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長瀬は好日薬房の店主にもらったチラシの日時に天道聖媽会の本部を訪れた。東品川にある本部ビルは、昭和バブル期に建てられた観光ホテルをリノベーションした五階建ての建物だ。外観を奇抜にペイントしたり派手な垂れ幕を掛けたりすることもなく、端から見ても奇異な様子はない。生け垣の清掃をしていた中年女性が愛想良く挨拶をするので、長瀬も躊躇いがちに会釈を返した。
玄関には立派な一枚板で天道聖媽会の名前が墨文字で書かれた看板が掲げてあった。木製の自動ドアが開くと、ロビーだった場所で来場者たちが和やかに歓談していた。玄関で待機していた女性がすぐさまやってきて、長瀬は受付カウンターへ案内される。
「このチラシをもらったんです」
「よくいらっしゃいました。ゆっくりお過ごしください」
受付の中年女性は長瀬からチラシを受け取り、何やらメモをしている。返されたチラシをよく見ると、端にシリアルナンバーが記載されていた。誰が勧誘したのか把握できるようにしているのかもしれない。
古いホテルよろしく、各会に大小の会議室や広間があり、講演会などのイベントするには最適だ。特に二階の結婚式場だった大ホールは巨大なシャンデリアが吊られ、赤い絨毯が敷かれた豪華な作りになっている。
来場者は女性が多いが、連れと見られる男性の姿もまばらにある。子供同士を遊ばせる若い夫婦は人形劇を目当てにやってきたようだ。各ホールでタイムスケジュールがあり、演劇や茶芸、中国語講座、人気の中華ドラマの上映会など一日楽しめるようになっている。珍しい漢方薬がずらりと並ぶ販売ブースは中高年の女性たちに人気で、スタッフにあれこれ相談しながら買い物をしている。天道聖媽会の信者らしきスタッフが館内清掃をしたり案内をしたり、甲斐甲斐しく働いていた。彼らはボランティアに違いない。一見、宗教団体の集会とは思えない。近隣住民も割り切ってイベントを楽しみにやってきているのだろう。
タイムスケジュールに槙尾竜仙の講話を見つけた。会場は結婚式場だった鳳凰の間だ。台湾茶の試飲コーナーで時間を潰し、午後二時から始まる講話に参加することにした。
会場はすでに満席近く、長瀬は末席に腰を下ろした。おおよそ二百名ほどだろうか、端々から聞こえる会話からほとんどは熱心な信者のようだ。教祖のありがたい講話を聴ける機会にと遠方からやってきている信者も多い。
シャンデリアの光がダウンライトに切り替わる。それまで騒然としていた会場は一瞬にして静寂に包まれる。
「天道聖媽会の祖、槙尾竜仙様が参られました」
グレーのスーツ姿の男性司会者が恭しく演者を紹介する。壇上にスポットライトが当たり、黒地に金色の絢爛な袈裟を纏った男が悠々と進み出る。壇上のスクリーンには水墨画の竜が天に昇るアニメーションとダイナミックなBGMが流れる。竜仙が中央の演題に立つと、会場が明るくなり、怒濤の拍手喝采が響き渡った。会場は高揚感に満ちて、感激して数珠を擦りながら泣き出す者もいた。部外者の長瀬は最後部の席からこの熱狂を冷めた目で観察している。
竜仙の講話は故事成語の成り立ちや偉人の人生など、その話題は多岐に渡り知識の幅広さと奥深さが窺えた。そこから現代社会をどう生きるか、まるでビジネス書のような論説を繰り出す。無理をしない、自分を認める、慎ましく生きる。耳に心地良い言葉が並ぶ。声の抑揚や言葉選びも巧みだと感じた。多少学がなくとも理解できるのだ。聴衆が皆、竜仙の語りに引き込まれ、会場に一体感が生まれていくのを感じた。
「あなたがたは奇跡の結果、この世に生を受けた一人一人が尊い存在なのです。ですから、ご自身を大切にすることです。そうすれば、自然と周囲の人も大切にできるのです。媽祖は底知れぬ慈愛に満ちています。いつでもあなたがたの傍におられます」
締めくくりの言葉に会場は沸きに沸いた。竜仙の語りは完璧だ。善を説いており、否定すべき点は見当たらない。しかし、長瀬は得も言われぬ嫌悪感を抱いた。隣の席の高齢女性は流れる涙を拭うのも忘れ、何度も頷いている。これは一種の集団ヒステリーだ。
神世透光教団の集会に無理やり参加させられたときのことを思い出し、長瀬は軽い目眩を覚えた。美辞麗句を並び立てる教祖、それに盲目的に賛同する信者。考えることを放棄した集団の愚かさを見た。
参加者から竜仙への質問タイムになったが、長瀬は鳳凰の間を出た。締め切っていた扉が開かれると、空気が軽くなったような気がした。長瀬は長椅子に倒れ込むように腰を下ろした。バッグに入れておいたブラックコーヒーを一気飲みすると、カフェインの刺激で目が覚めた。鳳凰の間にいたとき、意識が朦朧としていたことに気がついた。
重厚な観音開きのドアが開き、聴衆が続々と出てきた。皆良い話だったと満足そうに帰っていく。そのうちの何人かが扉の脇のテーブルに立ち寄って書き物をしている。あれは入会の書類だ。あの講話は茶番に過ぎない。さらなる情報を得るためには入会するほかない。
長瀬も入会希望者の列に並ぶ。前に並んでいた老夫婦が説明を受け、頷き合っている。その場で迷わず入会を決めたようだ。
「良いお話でした。入会を検討したいのですが」
受付スタッフの若い女性信者は今すぐ決めないのかと怪訝な表情で長瀬を見つめる。しかし、瞬時に作り笑顔になり、申し込み書類と手帳を取りだした。
「入会を迷われているのですね」
「ええ、これまで無宗教だったものですから」
「信じるものがあるのは人生の寄る辺になります。これからの人生、変わりますよ」
女性信者は薄く微笑み、手帳を開く。
「来週、本部で座談会があります。お茶を飲みながらみなさんで話をする気楽な会です。申込書類はそのときでも結構ですよ。ぜひお越しください」
慣れた手つきで手帳に日時を書き込み、丁寧に差し出す。長瀬は礼を言って書類と手帳を受け取った。
天道聖媽会の本部ビルを出ると、空気が清明に感じられた。街路樹から降り注ぐ蝉の声が鼓膜を震わせる。真夏の太陽がじりじりと肌を焼き、額から大粒の汗が流れ出した。ようやく生き返った心地がした。
スマートフォンを確認すると、ラインに妹の知佳からメッセージが入っていた。今日東京に出る用事があるから会えないかという打診だった。文字を入力するのが面倒なので電話でコールする。
「あ、お兄ちゃん。急にごめんね。もし会えたらって思って」
「いいよ、空いてるから。どこで待ち合わせする」
知佳はアパートのある川崎に帰るところだというので、品川駅のカフェで待ち合わせをすることにした。
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