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 新宿駅東口から徒歩五分の立地にある新宿ゴールデン街は、かつて戦後混乱期に乱立した闇市に由来する。非合法の売春を行う通称青線地帯と呼ばれた時代もあり、バブル期に地価が高騰したことで地上げ合戦にも翻弄された。

 現在は飲み屋が密集し作家や編集者、映画監督など文化人が集う街として若者にはアングラな人気を誇る。

 ゴールデン街花園四番街の中程にあるバーたまゆらは昼間は格安の定食、夜は怪談バーとなる。最近は月に二回の怪談イベントが盛況で、若い女性客も多い。

「怪談師って人気なんだな。稲川淳二の専売特許かと思ってけど」

 長瀬ながせ孝明たかあきは手狭なカウンターに腰掛け、クラフトビールを傾ける。ゆったりした白のTシャツにダークグレーのスリムパンツ、サンダル姿だ。ラフな格好をしていると実年齢の二十九歳より三つは若く見られがちだ。

 ブルーライトで照らされた黒塗りのカウンターには、有名ホラー映画のフィギュアがところ狭しと並んでいる。BGMに流れるオールディーズなアメリカの女性シンガーの曲はマスターの趣味だ。

「そうなんだよ、人気の怪談師を呼べばあっという間に予約で満員だよ。今日出演した怖平きょうへいくんもひっぱりだこで明日は福岡出張だってさ。長瀬くんもオカルトライターじゃん、語り部になるのもいいかもよ」

 たまゆらのマスター、真島まじまは長瀬の昔なじみで、開店当初からの付き合いは五年になる。飽きっぽい性分で流行りものにすぐ飛びつくので、マジックバー、スポーツバー、文壇バーを経て現在は怪談バーと言い張っている。長く伸ばした髪を後ろに一つ括りに引っ詰めて無精髭が乗った唇を歪める皮肉な笑みが胡散臭い。

「俺は人前で話すのが苦手だから無理だよ。それにオカルト専門ライターじゃない」

 長瀬は地元三流大学の文学部を卒業し、学習教材販売の会社に新卒で就職したが、サービス残業地獄と上司のパワハラに耐えかねて二年半で退職届を書くことになった。派遣で場当たり的な仕事をこなしながら自己流で始めたライター稼業がそこそこ捗り始め、何とか食いつなげるようになってきた。三十歳みそじを目前にしてこのままでいいのかと不安がないわけではない。蒲田の安アパートの家賃と奨学金の返済で彼女をつくる暇もない。しかし、あの頃よりはまし、という思いがそうした不安を鈍らせていた。

「そうそう、最近近所ですごい事件があったじゃん」

 真島がカウンターに身を乗り出す。バーテンをやっているだけあって情報通だ。しょうもない雑談でも盛り上げるのが上手いので、店に飲みに来た客は気分を良くしてあれこれ情報を落としていく。

「歌舞伎町ホスト怪死事件か、記事も書いたよ」

 長瀬はバーにいるときだけ吸うことにしているアメリカンスピリットにジッポで火を点ける。ヴィンテージもので、王冠を被る髑髏のデザインが気に入って愛用している。

「あの事件、閲覧注意で動画がアップされてたけどよ、マジでキツいわ」

 真島は腕を交差して震え上がる素振りをしておどけてみせる。

 歌舞伎町ホスト怪死事件は一週間前の金曜日、歌舞伎町の路上で若いホストが急死した事件だ。その状況があまりにショッキングなため、新聞やテレビのニュース報道では死因が明らかにされていない。しかし、動画投稿サイトにはその場にいた野次馬たちが撮影した動画が複数アップされており、格好のゴシップネタとして話題になっている。ホストが巨大なムカデを大量に吐いたというものだ。ネットの似非専門家によれば、沖縄以南、つまり亜熱帯気候に属する地域に生息する巨大な種だという。死因はムカデの毒によるショック死か、喉にムカデを詰まらせた窒息死か憶測を呼んでいる。

