第28話 悪役貴族、犯罪組織の幹部と交戦する (1)

 俺が待ちの姿勢であることを即座に見抜くと、ハガンは躊躇ちゅうちょなく飛び込んできた。

 十メートル近い間合いを数歩で詰めると、その勢いのまま右手の山刀マチェットを振り下ろす。

 その斬撃を長剣で受け止めると、右からもう一本の山刀が横薙ぎに襲ってくる。

 すんでのところで後ろに飛んで斬撃を避けるが、ハガンは猟犬の如く俺を追いかけようとし――進路をさえぎるように放たれた氷柱矢アイシクル・アローを見て、とっさに後ろに下がった。


 ハガンが氷柱矢の発生源であるサディアをにらみ、苛立たしげに舌打ちする。

 俺は視界の端でサディアを捉えると、『氷牙ひょうが魔弓まきゅう』を構える彼女に下がるように手振りで示した。


 原作において、ハガンの戦闘能力はゴブリンロードより遥かに劣っていた。

 だが、ゴブリンロードとハガンとでは強さの性質が大きく異なる。


 ゴブリンロードは中級魔法でも傷をつけられない硬い皮膚を持っていたが、代わりに動きがあまりに鈍重だった。

 だからこそ俺の奥の手で倒すことができたのだが、ハガンはそうはいかない。

 ハガンの戦い方は素早い身のこなしと、鋭い攻撃を基盤としている。更に対人戦の戦闘経験もあいまって、俺にとっては非常に相性の悪い相手だった。


 この狭い廊下では、サディアやエリスに魔法による攻撃を期待するのも難しい。

 ここにいるのが俺ではなく、近接戦闘が得意なジークなら話は簡単だったのが……そんな仮定は、今は考えるだけ時間の無駄だ。


 暗い気持ちにおちいった瞬間、建物が激しく揺れた。カティナ先生はまだ、正面入口から魔法攻撃を続けてくれているようだ。

 俺は後ろ向きな気持ちを切り替え、口の端を吊り上げてハガンに揺さぶりをかける。


「このままじゃ賭博場が壊されちまうぜ? ここは大事な資金源だろうに、黙ってやらせておいていいのか?」

「お前が心配することじゃねえよ。第一、そっちの対応は不要だとボスに言われてるんでな」


 その言葉に違和感を覚えるが、俺は強引にそれを飲み下した。

 些細な違和感にとらわれて、戦闘中に隙を見せるわけにはいかない。


「あんたのボスがくたばっても知らないぞ」

「それはねえよ」


 俺の揺さぶりを鼻で笑ってから、ハガンは一歩踏み込んでくる。

 と同時に、俺は準備していた魔法を起動し、突っ込んでくるハガンの胴体に火弾ファイア・バレットを放つ。

 ハガンは横跳びで火弾を避けるが、壁に衝突する――かと思いきや、壁を蹴って更に飛び上がると、こちらの首元めがけて左右両方の山刀で斬り掛かってくる。

 その斬撃を見て、俺は一瞬困惑した。


 ――峰打ち?


 俺の首を狙うハガンの斬撃は、刃ではなく峰によるものだった。受けても致命傷にはならないだろうが、確実に気絶してしまう。

 ――まさか、こいつの目的は俺の生け捕りなのか?


