ伏して頭を掻きむしる。

 大学入学と同時に実家を出て一人暮らしを始めた。それは母から逃げるためだった。しかし、まだ中学生だった知佳は自分の意思で逃げることはできない。母に信仰を強要され、ときに虐待を受けて過酷な思春期を過ごした。

 知佳を犠牲にした、そのことは長瀬の心に錆びた刃のように突き刺さる。婚約が破談になり不幸のどん底に落ちたことで、知佳は神世透光教団の教えが間違っていると気付いた。自分の力で立ち直った知佳は強い、長瀬はそう信じようとしていた。

「知佳に何かあったら、俺は」

 二度と立ち直れない。長瀬は突っ伏したまま肩を震わせる。

「妹さんはお前に助けを求めたんや。大丈夫、お前が来るのを待ってる」

 伊原に慰められるとは。長瀬は涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を上げて伊原を見据える。伊原に渡されたティッシュで思い切り鼻をかんだ。知佳のアパートに到着し、長瀬はタクシーを飛び出した。部屋は二〇三号室だ。長瀬は階段を駆け上がり、ドアの前に立つ。呼吸を整えてノックをした。返事はない。部屋にいないのだろうか、明かりもついていない。もう一度大きくノックする。やはり返事はない。

「合鍵はあらへんのか」

「妹の部屋の合鍵持ってたらキモいでしょ」

「おお、軽口叩ける余裕が出てきたな」

 伊原はにんまり笑う。

「この部屋で間違いないな」

 そうだ、と返事をするや否や、伊原はドアを蹴破った。派手な音を立ててドアが開く。長瀬は驚いたが、すぐに部屋に駆け込んで明かりをつけた。シフォンベージュのカーディガンを羽織った知佳がテーブルに突っ伏しているのが見えた。心臓が大きく跳ねる。

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