第31話 悪役貴族、黒幕に圧倒される

 はっきり言って、戦況は絶望的だった。

 相手は元宮廷魔法師で、当然ゴブリンロードやハガンなど比較にならないレベルの実力者だ。

 カティナは宮廷魔法師時代は研究職だったはずだが、それでも上級魔法は当然として、その上の天級てんきゅう魔法まで使える可能性がある。

 天級魔法は文字通り、天災級の威力を誇る魔法だ。地震や地割れをも引き起こし、村や町を壊滅させられるほど大規模な竜巻や津波を生み出す。

 この狭い廊下で天級魔法を使うことはまずないと思うが、相手の手札については正確に想定しておきたい。


 サディアは天級魔法はおろか、上級魔法も使えない。

 エリスの回復魔法がいかに優れていたとしても、上級魔法を瞬時に回復できるほどではまだないし、天級魔法の直撃を受けたら死は免れない。

 そして――俺は初級魔法しか使えないし、近接戦闘ではジークにも及ばない。

 とてもじゃないが、俺達にカティナを倒せる戦力はない。


 俺達の絶望を感じ取ったのか、カティナは上品な笑みを浮かべた。


「どうしたんですか? そちらから来ないなら、こちらから行きますよ?」


 言って、こちらに向けてゆっくりと手のひらを向けてくる。

 彼女の手のひらに集約する膨大ぼうだいな魔力に反応し、俺達は瞬時に防御魔法を組み上げる。


暴風障壁ストーム・シールド!」

土壁アース・ウォール!」

星光強化スター・レインフォース!」


 サディアの中級魔法で風の障壁が生まれ、俺の初級魔法で床を持ち上げて壁を作り出す。

 更に、敵の魔法が貫通した時の備えとして、エリスが中級魔法によって俺達三人の全能力――当然、防御力も含む――を一時的に高めてくれる。

 万全の備えができると同時に、カティナの魔法が発動する。


決壊水砲フラッシュフラッド・キャノン暴風付与ブラスト・エンチャンテッド


 カティナの穏やかな声とともに。

 彼女の差し出した手のひらの先から、廊下の幅を埋め尽くすほどの水の激流が生み出される。

 激流は暴風によって更に速度を上げ、獲物を丸飲みにしようとする大蛇のように、高々たかだかと牙をいて俺達に襲いかかってくる。


 自らを飲み込もうとする激流に、俺達はすべもなく立ち尽くす。

 恐怖と絶望で身がすくむ中、俺は瞬間的なひらめきにかけて、背後のサディアとエリスに向かって叫んだ。


「伏せろっ!」


 叫びながら、俺は床に手を当てて土壁の魔法を何層にも重ねて強化する。

 更に土壁の表面を加工し、激流が衝突しても、激流が上に跳ねるようにに傾斜をつける。

 こうすることで、土壁の真後ろの空間は激流の直撃を避けられるはずだ。


 サディアとエリスはすぐに俺の意図を理解したらしく、土壁にぴったりと張り付くように床に伏せる。

 土壁の魔法を補強し続けながら、俺は彼女達の上に覆いかぶさった。


 激流が暴風障壁をたやすく突破し、土壁に激突する。

 作戦通り、土壁のおかげで激流の直撃は避けられた――が、それも一瞬だけだった。


 土壁はあまりにもあっけなく粉砕され、俺達は一瞬の内に激流の中に飲み込まれる。

 水のうねりの中で呼吸もできず、水流が全身が圧迫する。胃を押しつぶされて思わずえずき、口の中に水が入って余計に息が苦しくなる。

 激流にもみくちゃにされ、酸素も足りなくなって意識が遠のき始めた頃――ようやく、俺の体は床に放り出された。


 一分近く激流に揉まれ、元の場所からかなり流されたようだが、自分の位置を確かめている余裕もない。

 咳き込みながら気管に入った水を吐き出し、ようやくまともに呼吸ができるようになってから、俺は周囲を見渡した。


 遠くまで流されたという予想は合っていたようで、周囲にカティナの姿はない。

 サディアとエリスが少し離れたところに倒れているのを見て、俺はふらつく足取りで二人のもとに駆け寄った。


「げほっ……げほっ……サディア、エリス……二人とも、無事か……?」


 床に倒れる二人を仰向あおむけにし、ほほを叩きながら声を掛ける。

 エリスはすぐに水を吐き出して目を開いた。咳き込みながら上体を起こすと、弱々しい声で言う。


「……けほっ……す、すみません、ゼオンさん……すぐに、回復魔法の準備を……」


 エリスはそこで言葉を切り、サディアを見て顔を青褪あおざめさせた。


 サディアはいまだ、一向に目を開く気配がない。


「サディア……?」


 再度頬を叩きながら彼女の名を呼びかけるが、まったく反応がない。血の気のない真っ白な顔を見ている内に、不吉な予感が脳裏をよぎる。

 それを振り払うために、俺はサディアの呼吸と首の脈を確認した。


 ――脈拍も、呼吸も、ない。


 サディアの命は今、死のほとりに足をかけていた。

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