蠱神の贄
神崎あきら
第一章
1-1
夕方の通り雨に濡れたアスファルトが猥雑なネオンを映し七色に変化する。週末と給料日が重なった歓楽街は華やかな喧噪に包まれいた。世界を未曾有の恐怖に陥れた疫病の記憶など人々の脳裏から消し飛んでいるように見えた。
「ねえ、塔夜くんてば。もう、さっきから上の空」
「ああ、ごめんね。陽菜との今度のデートはどこがいいか考えてた」
「うそ、嬉しい」
塔夜は新宿歌舞伎町のホストクラブ、レディシンデレラのナンバー2ホストだ。腕を絡めてセットした髪を擦り付けてくる
「塔夜くん、顔色悪くない」
「そうかな。陽菜に心配してもらえて嬉しいよ」
気の利いた言葉が出てこない。昼過ぎにデリバリーサービスで注文したパスタを食べてから胃がむかむかしていた。陽菜とはこれが初めての同伴だ。ここで機嫌を損ねると簡単に別のキャストに乗り換えられてしまう。塔夜はこみ上げる苦い胃液を無理やり飲み込んだ。
気合いを入れた陽菜のディオールが自分のカルバンクラインと混じり合って堪えがたい悪臭に感じられる。店までもう少し、ソファに座れば楽になるかもしれない。
「うぐっ」
塔夜が身体を折り、口元を押さえる。
「塔夜くん、大丈夫ぅ」
陽菜が背中をさする。こんな時間からリバースかよ、サラリーマンがすれ違いざまに揶揄する声が耳の奥で鈍く反響する。胃の内容物が逆流し、口の中に不快な酸味が広がる。次の瞬間、喉に激痛が走る。塔夜は急激な嘔吐反射で身体を痙攣させた。
「きゃぁああああっ」
耳元で甲高い絶叫が聞こえた。陽菜は嫌悪感と驚愕がない交ぜになった表情で塔夜を見つめている。塔夜は頬に激しい掻痒感を覚えた。何かが頬を伝って動いている。全身に鳥肌が立ち、背筋に冷たいものが流れ落ちる。恐る恐るそれを掴むと、手に針を刺すような痛みを覚え慌てて振り払う。
アスファルトに叩きつけられたのは靴のサイズほどの長さの巨大なムカデだった。
「う、うわあああああ」
塔夜は発狂したように悲鳴を上げる。黒光りする身体をくねらせて這い回るムカデを憎悪のままに何度も踏み潰す。陽奈は泣き叫びながら塔夜から飛びのいた。
「どうした」
「うわ、でっけぇ本物かこれ」
「なにこれ、ムカデじゃん」
錯乱状態でぶつかってきた陽奈を抱き止めた運動部らしき学生集団が騒ぎ始める。塔夜は激しく咳き込み、脱力してアスファルトに膝をつく。一度大きくのけぞったかと思うと、どす黒い喀血とともにさらに六匹のムカデを吐き出した。
「うわ、キモっ」
塔夜を遠巻きに見ていた野次馬はさらに距離を取る。ムカデは絡み合いながら濡れたアスファルトの上を這い回る。塔夜は血の気が引いて顔面蒼白だ。白目を剥いてぐらりと揺れたかと思うと、ゆっくりと仰向けに倒れた。
「いやあああ、塔夜くん」
陽奈は泣きわめいて塔夜に近付こうとするが、足元に蠢くムカデに悲鳴を上げて転倒する。横たわる塔夜の身体が激しい痙攣発作を起す。喉が大きく蠕動し、口から鼻から無数のムカデが這い出してきた。
「ねえ、助けて、助けてよ」
陽奈は悍ましい光景を撮影しようとスマートフォンを向ける金髪の若者にすがりつく。野次馬たちはこぞって写真や動画を撮影し、我先にとSNSへアップロードをしている。いつしか塔夜の身体は自分が吐き出すムカデの大群に飲み込まれようとしていた。
「なあ、これ警察か救急車呼んだほうが良くない」
ようやく誰かがぽつりと呟いた。
重く立ちこめる雲がネオンを映し、禍々しい赤に染まっていた。
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