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「死んじゃったホスト、塔夜くんていうんだけどね。私のお気に入りの子だったのよね」
鳴美はカウンターの下で窮屈そうに脚を組み直す。赤いルージュを引いた唇を子供のように突き出して、カウンターに頬杖をつきながらマティーニを一口含む。華やかな横顔は微かに憂いを帯びている。
「彼話しやすくてね、いろいろ悩みを聞いてもらってたんだ」
こんな恵まれた女性にも悩みがあるのか、と長瀬は不思議に思う。ホストクラブになど行かなくても男たちが寄ってきそうなものだが。
「しかも、変な死に方しちゃって。呪いじゃないかって長瀬くんが書いてたじゃない」
「ああ、あれは」
まさか鳴美の知り合いだったとは。長瀬は気まずい思いで長くなった煙草の灰を落とす。歌舞伎町の若いホストが塔夜という名の個人になったとき、一気に存在感と現実味を増す。
「呪いってさ、誰かを殺したいほど憎んでかけるものじゃない。ほら、神社の丑の刻参りとかそうでしょ」
鳴美も手持ち無沙汰に電子煙草を吸い始める。細い水蒸気が立ち上り、低い天井に到達する前に掻き消えてゆく。
「そうですね、呪う側も相当な恨みを持っているはずです」
「ホストってさ、一見華やかだけど金がすべてのドロドロした世界なんだよね。一番になるために必死で女をおだてて、究極のサービス業ってやつね」
鳴美はホスト遊びを楽しみながらもどこか醒めた目で見ている。
「馴染みとはいえ金が出せない女まで気をまわしていたら、それ仕事じゃないわけ。だから新しい金脈の太客が現れたらそっちにかかりっきりになるのは当然」
「つまり、塔夜さんは客に恨みをかっていたってことですか」
歌舞伎町ではよくある話だ。それで貢いだホストが冷たくなったと刃傷沙汰になることもある。
「警察も捜査はしているようだけど、ホストの死なんて大して時間をかけないのよ。だから私、個人的に探偵を雇って調べてもらったわけ」
鳴美の行動力と経済力に長瀬は感心する。口ぶりからすると、塔夜への執着というよりも興味本位という気がした。いわば、金持ちの道楽だ。
「それでね、塔夜を指名していたけど金回りが悪くて干された女がいたの。名前は
鳴美はスマートフォンの画面をスライドしながら探偵の調書を読み上げる。塔夜に入れあげて給料をつぎ込んで通うようになり上客になったが、さらに財力の高い客が現れ、切り崩していた貯金も底をついて干されたという。店の裏通りで塔夜に泣きつく姿も目撃されていた。
一体何の話を聞かされているのだろう、と思いながらも長瀬は二本目のスピリットに火をつける。さすがにここまで具体的な話をネット記事にすることはできない。
「塔夜は店のナンバー2だったから、口も巧みでたくさんの女性を泣かせてきたんだと思うけど、万莉絵は特に執着心が強かったみたいね。彼女、新興宗教っていうの、そういうのにもお金を貢いでいたみたい」
「へえ、なんていう団体なんです」
長瀬は俄然興味を惹かれた。鳴美は長瀬が乗ってきたことに我が意を得てにんまりと微笑む。
「
聞いたことがない。長瀬はスマートフォンを出して調べようとすると、鳴美がいいからとそれを制止する。
「本部は品川よ。詳しい情報はあとから送るから。あ、マスターもう一杯ちょうだい」
マティーニを飲み干した鳴美はモヒートを注文する。
「雇った探偵が行方不明なのよ。それで長瀬くんに引き続き調べて欲しいな」
「ええ」
長瀬はあからさまに表情を強張らせる。面倒事を気安く押しつけるのも金持ちの特徴だ。
「もちろん、日当っていうの、それは払うから」
「そういう問題じゃなくて、犯人探しなんて無理ですよ」
長瀬は全力で断る姿勢だが、その気になっている鳴美は聞く耳を持たない。
「その団体がね、かなり怪しいのよ。新興宗教あるあるみたいな。面白そうじゃない」
「いやでも、探偵が行方不明なんでしょう」
「彼ね、個人探偵だから他に割の良い仕事ができたんじゃないかな。でね」
鳴美の強引な圧に長瀬は折れた。鳴美の依頼は品川にある天道聖媽会の本部に信者として潜入し、ホスト怪死事件に関する情報を得ることだ。動画投稿サイトでも興味本位の面白半分で新興宗教に潜入するコンテンツは一定の人気を得ている。それは内部で何が行われているのか信者でないとわからないし、度胸が無ければできないことだからだ。
「いきなり入信したいですって行くと怪しいじゃない。ステップがあるのよ。天道聖媽会は各地に漢方薬局を出していて、そこで興味を持った人を本部の会合に招く招待制になっているわ。まずはそこから攻めるのがいいわ」
鳴美の興味はすでに天道聖媽会に移っていた。
「へえ、潜入捜査なんてカッコいいじゃん。きっと記事のネタになるよ」
真島が気取った素振りで鳴美にモヒートを出す。真島は「カクテル」というハリウッド映画のバーテンダー役を演じた俳優トム・クルーズに憧れてこの仕事をやっていると常々話しているのを思い出す。
「おいおい、人ごとかよ」
「人ごとだよ」
真島はおかしそうに困惑する長瀬をからかう。
「そう言えばさ、この間教えてくれたオススメの西口のラーメン屋、ベトナム料理の店に変わってたぞ」
「嘘だろ、あの店お気に入りだったのに」
濃厚なしょうゆとんこつスープとねぎ盛り放題のいい店だった。長瀬は落胆する。ラーメン店巡りは人気記事になるし趣味のひとつだが、気に入った店は長続きしないのだ。長瀬のお気に入りの店はよく潰れるため、口の悪い友人はラーメン屋に閉店の引導を渡す死神とか、単に味音痴だと軽口を叩く。
結局、日当三万円という高収入に負けて長瀬は潜入調査の依頼を受けることにした。真相が分からなくてもいいし、危険ならすぐにやめてもいい、という緩い条件だ。長瀬は勝手に盛り上がる鳴美と真島に別れを告げ、カウンターに二千円を置いてたまゆらを出た。
JR新宿駅からアパートのある蒲田へ帰るために京浜東北線に乗る。冷房の効きすぎた車内で向かいのサラリーマンが嘔吐している。塔夜のように吐瀉物に害虫が混じっていないことは幸運だ。アルコールとの付き合いができていない愚か者に手を差し伸べる乗客はいない。何も見なかったことにして、それが作法とでもいうように無視を決め込んでいる。
長瀬は車窓に映る自分の景気の悪そうな顔と目が合い、反射的に視線を落とす。天道聖媽会の調査は読者の興味をそそるアングラな話題だ、記事にする面白みは充分にある。しかし、長瀬には乗り気になれない理由があった。
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