第三章

3-1

 東品川の天道聖媽会本部ビルでは月に二度、信者たちが集まり奉仕活動として会の運営に関わる事務処理やビル内の清掃を行う。紫色の輪袈裟を着用しているのは上位の幹部なのだろう、各持ち場で指揮を執っている。

 事務仕事は主に女性で、会報の印刷や折り込み、封入、発送作業など広報に関わることだ。若い女性がパソコンで信者のデータベースから宛名シールを作成している。広い会議室を使って山積みの書類を流れ作業で処理している。本部ビルを開放して行うイベントの垂れ幕や飾りリボンを作るチームもいる。幅広い年齢層の女性たちが和気あいあいと歓談しながら作業をしている。

「交流の場を提供していますね。ここもある意味地域のコミュニティとしての役割を担っているということか」

 長瀬は進んで役割を持とうとする生き生きした信者たちを見て複雑な気分になる。母も神世透光教団の中でこうして役割を担うことが生きがいになっていたのだろう。長瀬からすれば、日本の悪癖であるやりがい搾取の無償奉仕に他ならない。

「末端は良いように使われとる。どこの組織も同じや」

 伊原も気に入らないらしく、偽善だと吐き捨てる。今日はあまり目立たないようにこの男なりに気を遣ったらしく、黒のストライプのシャツブラウスに白のTシャツを着込んでいる。パンツは黒のスラックス、どこかで自己主張しないと気が済まないのか、バックルは真鍮のバッファロースカルだ。隠しきれないチンピラの風格がある。

「男性陣は五階本殿の掃除をお手伝いお願いします」

 青色の輪袈裟の中年女性が声を張り上げる。役割に漏れて油を売っているだけのうだつの上がらない中年男たちがだらだらとエレベーターに乗り込んでいく。

「ほな、五階いこか」

 伊原は階段に足を掛ける。

「え、五階まで階段ですか」

「なんや、文句あるんか。君はヒョロいんじゃ。運動せえ、長瀬くん」

 伊原は長瀬の背中を叩く。長瀬は仕方無く階段を使うことにした。 二階、三階はイベントでも使っていた結婚式場や会議室のあるフロアだ。運動不足は図星で、四階に差し掛かる頃には長瀬は息が上がっていた。

「伊原さん、何か運動してるんですか」

 チンピラのくせに体力がゴリラ並みだ。伊原の呼吸は一切乱れてない。

「普段仕事で走り回ってるからな、鍛え方が違う。そんなことより、見てみ」

 四階への通路にポールが立っており、立入禁止と書かれている。通路は明かりもついておらず、奥は薄暗い。伊原が鼻をひくつかせる。

「このフロアだけ匂いが違う」

「そういえば」

 言われて気が付いた。他の会は線香の匂いが染みついているが、ここは脱臭材のケミカルな匂いがする。

「他の階にはない特別な場所ということや。深入りはやめとこ」

 伊原が視線で天井の一角を示す。そこには防犯カメラが設置されていた。五階に上がると特別拝観で入った本尊のある部屋が開放されていた。中央の祭壇には御簾が降りており、媽祖観音の姿は隠されている。

「君たちは畳をお願いね」

 頭頂部がはげ上がった眼鏡の中年男性が雑巾を手渡す。長瀬は二枚受け取って伊原に手渡す。伊原は何で俺が、という顔をしているが長瀬は無視して畳の雑巾掛けを始めた。百畳はあるだろうか、端から端まで拭き上げるには相当な重労働だ。畳拭きを任されたのは二人だけのようだ。

「若い人がいると助かるね」

 口だけの役立たずの中年連中は羽ぼうきで御簾の埃を叩いている。潜入調査のはずが、いいように使われて畳の雑巾掛けとは。

 長瀬は三往復で息切れして腰をさする。振り向けば、伊原が猛烈な勢いで雑巾掛けをしている。完成されたフォルムは寺の小坊主のようだ。きちんと畳の目に沿って拭き進み、汚れがあれば立ち止まって丁寧に拭き上げている。

「ほれ、あんたも頑張らんと」

 老人に発破をかけられて長瀬は我に返る。悲鳴を上げる腰をさすりながらしゃがみこんで畳を拭いていく。伊原の働きで畳拭きは驚くほど早く終わった。

「いやあ、綺麗になった。媽祖様も喜んどる」

「掃除をすると心が洗われますわ」

 老人におだてられて気を良くした伊原は祭壇周りも丁寧に拭き上げ始める。階下からお茶が入ったと声が掛かったので、皆ぞろぞろエレベーターで一階へ降りて行く。

 一階ロビーで女性陣がポットのお茶と茶菓子を配布している。小学生くらいの子供たちはお菓子の詰め合わせをもらって喜んでいる。馴染みの信者同士ソファに座って歓談が始まった。

 ビル内の捜索をしようにも、防犯カメラが設置してあるなら下手にかぎ回ることはできない。長瀬はただ働きの徒労感でソファにもたれ込む。

「返して、返してよ」

 ロビーで甲高い叫び声が聞こえた。白いフリルとリボンのついたドレス、白いタイツに黒のエナメル靴を履いた女が半狂乱で喚いている。その格好からまだ若いのだろうが髪は乾燥して乱れ、目は落ちくぼんで化粧で隠しきれない深い皺が刻まれた顔は五十代にも見えた。

「どうしました」

「大丈夫ですか」

 驚いた信者たちがドレスの女に駆け寄る。

「返して、こんなはずじゃなかったの。あたしの塔夜くんを返してよ」

 女はなり振り構わず絨毯にしゃがみ込んで泣きじゃくり始めた。塔夜という名前を聞いて、長瀬は女に注目する。塔夜はムカデを大量に吐き出して死んだ新宿のレディシンデレラのホストだ。

「あの子、また来てるわ」

「竜仙様のせいで恋人が死んだって騒いで、迷惑なのよね」

「彼女、何かあったんですか」

 長瀬は隣で陰口を交す女性信者たちにすかさず声をかける。

「ホスト遊びに入れあげて棄てられたって座談会でいつも泣いてたのよ。彼女を助けようと竜仙様が特別にお話を聞いてくださったそうよ。そしたら、ホストが死んだらしいじゃない。それで逆恨みしてああやって押しかけて来るのよ」

「渡辺さん、落ち着いて。あちらでお話を聞きましょう」

 マスカラが溶けて黒い涙を流す壮絶な姿に周囲の信者たちは憐れみの視線を向ける。渡辺は紫色の輪袈裟をかけた幹部信者に両脇を抱えられてエレベーターホールへ連れていかれた。その様子を伊原は鋭い視線で追う。

「彼女、外資系のOLだったそうよ」

「可愛そうにねえ。ホスト遊びで人生を棒に振っちゃって」

 間違いない、彼女は渡辺万莉絵だ。やはり天道聖媽会に関わりがあったのだ。

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