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鳴美は伊原にお気に入りのホストが死んだこと、ホストに執着していた女の一人が天道聖媽会の熱心な信者だったことから長瀬に調査を依頼していることを話した。
「ほう、そういうことかいな。おもろいやないか」
伊原は作り笑顔で長瀬の背中を叩く。相当な馬鹿力だ。
「そういうことははよ言わんかい」
「いや、言う必要ないと思って」
長瀬は抗議する。それに探偵ではないが、人の依頼をぺらぺら喋るのは道理にそぐわない。ここで鳴美本人が説明してくれたのはやりやすい。
「証拠は無いが、天道聖媽会の信者が恨んでいる人間が二人怪死したのは確かというわけや」
「長瀬くん、ごめんね。もういいわ、もともと興味本位だったし」
さすがに危険だと察したのか、鳴美は天道聖媽会の調査依頼を取り下げるという。これからデートがあるから、とアラスカを飲み干してたまゆらを出て行った。
「二つの事件は蠱毒の呪法を模しているように思えるんですよ」
「こどくだって」
伊原は聞き慣れない言葉に怪訝な顔を向ける。長瀬は蠱毒の概要を話すと、伊原はまんざらでもない様子で聞き入っている。
「俺はオカルトを信じるほうやないけど、現場の異様な状況と被害者に恨みを持つのが同じ宗教の信者というのが気になる」
伊原はパーラメントの煙を吐き出し、灰を落とす。
「天道聖媽会が信者の依頼で人を呪い殺すような危険な団体なら、姉貴を早く見つけて説得せなあかん」
「警察に頼めないんですか」
「行方不明者として届け出は受理されたけど、どうせ本気で捜索はされへん。それに、事件のことも天道聖媽会が怪しいとして、確実な裏付けを取らんと動けんはずや」
「週末、本部で奉仕活動がありますよね。そこで本部ビルを調べようと思っています」
鳴美からの日当は無くなるが、天道聖媽会にはライターとして純粋に興味が沸いている。直接手を下しているのか、蠱毒の呪法なのか、どちらにしても信者の負の感情を煽って被害者を殺害しているなら看過できるものではない。長瀬は燃え尽きた煙草を灰皿に押しつける。
「それはええ案や。俺も行くで」
伊原も乗り気になっている。横柄な輩だが、姉を助けたいという気持ちには同情する。長瀬も神世透光教団に家族を奪われた経験からその悔しさは痛い程に分かる。
「で、マジすごかったんだよ。路地にさ、救急車が何台も停まって」
「狭い会場からどんどん女の子が運ばれてきてさ」
背後のテーブルで三人の若者が興奮気味に盛り上がっている。
「それって、渋谷スイートプラネットの事件だろ」
「たまたま通りがかりでさ、顔が見えちまったけど真っ青だったよ」
彼らが話しているのは昨夜渋谷のライブハウスで起きた集団ヒステリー事件だ。若い女性に人気のバンドの講演中に会場にいた九十三名が痙攣や呼吸困難の発作を起した。狭い会場で定員を超える客を入れたことで換気が追いつかなかったこと、客を激しく煽るバンドのパフォーマンスが原因ということになっている。
「ライブハウスでヤクを配布していたって噂もあるな」
若者たちが話す事件のことを聞いていた伊原がぼやく。
「教祖が買えと言うなら買うんでしょうね」
アイドルやバンドのおっかけもある種宗教に似ているのかもしれない、と長瀬は思う。
「俺、明日時間あるんで蠱毒について調べてみます」
蠱毒についてネット記事に書いたものの、ネット辞書で調べられる程度の上辺の知識しかない。書籍を当たってみることにした。
九月に入ると、気付けば蝉の声も聞こえなくなった。空は茫洋と青く澄み渡り、秋を思わせるちぎれ雲が流れてゆく。長瀬は地下鉄神保町駅の階段を上がり、路地裏の昭和の雰囲気を残すレトロな喫茶店でナポリタンを注文する。ケチャップたっぷりの懐かしい味だ。チーズをしこたまかけて食べるのが好きだ。
神保町は本の街で書店や古本屋が数多く集う。中国専門書店もいくつかあり、マニアックな書籍を探すには最適だ。週末とあって秋の読書イベントを開催しているようで、書籍のワゴン販売や青空読書会などで人出が多い。
すずらん通りに面した中国系書籍の品揃えが良い老舗書店に足を運び、蠱毒に関する書籍はあるか店員に尋ねてみた。種類が少ないようで、すぐに棚から一冊を出してくれた。蠱毒の歴史から各地に残る伝承、種類までまとめてある。知識としては充分だが、他にも探しておきたい。
「この本が一番詳しいです。あとはフィクションで題材にされているとか、この本を参考に書かれたオカルト系の本になります」
「ありがとうございます。輸入書とか原書とか、他にありませんか」
「そうですね、うちではこの本しか。そうだ、
この近くです、と店員は地図を書いてくれた。ここから三ブロック先の裏路地に面した店だ。長瀬は勧められた書籍を購入し、店を出た。すずらん通りを歩いて目印のタイ料理の店の角を曲がると、春眠堂の看板が見えた。
軒先のワゴンに華やかな中華風の雑貨が売られている。煤けたガラス扉を押して店内に入ると、書棚は壁面と通路に二列、入り口手前にレジカウンター、その奥には大きな杉の一枚板を使ったテーブルと丸太を切り出した椅子がある。テーブルの上に置かれた丸い鉄瓶からは白い湯気が立ち上っていた。
「いらっしゃい」
店の奥からのれんをくぐってラメの入った黒いシャツを着た女性が出てきた。見た目五十代、笑い皺が刻まれた品の良い雰囲気だ。
「どうぞ、ゆっくり見ていってください」
「ありがとうございます」
平台には最近流行の中華ドラマ雑誌や中国作家のベストセラー小説の翻訳版が置かれている。書棚はほとんど原書で、台湾書籍のコーナーが充実しているように思えた。面積はそれほど広くはないが、店主に尋ねるのが早そうだ。
「すみません、蠱毒に関する本を探しています」
「うんと、日本語の読みやすい本があったと思うけど、うちには置いてないね」
長瀬は先ほどの店で購入した本を出して店主に表紙を見せる。
「そう、それね」
やはりこの本が一番情報がまとまっているということだ。
「お茶でもいかが」
「ご馳走になります」
長瀬はもてなしを受けることにして丸太の椅子に腰掛ける。店主は棚から茶葉を取り出し、茶器の用意を始めた。店では茶器や茶葉も販売しているようだ。
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