 長瀬はこの事件を蠱毒こどくに絡めて記事にしたところ、これまでにない反響があった。死亡したホストには悪いと思っているが、こうしたゴシップまがいのオカルト記事で閲覧数が稼げるのことは事実だ。皆リアリティと斬新さを求め、人の死すらスナック菓子のように消費している。

「蠱毒って初めて聞いたよ」

 真島は長瀬のネット記事を読んでいる。

「オカルト界隈じゃ漫画や映画のネタにされて知ってる人が多いけど、普段生活してても聞かないワードだよね」

 この着眼点は良かった、と長瀬は思う。

 蠱毒は人を呪い殺す呪法で、その起源は古代中国に遡り、日本にも平安時代に記録が残る。蠱毒の呪い、いわゆる蠱術をかけられた人間は恐ろしい死に見舞われる。または、長年治癒することのない病に冒され非常な苦しみの末に命を落とす。

 蠱毒を精製することができるのは、その術法を受け継いだ者だけだ。あまりの恐ろしさに、時の為政者によって固く禁じられてきた蠱術は表社会に出ることはない。

 蠱術はなぜ恐ろしいのか。その呪いの強力さと悍ましい精製法にある。ムカデや蠍、蛇や蜥蜴など猛毒を持つ生き物を一箇所に集めて殺し合いをさせる。そこで生き残った一匹に神霊の力が宿るとされる。神秘の力を持つ一匹から蠱毒を抽出し、ターゲットを呪う。これは蠱術のごく一部と言われており、全貌は謎に包まれている。

 死んだホストは大量のムカデを吐いたという。オカルトサイトで読んだ古代中国で蠱術に冒されて死んだ者の腹から大量の毒蛇が出てきたという逸話からから着想を得た。ライトなオカルトマニアやゴシップ好きなネット民に受けが良かった。


「長瀬くん、今日はここいると思った」

 振り向くと、栗原くりはら鳴美なるみが満面の笑みで手を振っている。明るめの色に染めた長い髪をボリューミーにカールさせ、アイラインを際立たせたナチュラルメイク、ラメ入りのグレージュのノースリーブにストイラプのスカート、ヒールの高いサンダルを履いている。青ざめたライティングの陰気な雰囲気の店が一気に華やぐ。

 鳴美は長瀬の横に座り、早速ラインストーンでデコレーションした電子煙草を取り出す。

「マスター、さっぱり系のカクテルよろしく」

「了解」

 鳴美は常連客だ。真島は迷わずショートカクテルのグラスを取り出し、シェイカーにロックアイスを入れ始める。

「長瀬くん、久しぶり。感じの良いパーマね」

「鳴美さんも変わらずお元気そうで。これ天パです」

 圧の強い鳴美に長瀬は引き気味に会釈する。鳴美はこの小汚い店になぜわざわざやってくるのかわからないほどのセレブだ。三十一歳で銀座の名門宝石店ツキモトにジュエリーデザイナーとして勤務している。父親の明紀久あきひさは港区にある総合病院、栗原記念病院の院長だ。外科医師である兄の明紀佳あきよしが病院を継ぐことが決まっており、鳴美は気ままな身分だと嘯いている。

 真島がシェイカーを振ると涼やかな音が響く。大仰な手つきでショートカクテルに酒を注ぎ、オリーブを落とす。たまゆらは場末感漂う雑然とした店だが、若い頃に六本木の名の知れたバーで修行を積んだという真島の腕は確かだ。

「マティーニです」

「ありがと」

 真島は馴染み客である鳴美はアルコールに強いことを知っている。鳴美はカクテルグラスを傾け、半分を飲み干す。

「オカルトマニアの長瀬くんなら知ってるでしょ、この間の歌舞伎町でホストが死んだ事件」

「いや、別に」

 オカルトマニアじゃない、と長瀬は否定しようとしたが面倒なので相づちを打つ。

 

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