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 蒲田は餃子の街と呼ばれている。特に羽根つき餃子が有名で、「你好」「歓迎」「金春」という三つの名店が蒲田餃子御三家と呼ばれている。羽根つき餃子は「你好」創業者が中国大連の焼肉饅頭をヒントに考案したとされ、人気を博したことで一気に広まったという。

「東京にもこんな美味いもんがあるとはのう」

 武野は上機嫌でジョッキを煽る。目の前には名物羽根つき餃子と水餃子、炒飯が並ぶ。店は満員で順番待ちの列も出来ている。入れ替わり立ち替わりフードデリバリーの配達員が出入りして大盛況だ。

「気に入っていただけて良かったです」

 長瀬も控えめにジョッキを掲げる。

 土地勘が無いからと武野に店の選定を押しつけられたので、長瀬の帰り道でもある蒲田駅前の餃子店「歓迎」を案内することにした。店の気取らない明るい雰囲気も気に入ったようで、武野は上機嫌だ。羽根つき餃子は看板メニューで肉汁たっぷり、皮はもちもちでビールと相性がいい。

「それでな、浜田君」

 テーブルに空のジョッキを置き、武野は長瀬を見据えて不敵な笑みを浮かべる。この男の眼光は妙に鋭く、どうも苦手だ。心の奥底まで見透かされるような気になり、長瀬は思わず目を逸らす。

「君、本気で天道聖媽会に入会する気あるんかいな」

「えっ」

 何故そんなことを聞くのか、質問の意味が分からず長瀬は困惑する。

「君は宗教に縋るほど追い詰められてるようには見えへん。それに、ずっと冷静に周りを観察してたやろ」

 武野は長瀬の目の前に人指し指を突きつける。

「ちゃんと入会書類は出しましたよ」

「それは見てたよ、浜野くん」

「武野さんだって、入会したじゃないですか」

 この男は信仰する宗教は俺教だと言いかねない。それほどに不遜だ。長瀬は上目遣いで武野を見やる。

「浜田も偽名やろ」

 そう言えば、さっきは浜野と呼ばれた。場の雰囲気とアルコールがまわって油断していた。長瀬は小さく舌打ちする。

「お互い腹割って話そうやないか」

 武野の迫力はとてもカタギには見えない。長瀬は唇を引き結んで息を呑む。

「俺は伊原や。伊原将希いはらまさき、三十二歳、地元は大阪。家族を探してここに来た」

 武野も偽名を使っていたことに驚いた。お仕事は何ですか、とは聞けなかった。この雰囲気ではまともな仕事ではないだろう。首を突っ込みすぎない方がいい。

「あ、おねえさんビール、こっちのあんちゃんにも」

 明らかにおばちゃんだが、おねえさんと呼ばれて店員は上機嫌で返事をする。すぐにキンキンに冷えたジョッキがテーブルに運ばれてくる。

「長瀬孝明です。フリーライターをしています」

「ほほう、おもろいな。宗教団体に潜入調査か、カッコええやんか」

「ええ、まあそんなところです。新興宗教の集会潜入記事は結構人気があるんです」

 新宿ホスト怪死事件に絡んだ調査だとは言う必要はないだろう。伊原はおかしくてたまらないという調子で笑っていたが次の瞬間、真顔に戻る。

「俺は姉貴を探してる。大学出て東京に移り住んで仕事もこっちやねん。順調そうやったけど、彼氏に振られたいうて落ち込んでたかと思たらなんや新興宗教に入れ込んでもうて、連絡がつかへん」

 それが天道聖媽会だという。やはり、心の闇を抱える人間に取り入って搾取する構図は同じなのか。長瀬は悲痛な面持ちで伊原の話を聞いている。

「ちょうど仕事が休みで、こっち来て姉貴に会って説得しよ思うてな」

 天道聖媽会の本部ビルは元ホテルだ。宿泊施設にもなっており幹部クラスは泊まり込みで本部の仕事や竜仙の身の回りの世話をするようになっているらしい。

「姉貴の名前を出そか思たけど、あの雰囲気や。かなりヤバい」

「そうですね、下手に身内だと分かれば連れ戻されないように隠してしまう可能性もありますよね」

 伊原は炒飯を掻き込みながら何度も頷く。

「それにな、ほんま胡散臭いねん。気付いたか、長瀬くん。座談会のとき、なんや煙たくなかったか」

「建物内は線香の匂いが充満してますよね」

 五階にあった祭壇意外にもホール内に小さな祭壇が置かれているのを見た。香炉から線香の煙が絶えず立ち上っていた。

「あれはクサや」

「え、大麻ですか」

「せや、俺は仕事柄匂いが分かる」

 伊原は得意げに口角を上げる。やはりこの男はヤクザか半グレか、もしや麻薬の売人かもしれない。長瀬は嫌悪感をぐっと押し留める。

「おそらく高揚感を煽るアッパー系の作用がある。派手にラリったらあかんから気付かん程度に燃やしとるはずや」

 座談会の会場を出て新鮮な空気を吸い込んだとき、気分がすっきりしたことを思い出す。周囲の参加者たちが興奮状態で話をしていたのは麻薬の作用で、その高揚感が忘れられず座談会に参加を続けさせるという効果はある。伊原の言うことはあながち間違いではないかもしれない。

「天道聖媽会は危険ですね。特別拝観で集めている寄付金の額も異常だ」

「せやろ、長丁場になりそうや。長瀬くんいうたな、調査協力しようや」

 伊原の話に嘘は無さそうだ。仮に嘘だとしても天道聖媽会の闇を調べることについては協力体制を取っても損はない。長瀬は伊原とLINEを交換した。付き合わせたからと「歓迎」の支払いは伊原が済ませた。


 湿気を含んだ黒雲が空を覆い始めたのは夕方前のことだった。雷鳴が響いたかと思うと、激しい雨を降らせ始めた。窓を叩く雨音を聞きながら河井有紀子は明かりもつけずリビングのソファに座り、電源の入っていないテレビの黒い画面を見つめている。

 更年期に差し掛かり、身体の調子が優れない。それでも部屋に引き籠もる息子の卓也のために食事を作らなければならない。今朝、部屋の前にパジャマと下着が脱ぎ捨ててあった。洗濯して庭に干したが、取り込む前に雨に濡れてしまった。

 卓也は優秀な子だった。習字に英会話にスイミング、習い事もたくさんさせた。中学校でも成績はトップクラスで地元の有名私立高校に難なく入学できた。そこでは卓也は平凡だった。それまで失敗なく進んできたため、努力することをしなかった。成績は見る間に下がり始め、一年生の三学期にはすっかり落ちこぼれとなった。塾に行かせても夜遊びばかり覚えて成績は一向に伸びない。

「もっと頑張りなさい、あなたは出来る子なんだから」

 有紀子は誠心誠意で息子を激励した。自分の子は優秀なのだ、夫のように良い大学を出て優良企業に入って幸せな結婚をする、そう信じていた。夫はほとんど家に帰らず、家で過ごす時間の長かった有紀子の生きがいは卓也を良い大学に入れることだった。

 卓也の成績は低空飛行のまま、三年生を迎えた。担任にも志望校は難しいのでランクを落とすように言われたが、有紀子は卓也の可能性を信じた。むろん奇跡は起きず、大学受験に失敗。

「あの子には失望したわ」

 有紀子が久しぶりに帰宅した夫に漏らした言葉を卓也は耳にしてしまった。それ以来、自室にひきこもりとなった。部屋の前で有紀子は何度も謝った。

「もう大学なんていいから出てきて、お願い」

 ドアに縋りついて泣いた。卓也は返事をしなかった。

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