 余計な思考で出足が遅れたが、俺はとっさに後ろに跳んで斬撃を回避した。

 そのせいで前線が下がってしまう。下がった俺のすぐ隣には、サディアが魔弓を構えて立っていた。


 当然、ハガンがこの状況を利用しないわけがない。


「死にさらせっ!」


 やつは再度俺に飛びかかる――フリをしてから、瞬時に方向転換してサディアに斬りかかる。

 俺は慌ててサディアを守ろうと、二人の間に割って入ろうとするが、間に合わない。

 ハガンの山刀がサディアの肩に食い込む寸前、サディアの眼前で暴風が吹き荒れる。


暴風連撃ブラスト・ビート!」


 サディアが生み出した暴風は無数の拳となり、ハガンの全身を激しく殴打する。

 不可視の打撃によって、ハガンは廊下の向こうへ吹き飛ばされた。


 サディアは新たな魔法を練り上げながら、射るような視線を俺に向けてくる。


「私達を守ろうなんて気遣いは不要です、ゼオン様。あのくらいの敵なら魔法で寄せ付けませんし、傷を負ってもエリスさんに治してもらえます」

「そうですよ、ゼオンさん! どうして一人で戦おうとするんですか!」


 後方に控えていたエリスも、両拳を握って興奮した様子で訴えてくる。


「いや、でも前衛の俺が敵の前衛を引きつけるのは当然で……」

「私は!」


 俺の反論を遮って、サディアが珍しく大声を上げた。

 澄んだ碧眼へきがんで真っ直ぐに俺を見つめながら、彼女は続ける。


「私はゼオン様の仲間じゃないんですか? それとも、背中を任せられないくらい私達は役に立たないと?」

「そ、そんなことは思ってないが……」

「なら、必要以上に私達を守ろうとしないでください。間違っても、私を守るために盾になろうとなんてしないで。もし私のせいでゼオン様が大怪我を負ってしまったら、私は自分を許せません」


 いつもの軽口とは違う切実な訴えに、俺は一瞬言葉を失った。


 ――俺は今まで、サディアへの罪滅ぼしを最優先に行動してきた。その結果、少しずつサディアからあるじとして認められ始めていることも自覚していた。

 だが、まさかここまで俺のことを案じてくれるようになっていたなんて、完全に俺の想像を越えていた。


 どう答えるべきか少し悩んでから、俺は口を開いた。


「……ありがとう、サディア。なら改めて、エリスと俺の背中を守ってもらえるか?」

「もちろんです」


 言って――サディアは晴れやかな笑顔を浮かべた。


 生まれて初めて見るサディアの笑顔に、俺は自分の心臓がバクバクと高鳴るのを感じていた。

 この世で最も美しい笑顔を不意打ちで見たせいで、自分の顔が急激に熱くなるのを感じる。

 なんとなく自分の顔を見られるのが恥ずかしく、俺は長剣を構えて前に出る。


 見れば、ハガンはようやく床から立ち上がったところだった。

 中級魔法の直撃が相当痛手だったようで、足も腕も震えており、まともに戦えるようには到底見えなかった。


「ハガン、もう勝負はついた。武器を捨てて投降しろ」

「……冗談じゃねえ。ここで役目を果たせなきゃ、どうせ俺は殺される」

「そんなこと言っても、お前にもう戦う力は残ってないだろ」

「いいや、あるね」


 言って、ハガンはふところから小さなびんを取り出した。


 中級魔法の直撃を受けても割れずに形を保っていたことから、その瓶が魔法で強化されていることがわかる。当然、中身にも相応の価値があるのだろう。

 透明な瓶の中には、紫色の禍々まがまがしい液体が入っており――俺は唐突に、その魔法薬ポーションの効果に思い当たった。


『ミズガルズ・サーガ』の物語中盤、ゼオンがジークに対抗するために飲み始めた、魔力量増加のためのドーピングポーション。

 ヴォーダン聖教会の壊滅を目論もくろみ、世界を破滅に導こうと暗躍する邪教集団『ロプトル教団』が、秘密裏に製造している違法薬物だ。

 そして――強烈な依存性と副作用によって、ゼオンの人間性を完膚かんぷなきまでに破壊した、最悪の薬物でもある。


 ――まさか、『血霧ちぎりの旅団』はロプトル教団と繋がっていたのか!?

 原作ではそんな描写がまったくなかったため、完全に予想外だった。


 俺はほとんど反射的に、ハガンに叫んでいた。


「やめろ! そいつを飲んだら、お前の人生は終わりだぞ!?」

「……バカが。もうとっくに終わってんだよ」


 制止の声をあざ笑うように、ハガンは瓶のふたを開け、中身を一気に飲み干した。

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