第二章
2-1
日曜日午後。八月も半ばを過ぎたが連日酷暑で、最高気温は体温とほぼ同じだ。澄み渡る青空から陽光が殺人光線のように肌を刺す。
長瀬は東品川にある天道聖媽会本部ビルにやってきた。今日は座談会に参加することになっている。先週の集会は地域との交流も兼ねたもので、奉仕活動の意味合いが強かったように思う。
ロビーのソファに座り、周囲を観察していると顔馴染みの信者が多いようだ。参加が初めてなのか、居心地が悪そうにしている若い女性に常連と思しき二人の中年女性が親しげに声をかけている。彼女は戸惑いながらも笑顔を見せてその輪に入っていく。
長瀬は記入してきた入会申込書を確認する。書類は裏表三枚に渡り、かなり詳細な記載を求められた。名前、生年月日、住所など基本情報はもちろん、家族構成は親兄弟以外の親戚、信仰する宗教、履歴書のような学歴職歴、長所、短所、特技。年収の記載欄まであるのは呆れた。そのあとは個人の性格や価値観を測る心理テストのような項目が並んでいた。
デタラメを考えるにも一苦労だ。書いたプロフィールは記憶しておいた方が良いだろう。スマートフォンで書面の写真を撮影し、保存している。
母もこうした入会申込書を神世透光教団へ提出したのかもしれない。子の個人情報を丸裸にして売り渡す親に寒気を覚えた。
「お集まりください。そろそろお時間です」
大会議室から声がかかった。長瀬も人の流れに乗って会場へ入る。入り口で七番の番号札を渡された。丸テーブルに番号札が立っており、指定の席につくようになっていた。会場内にテーブルは十五席、結婚式場のような雰囲気だ。
「よろしくお願いします。佐野と申します」
五十代くらいの女性が愛想を振りまきながら一人一人声をかけてくる。丸テーブルにはメンバーが六名、佐野はとりまとめ役の信者のようだ。番号札はシャッフルのため性別、年齢もバラバラだ。
女性信者たちが手分けしてワゴンに乗せたお茶を各テーブルへ配布している。濃い茶色のお茶は独特の土臭さがあった。好日薬房で出された高麗人参茶を思い出す。七番テーブルにもポットと人数分の湯飲みが置かれた。佐野と隣の女性が率先してお茶をテーブルのメンバーへ配布する。
マイクの電源が入り、舞台下にいる男がマイクテストを始めた。
「では皆さん、暑い中お集まりいただき、ご苦労さまです。今日は座談会です。皆さんの嬉しかったこと、悲しかったこと、お悩みでも結構です。テーブルについた方は媽祖のご縁で繋がっています。ざっくばらんにお話ください」
そこで主導権がテーブルに移る。
「改めまして、佐野です。天道聖媽会には五年ほどお世話になっています」
佐野は隣の席から右回りに自己紹介をするよう促す。さながらファシリテーターの役割だ。佐野の右隣は江口という四十代半ばの女性で二年越しの信者、隣の山野は六十代男性で妻と共に半年前に入会した。五十代女性河井は三年目だ。しみったれた表情で女性ホルモンが減少しているのか白髪交じりの前髪が心許ない。パサパサの長い髪を後ろにひとつ括りにして黒地の花柄のシャツブラウスを着ている。湯飲みを持つ指には結婚指輪が見えた。
「浜田です。天道聖媽会への入会を考えているのですが、まだ迷っています」
長瀬は照れくさそうに頭をかいてみせる。名乗ったのは入会申込書に書いた偽名だ。
「そうですか、ぜひ考えてくださいね。ここにはお話ができる仲間もいますよ」
佐野が食い気味で長瀬に声をかける。江口と山野もぜひ一緒に、と後押しする。佐野は手元のメモに何やら書き込んでいる。これでロックオンされた。
「武野いいます。いろいろ調べてここに来ました。自分も今迷ってます。」
最後に自己紹介をした男は三十代前半、座る前の立ち姿からすればかなり上背がある。おそらく百八十センチ越え、筋肉の自己主張が強くがっちりした体型だ。眼光が鋭く、テーブルのメンバーは敢えて視線を逸らしている。ベリーショートのウルフカット、後ろを剃り上げたライトツーブロック。ブルー系のドットデザインの派手な柄シャツに黒いジーンズを履いている。胸元にはシルバーのアクセサリが光る。どう見てもこの場にそぐわない。明らかに輩だ。隠しようもない関西訛りを押し殺したしゃべりは迫力がある。
「では、江口さん、山野さん、河井さん、浜田さん、それに武野さんですね。よろしくお願いします」
佐野が場を取り持つ。
「この会ではお互いの話を最後まで聞くこと。どんな話も否定しないこと。喜びや悲しみを分かち合い、互いを称えましょう」
ここに来れば承認欲求を満たされ、自己肯定感が高まるというわけだ。よくある自己啓発セミナーの類いに似ている。ふと視線を感じ、長瀬は隣の武野を横目で見た。武野は長瀬を凝視しながら目を細め、微かに口元を歪めている。長瀬は気付かぬふりをして高麗人参茶を啜った。
「では、私から良いでしょうか」
山野が手を挙げる。山野の話は最近行った川釣りに始まり、虫垂炎で入院して虫垂を切除したこと、そのとき妻の支えに感謝していることなど、日常のとりとめない話題が続く。武野は腕組をしてテーブルの一点を見つめたまま沈黙している。
「では、次の人のお話も聞きましょう。山野さん、奥様に感謝されているのは素晴らしいことですね。では、江口さんどうぞ」
佐野が話を断ち切った。最後まで話を聞くといっても脈絡のない話に終わりはない。彼女はタイムキーパーの役割もこなしている。
江口は楽団に所属しており、秋の演奏会のために練習を頑張っていることを懸命にアピールしていた。
「でも、あまり練習せずにみんなに迷惑をかける人がいて、困っているんです」
それまでの溌剌とした口調がトーンダウンした。大学のサークルでヴァイオリンをやっていた若い女性が音を外すのだと。
「彼女、仕事が忙しくて練習時間が取れないといって。男性は彼女に甘くて、でもあれじゃチケットを買って聴きにくる人に申し訳無いわ」
困ったふうに首を傾げるが、江口は明らかに若いヴァイオリン奏者に不満を持っている。ここで愚痴ることで解決にはならないが、ストレス発散になるのだろう。愚痴はどんどんエスカレートし、佐野が時計を気にし始めた。山野が時折入れるフォローも焼け石に水だ。男性はやっぱり彼女の味方なのよ、とヒートアップしている。長瀬も辟易してとうてい口を挟む気にはなれない。
隣でガタン、と音がした。武野が膝で机を蹴ったのだ。
「ああ、えろうすんません。続けてください」
謝罪の言葉を述べるが、一切悪びれていない。長瀬がテーブル下に視線をやると、武野はまるでドラム奏者のように激しい貧乏揺すりをしていた。
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