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「俺も媽祖様見学したい。ええかな」

 佐野と長瀬の間に割り込んできたのは武野だ。佐野は一瞬眉を顰めたが、瞬時に愛想笑いになる。

「浜田さんは入会前提でご案内させてもらっています」

「ほな、俺も」

 武野はポケットから茶封筒を取りだし、佐野に手渡す。中身を確認すると入会書類だった。あまりの意外さに長瀬は武野を見やる。武野は口角を上げてにんまり微笑む。見るからに胡散臭い。宗教に頼るような人生を生きているようにはとても思えない。

「確認しました。お預かりします」

 自分のテーブルから入会者が二名出たことで佐野は嬉しそうだ。インセンティブがあるのかもしれない。それまで勧誘候補から完全に外していた武野を鼻つまみ者のようにあしらっていたが、佐野は態度を翻して丁寧に接し始めた。

 エレベーターの順番が回ってきた。他の信者たちとともに乗り込む。佐野が五階のボタンを押す。

「どうぞ、こちらへ」

 五階に到着すると正面の大ホールの観音開きの扉が開放されていた。線香の匂いが鼻をつく。廊下の鮮やかな赤い絨毯は貼り直したばかりのようだ。ホールに入る前に受け付けがあり、記帳用のノートや線香が置かれている。線香の傍に募金箱があり、信者たちが投入しているのは小銭ではなく高額紙幣だ。

「手持ちがあまり無くて」

 こんなところで金を使いたくはない。戸惑う長瀬に佐野はお気持ちですから、と微笑む。長瀬は財布から五百円玉を取り出し、募金箱に入れた。他の信者に倣い、線香を九本手にする。武野がどうするか見ていると、ポケットから取りだした五円玉を投げ入れて平然としている。

「昔からご縁がありますように、いうやろ」

「ええ、そうですね」

 これがこの男のお気持ちか、長瀬は負けた気がした。

 入り口では数珠や教本の販売も行われており、盛況だ。値札を見るとゼロがひとつ多いとまではいかないが、浅草で投げ売りされているような数珠に結構な値段がついている。槙尾竜仙が媽祖に祈祷したプレミアがついているらしい。僧侶が首から掛けている輪袈裟わげさも販売している。

「輪袈裟には階級で色が違うんですよ。紫が一番高位で許された色しか着用してはいけません」

 佐野がバッグから恭しく取りだしたのは黄色の輪袈裟だ。販売ブースの説明を見ると、ちょうど中間の位だった。

「どうすれば位があがるんや」

「徳を積めば良いんです」

 それは金、と言い換えられるだろう。武野は面白そうににやにや笑っている。

 ホールの中は照明が落とされ、正面の祭壇には無数の蝋燭が揺れていた。強い線香の匂いは噎せ返るほどだ。窓は壁紙で封じられて外の光は入らない。祭壇を見て長瀬は目を見開く。

 龍が絡みつく柱に天井から吊された赤、黄、緑、青の原色の布と金色の天蓋。豪奢な装飾の台座に媽祖様が鎮座している。台座を囲むように金色の蓮の花が咲き乱れている。媽祖像も金地の西陣織の重厚な着物を纏い、顔は金色の能面のような仮面をつけていた。

「ド派手やの。豊臣秀吉も仰天するで」

「すごいですね」

 さすがの武野も驚いている。長瀬は適当に相づちを打つ。佐野は武野の軽薄な態度が気になるのか、小さく咳払いをした。

「これから竜仙様が読経されます」

 促されて長瀬は座布団に正座した。武野も腰を下ろし、胡座をかく。背後で扉が閉まり、部屋が一層暗くなる。

「竜仙様、入場」

 仰々しい声とともに竜仙が媽祖様の台座の奥から登場した。

「そこから来るんかい」

 武野が小声でつっこむ。

 読経が始まると信者たちが線香を手に祭壇に並び始める。観察していると、まず右の香炉に三本、左の香炉に三本、中央の媽祖像前の香炉に最後の三本を立てて祈りを捧げる。

「まるで葬式の焼香や」

 武野は本気で信者になる気があるのだろうか。追い出されても文句を言えないことばかりほざいている。

「正面は媽祖観音、右に控えるのが千里眼、対になっている左は順風耳じゅんぷうじという神様です」

 線香上げの順番を待つ間、佐野が祭壇に祭られている神について説明する。千里眼は媽祖に仕える神で、その名の通り遠い場所のことが見えたり、これから起きる未来の出来事を予見するという。もとは鬼神だったが、媽祖に調伏されて改心したとされる。順風耳は風に乗ってきたあらゆる音を聞くことができる。つまりは地獄耳だ。媽祖は有能な目と耳を持っているというわけだ。

 四十分は経過しただろうか、ようやく線香上げの順番が回ってきた。まず右の千里眼へ三本、次に左の順風耳へ三本、最後に媽祖観音の前の一番大きな香炉に三本立てた。揺れる蝋燭の光が媽祖観音の金色の仮面を照らし、まるで微かに笑っているように見えて長瀬は背中が粟立つのを感じた。香炉は線香が突き立つ針山のようだ。この間、竜仙は休むことなくかなりの声量で読経し続けていた。

 最後の信者が線香を上げ終わると、竜仙は読経を切り上げて信者たちに一礼して祭壇の奥へ消えていった。ホールの明かりがつくと、信者たちは片付けを始める。緊張が解けた瞬間でもあった。祭壇中央に信者二人がかりで漆塗りの大きな机が設置された。信者たちはこぞって金色の封筒を置いて祈りを捧げている。厚みは人それぞれだ。中には金が入っているに違いない。

「これが今後の予定です。またお会いしましょう」

 佐野は長瀬と武野にチラシを手渡す。そこには座談会や講話などのスケジュールが掲載されていた。佐野は他の信者たちと合流して片付けを始めた。これでようやく開放だ。

 本部ビルを出ると、見上げた空は茜色に染まっていた。入道雲が千切れ飛んで空に溶けてゆく。午後からの座談会に特別拝観と長時間の拘束とアウェイの緊張感でひどく疲れていることに気が付いた。

「浜田さん」

 小走りで東品川駅の改札に向かっていると、背後から声を掛けられた。振り向けば、武野が立っていた。面倒なことになった、一体何の用だ。それが顔に出ていたらしい。

「そんな顔せんといて。あんたとは気が合いそうでな。ちょっと飯でもいかへん」

「いや、この後用事が」

「そんな時間取らせんから、な」

 どうも断らせてもらえそうにないような。押しの強さに負けて、長瀬は初対面の浜田と晩飯を食べることになった。

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